育つためのプロセスを経ていくことを経験で知っている世代は

論理的でなくてもガムシャラにやってきたことで成長につなげている

「なぜこんなことをやらなければならないのか」という疑問の答えを

ネット等で得られる社会では不幸やマイナス、困難を自ら選択しなくなる

それによって都合よくこうしたい、合理的にしたいという、言わば表裏一体な

理想とワガママのなかで現実を直視できずにマッチングを行うと

符合しないのは当然である


若者は理想のレベルを下げない、譲らない

会社は欲しい人財として出来上がった基準でマッチする者や

適合して「いくだろう」人しか採用しない

これではずっと平行線である


両者とも理想への欲求が高い点では共通している

こうしたいという頂点に双方がマッチングする点を見出すのは逆に効率が

悪くなって悪循環を生んでいるのではないかとも思う

ネット上に答えがあるからこそ、選択肢が多様にあるからこそ迷う

選べなくなってしまう


マッチングを求めるあまり、マッチしない「とはかぎらない」人財でさえ

労働力のコマとして消費されていく

なんでも消費していくだけでは、気がついたときには枯渇してしまっている

荒廃してしまったところから立ち上がっていくのは容易ではない


これからの時代は少ない人財と機械やテクノロジーを駆使して補い合いながら

生きていかなければならない

そのために必要な環境を整え、次の世代に引き渡すことも大人世代の

大事な責任であると感じています