ふんわりウイング「諦めない」

 

スターシードの写真家 小原里美です。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

先週、母の故郷がモデル地になっている緑川ゆきさん原作漫画・アニメ「夏目友人帳」の話をしました。

「夏目友人帳」は優しい話が多いのですが、時には悪意のある妖怪を祓い屋が祓う場面もあります。

母の故郷と祓う内容を読んでいて思い出した出来事があります。

今まで友人やSNSにも話した事のない、母が子供の頃に起きた実話を数回に分けて紹介します。

 

神写©小原里美

 

私の母は熊本の水上村にあった畳屋の両親のもとに生まれました。

母は六人兄弟姉妹の次女になります。

 

終戦から四年後の1949年。

母が小学四年の時、中学一年だった長女(私の叔母)が破傷風になりました。

夜中、暗い部屋の中で鯛の骨が落ちていたと知らずに踏んでしまい、かかとに鯛の骨が刺さったそうです。

 

鯛の骨は抜いたのですが、傷口にばい菌が入り破傷風に。

破傷風は治療が遅れると死に至ることもあり、病院に入院しました。

当時の熊本では破傷風の薬は熊本市内に一つしかなく、それでも足りないそうで、東京にある薬も手に入れる必要がありました。

 

水上村は宮崎と熊本の県境の山の中に位置しています。

個人で車を所有している人が少ない時代、熊本市内へ行くのでさえ時間がかかります。

まして飛行機や新幹線移動はない時代、東京となると船や長距離列車を乗り継ぎ往復で数日かかり、お金もかかります。

それは現代の私達が突然今から海外へ薬を取りに行く感覚です。

あの時代の田舎では、薬を諦める選択しかない状況でした。

 

どんどん症状が悪化していく長女を救うため、母の両親は親戚中にお願いし、親戚の一人は熊本市内の薬、もう一人は東京へ薬を取りに行くことになりました。

人吉で商売をしていた親戚が東京で仕事をしたことがあり、東京の土地勘があったのです。

熊本市内の薬が届けられ投与されましたが、その薬がなくなる前に東京の薬が間に合うか、そんな綱渡り状態が続きました。

 

呪いから家族の命を守った祖父の話2へ

つづく

 

母の故郷と「夏目友人帳」の話↓

YouTube

「小原里美の神様が写る神写チャンネル」

 

 

 

Twitter

 

Facebook https://www.facebook.com/satomi.obara3333/

 

今までの活動や作品はこちら

OBARA SATOMI オフィシャルサイト

作品のお問合せ、お仕事のご依頼はこちら

Contact

 

小原里美 出版物

 

神写@小原里美

「空の奇跡を写すはじめての神写」

日本文芸社

 

「東京は雪」©小原里美

「東京は雪」

ZINE

 

「SWEDEN」©小原里美

「SWEDEN」

蒼穹舎

 

「Ahe'hee」

ビートル