他人と違う人生を歩めるほどの人間なのか
他人と違うことができる人間なのか、または平々凡々な才能なのか
どこまでできるか、自分自身の可能性を試してみるという挑戦
このあたりの判断はすごく難しいですね
早々と自分に見切りをつけて、一般的なレールに戻ること
その雰囲気がなんか負けた気がして、いやで自分は若い頃は脱線したんだなぁと
過去の自分へと、さかのぼってみると実感してしまいます
他人を寄せ付けない、他人を認めないで排除するような姿勢と
他人は他人と認めたうえで、別の選択をしても恨まない嫉妬しない
前者は悪人のようで、後者は善人のように感じるかもしれません
他人がどう思おうがかまわない、進みたい人生を歩んでいく
という視点では同じなんですが
自身が他人にどう受け止められるのか?
受け止め側の姿勢にかかってもいますが
受け止め側が気づいてくれたらうれしいかなぁという願望
そういう気づきのアクセントが後者にはあり
受け止め方で善悪がわかれてしまうように感じます
先日亡くなられた樹木希林さんは、他人と違う選択をしても自分を信じて貫き
自分がしたいように生きて、気づきを自然と理解できる周囲の環境をつくられた
その結果、家族や世間に対しても大きな気づきを促してくれた
周囲にあたたかなひととなりとやわらかさを遺して旅立ったように感じます
周囲が故人に思いを偲ばせるとき、故人の生前の思いが次の世代へ届いているか
この勝負って結構、自己評価として人生をみる場合
自分の人生の勝ち負けの基準になると解釈しています
何を他人に、社会に対して遺せたか
自分がこの世にうまれて生きた証しを
テマエミソでも、なにかしらできたのかなぁと
そう感じながら最期の瞬間を迎えたい
ただしく、自由にいさぎよく、進みたい道をゆく
大胆に、でも繊細でありたいと願いながら
それらを体現できるためのみちすじを整えていく
これは大変にむずかしいことですね