とある競馬の小説を読みましたが、いい感じのレビューを書いたので
アマゾンだけでなくこちらにも記しておく(笑)
私のような競馬好きにとっては、どこか心の奥深くにある
「競馬を人生になぞらえてしまう部分」をえぐってくるような感覚がありましたね
自分はこうなりたくないとか、こうありたいとか願うが
それほど思うようにままならないことが人生には、ままある
どこかで間違った選択になったと気づくのは必ず、後になってからの話
気づいたときには間違っていた自分に嘆いたりするが
そのとき選択した自分を結果的に最後は受け止めなければならない
後になって見えるのは自分を通した人間の欲と自制心との向き合い方、あり方
当てたいと願う自分を馬券を通して客観的にみると
夢中になって当てたい欲もあれば、競走馬が好きで頑張れって思う気持ちもある
でも経済動物的な視点も同居させながら利用してるような
馬の命を見ないようにしてる他人行儀な、ちょっと距離をおく感覚もある
複雑で矛盾するような感情を同居させながら
自分に折り合いをつけて週末の競馬を楽しもうとしている自分がいる
競馬がスピードを追求して、馬が限界を超えながら
狂気に満ちて走り続ける、命を賭して走る
人間は生活のため、メシのタネのために生きるために争いながら
後になって超えてはいけなかったと気づく領域に踏み込んでいく
文庫本でない書籍の方は2009年のようで、競馬をやる方には
その後の止まらない高速化はご存知のとおり
人間社会もこの10年で加速度がつきすぎている気がします
社会の快適さやスピード化を追求し続ける
現代人の少し麻痺しかけた感覚とダブらせていくと
ただ走るしか残されていない競走馬の現実と人間の欲が交差して
ままならないままの社会の縮図がみえる
現実にあらがう主人公と飲み込まれていく同僚
そのコントラストが描く人間の光と影。競争と競走、そして狂騒
どちらが正しいとかは後になってみないとわからない
でも人間は常に何かの曲がり角や、どちらかの分かれ道に
いるような気がしてならない
だからこそ「その時点で選択しなかったこと」を忘れずに
腹の底に落とし込んでおくべきではないかと感じます
もしかしたらこれが本当の「腹脳」かもしれません(笑)
ですが、「お後がよろしい」世の中にしていくには
これも笑いごとで済ませないことが大事なんでしょうけどね
未来は僕らの手のなか、ではなく腹のなかにもありそうです
競馬好きな方はぜひ
感じるところあると思います