勝つことは正義?


今回はお坊さんの話題とは少し違うけど、お坊さん批判にも関わることなので、最近思ったことを書くねー!


チャットでは、いまだに法華講員と学会員が論争を繰り返したり、一方的に批判をくり返す人がいるよね。


その内容は相手の教義についてだったり、過去の組織(本山)の行いだったり。


なぜこうなってしまうのか。


感情的なことは人さまざまなので、いったん置いとくとして、

仏法的な理由は2つある。



〇謗法を責めよ


曾谷殿御返事

「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし」


この御文から、目の前の謗法を責めないと自分も相手も成仏できないという考えになるね。



〇謗法与同をおそれよ


もう一つは、

日興遺誡置文

「謗法と同座すべからず。与同罪を恐るべきこと」


謗法与同はしちゃいかん!ということ。


だから他人から「もう批判はやめましょうよ」と言われても止められないの。


過激系は、こういう「破折しないと幸せになれない!」という思想ばかりに囚われて、周りに迷惑かけようが嫌われようが、とにかく批判して暴走する。それこそが正義だと勘違いしているんだ。


この部分を解決しないことには、過激な論争はなくならない。



 

広宣流布の影響

(※誠実に穏やかに仏法対話をされる方もいるので、その人たちまで悪く言うつもりはない。)


過激な法論をする人たちは、自分たちの世界が100%正しいと言い張る。しかしそれは、布教しているようで、じつは自分たちの評価を下げていることに気づいていない。


周りの意見を無視してまで主張する姿は、なんて非常識なやつだと見られ、かえって所属している宗教のイメージを悪くしてしまう。


自分の為にもやめたほうがいいですよと言っても、「理解しないほうが悪い」と、また他責思考で批判を繰り返す。


むしろ、100%の正しさをまともに説明できないから、あえて相手を批判し、"だから我々のほうが正しいのだ"と、相手を下して自分たちを上げるという手法に走る。


このやり方はホント卑怯だし、無意識なのか、けっこう多くの人がやってるよね。


こんなことばかりしていると、「こいつ痛いやつだ。この宗教はヤバい」と相手にされなくなる。

広宣流布においてマイナスじゃないか。


それを本人に言っても言っても、なぜか伝わらない。


これからどうすればいいのか。



    

教義について



御書には真筆だけではなく、グレーな疑義書もあり、日蓮大聖人様の言葉がどこからどこまで本物なのか、現代で完璧に証明できた人はいない。

いたら教えてケロ



法論をする際、引用する御文が本物かどうかを証明できない場合は、その時点で自分の発言は不確実なもの、というのをお互いに自覚する必要がある。


その上で、御書に対して正宗には正宗の独自の解釈があり、学会には学会の独自の解釈がある。


ましてや御書に載っていないことで言い合いなんかしても、納得するわけない。


どちらが正しいかジャッジできる人はこの世にいないのだから、(日蓮大聖人様はいないのだから)

お互いにちゃんと調べて、勉強して、信じたいものを信じるしかない。


相手を容認まではしなくていいから、ある程度は折り合いをつけないと、一生ムキになって修羅の世界から抜け出せない。


終わらない法論はいつしか暴論へと化し、アホだバカだの、低レベルの痴話喧嘩に発展してしまう…。



    

過去の揉め事について


双方のトラブルは日蓮正宗と創価学会だけではなく、正信会も関連していて、その複雑なもつれを解かないまま、やれイジメられた、やれ反抗したと、お互いに問題を取り上げたところで憎しみの感情を増幅させるだけ。



個人的には、創価学会員の「お坊さんからいじめられた」という体験も、お坊さんの「学会員が僧侶を見下した」という体験も、両方とも真実だと思っている。


八方美人かもしれないが、

創価学会には間違った部分があれば、正しい部分もある。

日蓮正宗もまた同じだと思う。



まとめ


日蓮大聖人様の言うとおりにすると、たしかに謗法を責めるという精神は間違っていない。でも、当時の状況とは違って、文証の信頼性が揺らいでいる今の日蓮界隈では、教義をもって破折するのは無理がある。


じゃあ、仲良しこよしすればいいのか?

それも違う。自分の信念は貫けよって。



松野殿御返事には、

「いかなる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うがごとくすべし」の道理なれば、仏のごとく互いに敬うべし。例せば、宝塔品の時の釈迦・多宝のごとくなるべし。」


と書いてあって、

まぁ、相手が鬼畜かどうかはさておき、仏法を伝えようとしてくる相手には"敵意"ではなく、まず"敬意"を持って接すること、正邪の部分では言いたいこともあるだろうけど、折伏を頑張ろうとしている、その勇気にリスペクトを持つこと。


そして、自分が信じているものを誇りを持って貫くこと。


そういう関係になれば、お互いに気持ちよく広宣流布を進めていけるんじゃないかと思う。


私は学会だけではなく、日蓮正宗の発展も望んでるし、お坊さんのことも尊敬している。日蓮正宗の良さも、お坊さんの努力も知ってるから。


この対立関係が解消されて、良い意味で競い合っていけたらいいな。

と、思った次第でございます。