obamaのブログ-シャーマン


 演歌は生活で疲れたこころを癒してくれる働きがある。

 高い声のメロディーは叫びのようにも受け取れる、低い声は、先祖代々の村を追い出された人々のため息であろうか。

 その歌声は、北東アジアの文化圏に居住する多くの人びとの心の奥底に、不思議な影響を及ぼさずに置かない。

 ヒトが、自然から人工の世界に移らなければならなかった時、さまざまな桎梏が生まれ、そこから、こころの歪みが生じる。

 この「歪み」を取り除くために芸術や宗教が成立したのかもしれない。

 ここで、絶大な威力を誇ったものが、あのシャーマンではあるまいか。


obamaのブログ-9


 ある山里の午後、たくさんの商品を積んだライト・バンが、スピーカーの音量を上げて巡回してくる。

 すると、部落の犬が、いっせいに遠吠えを始める。

 そのスピーカの曲は、もちろん「演歌」。

 山里の犬には、多かれ少なかれ、山犬の血が混じっており、演歌のメロディーに古里の山の思いが湧き上がり、自由に山河を駆け巡った先祖の血が騒ぐらしい。

 この意見は、ちょっと面白い、もし、そうなら、日本のブルース・演歌は、イヌとヒトとの間に、奇妙な一致を見ることになるだろう。


obamaのブログ-6
 

「演歌」を英訳すると「ジャパニーズ・ブルーズ(Japanese blues)」。

 どうやら、ブルーズいわゆる「ブルース」として扱われるようだ。

 演歌の舞台は、酒場や裏町・港や連絡船で、そのテーマは「別れと恋」であろうか。

 それに、「なみだ」がつきもの、Happy endということにはならない。

 だから、明るいというよりは暗く、楽しいというよりは淋しい、この日本ノブルース・演歌は、どのように成立したのであろうか。