というわけで、ちょうど6年越しに「大陸横断へんな旅」の記録が完結しました。
読んでくださった方、待っていてくれた方、ありがとうございました。
「大陸横断へんな旅」をしたのが2014年の3月28日から5月19日。53日間に渡る旅行は、計画よりは大幅に短くなったものの、僕の今までの人生で最も長い旅行であることは、今も変わりありません。
今回は、「自分のために書いています。」という断りをつけて続きを書き始めた訳だけれど、更新を始めたことをSNSなどでお知らせしたら、結構な数の方々が読んでくれたようで、内心かなり嬉しく思っていました。特に、何人かの友達からは、それぞれが面白く感じた回の話を、まるで自分が旅に出て見てきたかのように話してくれました。
僕の極めて個人的な旅の思い出が、僕の手を離れて、一つの物語として自立していく。その過程を楽しませてもらえたのは、かなりの幸運者だったなと思います。もっと文章力を高めたいと痛感したよ、本当に。
そういえば、僕が学生時代から親しくさせてもらっている友人夫妻が、この記録を読んでくれて、そして2度もzoomで感想を共有してくれました。こういう形で声をかけてもらえるの、本当に嬉しいよね。
そのzoomの会話の中で、一つ印象に残っていることがあるので、その話を持って、あとがきに替えさせてもらえたらと思います。
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奥さんとお話ししていた時のこと。「最近旅を大事にできていないと思うんだけど、どうしたら良いと思う?」と相談のようなものをされた。話を詳しく聞くと、「旅行の回数は昔に比べてすごく増えたけれど、一回一回の旅行に、真剣に向き合えていないと思う。旅行が終わったらすぐに次の旅行の計画、みたいになっていて、学生の頃の修学旅行のように、一回一回の旅行を惜しむように楽しむ、というのができていないんだよね」ということだった。
まあ、沢山旅行ができて羨ましいな、とは思いつつ(ご夫妻の名誉のために念のため書くが、コロナ禍の間はステイホームされている。全くこんな注釈を入れないといけないなんて嫌な世の中になったもんだ)、どうやって答えようかなと考えてしまった。普段から相談なんてされるタチではないからだ。
その中で何とか捻り出したのが、「旅は、終わった後からでも大事にできる。」という言葉だった。
半分出まかせで思いついた言葉を並べて、「旅をしている最中に呆気なく過ごしてしまった1日にも、適当に撮った写真やチケットの半券、スマホのスクリーンショットなど、記憶に繋がる『カギ』が残る。旅が終わった後でも、そのカギを頼りに記憶を辿って、心の中に味わい深いものが生まれれば、それは旅を大事にしたことになるのではないか。」というような答え方をした。すると、奥さんは思った以上に納得してくれて、その場を無事におさめることができた。
旅は、終わった後からでも大事にできる。その言葉を反芻するうちに、僕が6年越しに取り組んだ、この「大陸横断へんな旅」の記録の続きを書く作業も、まさに「旅を大事にする」行為そのものだったのだと気づかされた。
6年ぶりに続きを書き始めるにあたって、僕は「この旅に対するある種の後悔、もしくは結末の呆気なさを、どう表現したらいいのか分からなかった」と書いた。
それは、今振り返れば、「この旅をどうすれば、大事にできるのか分からなかった。」ということだったのだろう。
多くの失敗を重ねて不完全に終わった旅を、どうすれば大事にできるのか。心の中で、一つのいい思い出として位置付けるために、どうすればいいのか。それを悶々と考えているうちに、6年という歳月が過ぎてしまった。
しかし、その答えは極めて単純だった。断片的な記憶と、当時のメモ・写真を頼りに、今でも覚えているエピソードを素直な言葉で書く。その作業を繰り返すことが、「大陸横断へんな旅」を、自分のかけがえのない思い出に昇華する行為そのものだったのだ。
「大陸横断へんな旅」は、やっと良い思い出になった。
2020年の今は、コロナウィルスの騒ぎで旅どころではなくなっている。「訪日外国人観光客99.9%減」というニュースは衝撃的だった。それでも、そんな今だからこそ、旅の思い出が心を温めてくれる。今は、世界的な規模で「旅を大事にする」時期なのだろう。
これで「大陸横断へんな旅」は完結するが、実はまだ、もう一つ、僕の中で大事にしたいと思っている旅がある。それもいずれ、気が向いたら書いてみようと考えている。
あくまでも、自分のために書いています。
でも、読んでくれたらありがとう。
これからも、どうぞよろしく。
(おしまい)

















































