コミュニケーションが欠如してその表現(通信)手段をもたない人は

どんどん孤立化していく

そうすると自身も心を閉ざしてしまい、しまいには誰も手を差し伸べなく

なっていくものだと感じる

わずらわしさも良いではないか

時には他人に触れ他愛もない話を時間を気にせず話す

そういうおじいちゃん、おばあちゃんは一昔前はそこかしこで

見られた光景である

それがふれあいやコミュニケーションであり、他人に迷惑をかけてしまうことも

快く受け入れられる「おたがいさま」という気持ちにつながっていく

この「おたがいさま」に込められている気持ちがあれば

両者のコミュニケーションは滞ることはなくなるのだ

どこかでピンと張った一本の糸のような許し合う信頼でつながっているのだと思う

皆、等しく老いてゆく、迷惑をかけて生きていくのだから

しかし「おたがいさま」という魔法のコトバは、どこかで他人に寄りかかることを

認めつつもその迷惑を最小限にとどめようと自分を律する効果もあるのではないか

「お互い様」では少し距離感が出てしまうから「おたがいさま」

この「おたがいさま」を経験することで人の心は時折、豊かになる

喜怒哀楽では表しきれない、なんとも言えない感情…豊かになるのである