ナガマサは、五階のとある居酒屋で、ご機嫌がよろしくなっていた。
「いやあ、良い酒だ。ここでこんな良いのが飲めるなんて知らなかった。通おう。是非通わせて貰おう」
「はっはっは。アンタの飲みっぷりは気持ちがいいぜ。大歓迎だ、オサムライ!」
酒を求めてふらふらしていると、この店の主人に、おいおいそこ行く旦那の腰にあるのは何だいと誘われた。
ナガマサは剣だと答え、主人がその剣はカタナというんだろうと指摘した。
それから二言三言で、二人は意気投合し、ナガマサが話をして聞かせる代わりに、いくらか酒代は割引いてくれることになったのであった。
しかも、蒸留酒かブドウ酒が主流のキュービーにあって、ナガマサの故郷の酒を出す店だったのが、彼の心を射止めた。
「ご主人、ワシみたいなのは、サムライとは言わん」
「へえ、じゃあ、何て言うんだい?」
「スローニンと言うんだ」
「ほう」
「スカンピンとも言う」
「なるほど、スカンピンか!」
勿論お代は払うつもりだが、ナガマサ、ノリノリであった。
「いやいや、しかしオサムライ、いやスカンピンさんよ。あんたがデビルド・バスターズの人だってなら、酒代割引どころか、俺のオゴリでもいいんだぜ?」
「そいつはワシが困る。飲んだ分は払わんと」
「何でだい」
「財布があるから、酔い潰れんで済むのさ」
「はっははは! なるほど! でも心配すんな、金も仕事もなくなったらウチに来ればいい。メシと酒はあるぜ」
聞けば、何度か、大きな違法建築に襲われそうになったところを、デビルド・バスターズに助けられたのだと言う。
卵を投げつけてくる奴もいれば、こうして恩を感じ、接してくれる人もいる。
世の中、広いのか狭いのか。面白いものだと、ナガマサは思う。
「いかん。飲みすぎだ」
「今日くらいはいいじゃねえか。ほれほれ」
「いやいや、いつ何時、何が起こるか……どうした、ご主人」
手にした酒瓶を突き出したまま、妙な顔をして固まった主人を、ナガマサは訝しげに見やった。
「なんか、変な音がしなかったかい?」
「ん?」
言われてみれば、確かに、壁や柱が時たま、みしりと軋むような音を立てている。
「古い建物だからな……」
家鳴りにしては、おかしい。ナガマサの勘が告げる。これは尋常の音に非ず。
「出ろ。ご主人」
「あん?」
「出るんだ。ここから離れろ」
目を白黒させる主人を引っ張って、外へ。人は居ない、薄暗い路地だ。夜になれば、それなりに賑わうように思える。
「ちょっちょっちょ、何だよ。一体」
「古いんだろう。この家」
二階建ての小さな家だ。一階が丸ごと店になっている。建て付けは、どうもよろしくない。
「あ? まあ、そうだな」
「最近は見なくなった。だからといって、居なくなったわけではないのさ」
「何が?」
「古いと、なり易い。何にだって? 違法建築さ。ご主人」
途端、入り口の引き戸が粉砕した。
上下から生えているのは、コンクリートの牙。木製の骨組みを、土がごりごり不快な音をあげて覆い隠してゆく。
「な、何だぁ?」
「中型だな」
家一軒分の材料で体を作った違法建築。
違法建築に意思は無い。あるのは高密度に圧縮された怨霊の塊だ。どういうわけか様々な形態をとる違法建築だが、その性質をあえて喩えるなら、昆虫のそれに似ている。
ナガマサの前に現れた違法建築は、巨大な蟷螂のようだった。ただし腕は四本あり、足は六対あった。頭は複眼ではなく、巨大な口が開いて、コンクリートの牙を打ち鳴らしていた。
「羽が無くてよかった」
ぽつりと呟く。後ろで、主人が叫ぶ。
「わ、わ、わぁぁーッ! 俺の店が!」
「命あってのモノダネだ、ご主人。補助金もある。終わったらウチの事務所に来るといい」
わざと思い切り、力を入れて肩を掴む。そうやると、落ち着く人は多い。
「……あ、あんた」
「心配はせんでいいさ。割り引いてくれた御礼もあるし」
剣――カタナの鯉口を切る。
「見てな、ご主人」
岩同士がぶつかりあうような、凄まじい音。恐らくは、違法建築の口から出ているのだろう。鳴き声だ。
それと同時に繰り出される、四本腕。その先端は、凶悪かつ無骨、鎌のように曲がっている。
「ハン」
一閃。
主人の目にはそう映った。
その実、違法建築の鎌が三つ、粉微塵になっている。三閃であった。
切断したのではなく、衝撃力が最も集中する一点を突き、塞き止めた勢いをそのまま反転させて、割り砕いたのである。違法建築は、自らの力でもって、自らの腕を失ったようなものだ。
それは、ほんの数瞬。否、あるいは一瞬にも満たないかも知れない、そんな極小単位の間に行われた、超々精密作業。
身の丈を越すカタナは、鞘に納められている。まさに、目にも止まらぬ早業。
まさしく、神技と言うべき領域の剣術であった。
「お、オサムライ!」
残った鎌を突き出し、巨大な口を備えた頭を突き出して、一二本足を撓める違法建築に、ナガマサは尚、笑みで応える。
巨体が、掻き消えたかと思うような速度で突進。
カタナが鞘走った。抜き打ちに、鎌を半ばから両断し、その勢いのまま、ナガマサは違法建築の背に跳び上がる。足をつき、踏みしめる。一二本足が停止。その前に、渾身に振り下ろした斬撃が、異様な頭部を切断する。
声も無く、ただ凄まじい軋みをあげて、残った体が持ち上がる。馬のように、棹立ちになっているのだ。
ふんと鼻を鳴らし、ナガマサは跳んだ。
滞空する間、一体何度、その周囲に銀円がきらめいたか、主人は数えることもしなかった。
ナガマサが着地する。カタナを納める。ちん、と澄んだ音が響き、同時に、轟音とともに、岩の蟷螂がバラバラになって路地に散乱した。
「…………す、すげえ」
「あのくらいの大きさなら、何とかな。痛てて……」
呻いて蹲るナガマサに、主人が駆け寄った。
「お、おい、どしたィ」
「ちょっと肩と腹をぶつけて……」
咳き込む。血は混じっていないと安心した主人が、やれやれと空を見上げた。
「なあ、オサムライ」
「何だ」
「今日は、厄日だねェ」
ん、とナガマサも空を見上げた。映像の消えた、黒い円柱状の、空だった部分が落ちてきた。酷い音と衝撃と粉塵だった。
二度と昼酒はすまいと、ナガマサは思った。