まずこの話をする前の仮定として。
賢さが遺伝するということにします。
賢い親の子どもは、遺伝して賢いということです。
よく見る高学歴の親。
「東大京大卒です」
すごいですよね。
すごく頭が賢そうです。
「自分は頑張ったから、ここまで出来たんだ。子どもも頑張れば出来るんだ」
そうやって我が子に自分ができたのだからと同様の勉強を求めて努力させていく過程はよく見ます。
そして、それで子どもの成績がそれほど良くなく、発狂している高学歴親も多く見かけます。
ここで賢さが遺伝するとするなら、子どもが賢くないなら親が賢くないということになります。
自分は高学歴だから、高学歴ではない夫、妻のが遺伝したからだ!と主張する人もいるかもしれませんが、そうではないでしょう。
単に、高学歴の親が馬鹿なだけです。
馬鹿の子だから、馬鹿なだけなのです。
高学歴なのに馬鹿とはどういうこと?
高学歴の人の合格体験談を聞いてみれば分かりやすいでしょう。
難関中学に入り、中高一貫の6年間を毎日塾に通いつつ必死に勉強して東大京大に合格したっていうのが多いのではないでしょうか?
たくさんの努力をして合格するなんて素晴らしい、そんな体験談ばかりです。
だからか、努力したから今の自分があると誇ってる高学歴の親もおられます。
それって本当に賢いのでしょうか?
たくさんの努力をして頑張って難関大学に入れたというと、美談のように聞こえます。
努力が実って良かった良かったと。
ですけど、それだけの努力をしたと言うことは、それだけの努力が必要だったとも言えます。
それだけの努力をしないと目指せない程度の賢さとも言えるのです。
1日何時間もの勉強を6年間もやっておきながら、東大京大にやっと入れた程度の頭を「賢い」と表現しているわけです。
確かに東大京大に合格した以上は「賢い」のでしょう。
でも、いわゆる「天才」というような賢さではありません。
芦屋市長の合格体験談を読まれた方も多いかと思いますが、東大の過去問を受験数日前にこなして余裕と思うようなレベルだと、自らのことを思えるような高学歴の親は少ないことでしょう。
たくさんの勉強を積み重ねた努力型の賢さ。
これが多くの高学歴の親の正体なんだと思います。
多くの高学歴の親は自分のことを「賢い」と思い込んでますけど、実際はたくさん努力しないと合格できなかった程度の凡人なんです。
基本的なスペックの上に魔改造されたものを載っけていったようなものですから、根本にあるものは多くの人と変わらない。
つまり、特別に賢いわけではないのです。
仮に賢さが遺伝すると言うなら、賢くない親の子どもになるわけですから、子どもも賢くなりません。
「高学歴だから賢い」という前提を無くせば、親が馬鹿だから子も馬鹿だとも言えることになるわけです。
これが高学歴の親の子どもは馬鹿だということになります。
実際は環境要因など多種多様な要素も加わってくるわけで、一概に賢さは遺伝で決まるとは言えるわけではありません。
高学歴の親であれば、子どもに与える学習環境にはこだわります。
それに触れる機会が多ければ多いほど、得意になる子どもたちは増える傾向にあります。
それを見て、賢さは遺伝すると考える人がいてもおかしくはないでしょう。
ただ、賢さは遺伝なのだと言うほど、高学歴の親は賢くないというのが本当のところなのではないかと思います。
たまたま勉強をすることに大きな抵抗がなく、たまたまそれを積み重ねることが出来ただけの人。
それを才能だと言う人もいますが、それはその才能だけであって、賢さではありません。
世間一般では「高学歴=賢い」が成り立っているため、高学歴の親は自分を賢いと思いがちになっています。
「自分は賢い」、それを支えたのは努力という成功体験。
そして「高学歴は凄い」という自己肯定感。
高学歴の親自身が高学歴を成功体験として認識してるため、それが親のアイデンティティとして組み込まれています。
そうなると自分の成功体験を子どもにもと思いがちになり、過剰な教育干渉を行なってしまうのです。
高学歴は賢さではありません。
自分はたまたま勉強が上手くいった高学歴なだけの凡人。
親と子どもは全くの別人ではありますけど、凡人の子どもは凡人だと思うことも大切なことのように思います。










