今の私が居るのは、遠回りをして生きてきたからである。
道草とは、寄り道をする事である。そしてその道草によって、いろいろな事を体験し、悩んだり笑ったりする。例えば、大掃除をしている時に、昔のアルバムが出てきて、掃除を忘れてアルバムを見ると言う事も道草である。私自身は、道草をした事で今の私が居るのだと実感している。以前は夢も無く、ただ誰かに言われるがまま生きてきた。仕事も学校の先生や、親に勧められた為、仕事をやらされていると感じ悩んだ。生きがいも無いまま、これだと思える仕事も見つからず、くじけそうになった時、結婚が決まった。そして結婚だけは自分自身で決めたことでしたが、元夫のDVが原因で離婚をし、その後も親の言われるがまま生活してきた。しかし、転機とは、どこで転がっている物かわからない。私にとっては母の入院が転機でした。入院を機に、医療について考える事が多くなったのだ。今まで、私が経験してきた事は、人に対する優しさを気付かせる物であったり、人に傷つけられること、人を傷つける事の痛みを、知るきっかけであったのではないかと思う。そしてその経験が、今の私を作り看護師になる為の道草をしたのだと感じる。道草によって苦労はするけれども、自分にとっての一本道が見つけられるのであれば、道草をするべきだし、道草をする事で,いろいろな事を感じれる感性を身につけていくのではないだろうか。そうやって人が成長できればよい。
今の私には、自分の足がある事に気付いた。それは、良い事も悪い事も体験したからである。そして今の私が居るのは、その道草をしたからこそ、新しい夢を持ち頑張れる力となっているのだと感じる。だから、道草とは、今の私を作ってくれた物。今の私が居るという事である。
以上が今日書いた小論文です。
ちょっと自分自分してしまった感はあるが、以前よりは言いたい事が書けた気がする。
えっ?気のせい?
ならすみません。もっとがんばります。