さっきふいに前ひとりで吉祥寺に行ったときの感覚を思い出した。
なにもない。って感覚。

今となっては大好きなかっこいいギブソンのレスポールも、モーリスのくそギターもなんの意味も成さないわけだよ。

なんにも自分のものだとは思えないね。
本当につまんないよ。

死んでくときはこんな感覚の中にいるのかな。

始末しておきたいものっていえば書き溜めてた歌詞と、メールの履歴くらいかな。

期待できる未来もないし
なんにも満たされない毎日だし
来世に期待するしかないね。
誰になんて言われても私の人生だし、できる限り思い通りに生きていきたいし、言いたいことは全部言いたい。
大はずれ。




志村の曲聴いてると不思議な気分。もう死んでるのにご苦労様です。




なんか母さんが携帯なんかいらないって言ってた意味わかった。

周りの倍努力しなきゃいけないプレッシャーと
怠けた日の罪悪感と
好きなことをできないイライラとでお腹がいっぱいだよ。


なんにも関係ないところに行きたい。喜びも悲しみもないところに。つまりあれだよね。
わたしにはなにもない
そろそろ愛想つかされる。愛している人には愛されたい。夢の中で何度も許して、許して。って泣きながら言っていた。何したんだかわからないけど。努力しなきゃ。