なんの因果か、自分の人生の節目で割と人に助けられてきたなと

自分であらためて思うところがありますね

他人に助けられてはきたけど、自分は他人を助けてきたであろうか?

そう思うとまだ自分は助けられた分にくらべたら少ないなぁと実感

悩んでる自分にビシッと言われたひとこと、出会いや別れ

楽しい思い出や時間・・・重ねた時間だけ人に歴史ありです


でも最近は他人を助けることに躊躇する人が増えてるなぁと感じます

関わりたくない、リスクを避けたい、助けに踏み出す「その一歩」が難しい

アカの他人であるからこそ、そうなる気持ちもわかりますけどね

災害や事件、事故の映像でも、外野の人はなんで助けないんだと批判しますが

助けたい気持ちがあっても足がすくんでしまいますよね

これも当事者になって自分がそのとき瞬時に助けると決断できるのかと

そこまで勇気の量が、エネルギーがあるのかなと疑ってしまいます


そこまで極端な状況にいかないまでも普段の生活や仕事のなかでも

助けられる状況で助けたほうがいいのにというシチュエーションがあります

でも、変に誤解されても困るし、余計なことしないでと言われたくないし

なんであなたにそんなこと言われたり、されたりしなきゃならないの?と

怖がってためらってしまう感じがあるんですよね

いきなりキレられてもたまったもんじゃないし、関わらないほうがいい

ニュースやメディアで取り上げられた凶悪事件みたいになったらどうしよう

いまの人はほんとにナニスルカワカラナイ・・・という距離感の取り方に

なってしまってそれが一般的になりつつある時代になってしまいました


だからでしょうか

親しみ込めてジジイ、ババアといいますが

不意にみせるお年寄りのやさしさがとてもあたたかく感じられる

それほど世の中が抑揚のない殺風景な世界になってきてます

自分のこどもや孫?に接するみたいに、やさしい笑顔で声をかけてくれて

ああ、まだこういう人いるんだなぁとうれしくなります

おもにババアが中心ですけど(笑)

ジジイは厚かましいか引っ込み思案かの両極端ですね・・・


実は、いまの若い人たちもこういうやさしさに

飢えているのではないのかな?と思うのです

世の中が便利になるにつれて、生活環境が変化していって

機械の正確さや速さ、冷たさとクールな感情、干渉しないというウソのやさしさ

ドライすぎて、古き良き時代を知る人には居心地悪いと感じるかもしれません

一方で、失われた手間暇の大事さ、こころのゆとり、温かみ、感謝のことば

手を差し伸べる気持ちにありがとうと感謝できた時代が昔はありましたね

ほんとに40度超える地獄のような暑さとは対照的で、冷え込んだ世の中ですよ



人にやさしくされたら、意外とうれしくて自分もやさしさで返してあげたい

そう思うようになるんだと思うんです、ほんとのほんとは

そこに余計な計算はしないジジイやババアが昔はいた

日々の労働環境においても、ガンジガラメな無機質な空気感よりも

ずっといい環境になるのと思うんですけどね

ヘタなかっこつけやスマートさでスタイリッシュにやろうとしすぎてないかと

社労士が労務管理やコンサルと称してビジネスで金だけとってやりました

でも結果がなかなか・・・ってよくある話でやる意味ないです

最初から職場はやるきゼロですし、馬鹿にしやがってと逆効果になったり・・・

誰かが上からやらせる労務管理やコンサルじゃなく労働者が自分で感じて動く

これからの時代はそういうやり方が一番望ましいと思いますね


でも、正しいやり方や答えはないんです

それぞれの職場で見て、感じて、対話する

解決方法のヒントは

ジジイやババアのやさしい、あつかましい、あたたかい知恵や経験を

見直すことで光がみえてきそうな予感がします