母校の思い出~赤台東小~
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誰もいない校庭

東の校庭
誰もいない校庭で誇らしげに咲いている桜の花。
よりによって、入学式の行われない年に、
こんなに立派に咲くとは皮肉なもんである。
今後、この桜の木や、学校自慢のケヤキの木は、
どうなってしまうんだろう?

卒業式

今日は東小学校最後の卒業式だ。
全校生徒数が少ないので、
1年生まで式に借り出された。
俺達のころは生徒数も多く、
せいぜい5年生が
在校生送辞かなんかのために
列席していたと思う。
その、5年生の時の思い出がある。
講堂にて行われる卒業式で、
希望者で演奏したんだ。
校歌と蛍の光、そして君が代。
俺は大太鼓だった。
一番出番の少ない楽器?だが、
君が代では「1テンポずらす」
などと難しい注文があったのを
今でも覚えている。
テレビ(大相撲)などでもよく流れるが、
聞いていてもらえば分かると思う。
「あ、ここか」と言う感じで、
確かに1テンポ遅れているところがあるから。
あの時の音楽の先生はいま、
どこでどうしているのかな?

さよならフェスタ終了

無事終了しました。
昼食時には雪まで降ってきました。
今一盛り上がりにかけたけど、
子供達は喜んでいたので、
まあ、よかったと思っています。

親父の作ってくれるおじや

俺は子供の頃身体が弱かった。
俺はよく熱を出し、学校を休んだ。
親父は仕事の都合上、
昼も家にいることが多かった。
俺が熱を出すと、親父はおじやを作ってくれた。
味なんか分かりゃしない。
ただ、親父が作ってくれることが嬉しかった。
そして今、子供達に言ってみても、
「え~、おじや~?」である。生意気な!
それでも、なんだかんだで作っちまうと、
結構食べちゃうもんだ。挙句、
「もう無いの?」である。
と、そこへ元気な子が帰ってくると、
「何食べたの?」
「お父さんがおじや作ってくれたんだよ」
「なんだ、おじやか」
と言いつつも、
「もう無いの?」である。
親父冥利に尽きる。

入学式前

入学する前に、小学校で説明会のようなことが行われる。
身体検査や簡単な面接などもあった。
俺の場合は、就学予定学校のその日に、
風邪かなんかで行くことができず、
別の小学校でやったのを覚えている。
その時に、先生から
「一番好きな食べ物はなんですか?」
と聞かれて、すいかと答えたのを覚えている。
「でも、お母さんけちだから
 ちょっとしかくれないんだ」
と最後に付け足したのも覚えている。
30数年前のことだ。
息子達は自分のときのことを
まだ覚えているのだろうか?

閉校記念式典

今日は閉校記念式典だった。
息子達を通わせる親として
参列の予定だった。
いや、親としてというより、
OBとして参列したかった。
家を出る直前に学校から電話。
次男が熱を出したと言う。
迎えに行く途中で、
弟が世話になった教師に会った。
多分参列するのだろう。
保健室への道を歩きながら、
先生方に声をかけられる。
ウチの3人兄弟は有名だから…。
(全体数が少ないだけだが)
20数年前に歌った校歌は、
今でも全コーラス歌える。
なくなる前に一度でいいから、
公の場で歌ってみたかった。
ま、でも子供達のほうが大事か。
次男と一緒の帰り道、
次男は心なしか
嬉しそうだった。
普段、2人きりで歩くことも
少ないからなあ…。
これも、一つの思い出として、
捉えておく事にしよう。