当ブログの管理人「ヘロ」の娘です。
突然のご報告となりますが、先日、父が他界しました。
急なことで皆様へのご連絡が遅くなってしまい申し訳ありません。
ブログの内容には手を加えずお知らせしたいと妹達とも話し合い、記事ではなく、メッセージボードでのお知らせとさせて頂きましたが、先程確認したところ携帯電話からは閲覧不可と判明しましたので、記事でも併せてお知らせ致します。
10日から私がコメントの承認をさせて頂いております。最終記事のコメント欄が埋まり、皆様にこのメッセージをご確認頂けた頃合いで、TOPも元の形に戻し、この記事は削除する予定としております。
その為、こちらの記事のみコメント欄を閉じての公開となります。
最後になりましたが、父と、このブログを必要として下さった皆様。
本当にありがとうございました。
ヘロの長女
国家あっての国民か 国民あっての国家か
激しい怒りを禁じえません。
ブログの再開を決断した時から既に予想されていたことですが
この国のあり方を根底からくつがえそうとする暴挙に、あらためて激しい怒りを覚えます。
2015年7月15日
私たちはこの日をけっして忘れるわけにはいきません。
この日が
あの悲劇的な戦争から立ち直り、戦後70年にわたって営々と築きあげてきた、平和国家というこの国のあり方が、根底から崩れさってしまうような暗黒の転換点となるのか、
それとも、この日が
そのような暴挙を打ち砕き、人間が人間らしく生きるための社会を実現するための、新たな闘いの出発点となるか、
私たちは その選択を迫られる重大な岐路に立ちました。
この強行採決によって、
誰の目から見ても明らかな 憲法違反の稀代の悪法の成立によって
すべてが終わったわけではありません。
むしろ、この悪法が悪法たる所以を満天下に知らしめるための 真の闘いが始まったと考えるべきです。
紙に記された条文にすぎないと思っていた悪法によって、いったい何が起こるか。
実際に地球の裏側にまで出兵し、子や孫や夫の命が次々に奪われていくという現実を体験することによって、
あるいはまた、交戦国の人々の恨みを買い、テロリストに絶好の口実を与えることで平和な日常が破壊され、老若男女を問わない生命が理不尽に奪われていくことで、
私たちは否応なく戦争にまきこまれ、悲惨な戦火の坩堝に身をさらすことになるのです。
このような苦渋・苦難には、なんの必然性も必要性もありません。
安倍政権のちょうちん持ちたちがまき散らす【嘘】と【隠ぺい】と【歴史の歪曲】にあざむかれてはなりません。
近代戦は科学技術の戦いであり、戦闘の素人をいくら徴兵しても無意味だ、だから徴兵制度の復活はありえない。嘘の中でもこの種の嘘は最も悪質な、きわめて犯罪的な大嘘です。
ベトナム戦争で肉弾とされ、戦場に散った若者たちは軍事のプロだったのか、アフガンや湾岸戦争で銃弾を浴び、砲撃や自爆テロによって五体をバラバラにされた若者たちは、軍事技術に精通したプロばかりだったのでしょうか。一握りの軍事エリートの周囲には、それに倍する規模の素人集団が必要とされるのです。
戦争は軍装や兵器や銃弾の消耗である以上に、人命の消耗が中心なのです。コンピュータは道具にすぎません。基本は肉弾なのです。たとえば、いくら空爆を重ねても最終的な決着は地上戦によらなければならない。軍事の常識とされるこの「地上戦」とはなにか。人命の損傷を中心とする肉弾戦に他なりません。戦争はゲームではないのです。
このような大嘘をまき散らす者たちの名をしっかりと心に刻み付けておく必要があります。
かつて大日本帝国の軍隊で「常識」とされた言葉を思い出します。
「軍装や武器弾薬は金がかかる貴重品だが、お前たちの命はハガキ一枚でいくらでも調達できる」
こううそぶいた戦争屋の末裔と、その言葉に踊らされる愚か者たちの群れが、この種の大嘘の発信源であることを忘れてはなりません。こうした戦争屋たちは、人命の損傷が進むと同時になりをひそめます。そして、自らを安全圏においたまま、大和や神風や桜花や人間魚雷回天などの特攻作戦の発案に血道をあげるようになります。この種の戦争屋の存在は、なにも大日本帝国に限るものではありません。彼らは自らが肉弾になるなどとはけっして考えません。なぜなら、自分はエリートであるのだから、肉弾となる「虫けら」どもとは命の重さが違うのだと思っているのです。 東日本の震災に際して「東北のジジババは、お国のために早く死ね」とツイートでうそぶいた高級官僚などは、明らかにこうしたエリート戦争屋の亜種ということができるでしょう。不幸なことに、いまこの国の針路を決めようとしているのは、戦争の実体験もなく、国民の命をまるで虫けらの如く見下すような、この種のエリートたちなのです。
このような苦渋・苦難には、なんの必然性も必要性もないと書きました。
この国の過去の戦争も、自国の防衛を口実に遂行されました。今となっては、それが他国を侵略し、帝国主義列強の一員として植民地争奪戦に加わるための口実にすぎなかったことが明らかとなっています。
満州国建国をめぐる列強諸国との軋轢、その結果として泥沼化していった日中戦争、そして経済封鎖を打破するために決行された日米戦争、周辺諸国民の生命や財産をむしばんだだけでなく、300万を超える自国民の生命をも犠牲にしたあの戦争を正当化し、美化しようとする動きは連綿と続き、戦勝国によって行われた東京裁判を不当だという主張もいまだに繰り返されています。そうした主張をもっとも露骨な形で表明しているのが、今回安保法案の強行採決という暴挙を遂行した安倍晋三内閣です。
この軍国主義内閣の立論は、そもそもの出発点から狂っていると言わざるをえません。
アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなど、植民地の争奪に血道をあげる帝国主義列強に伍して、自らもまた他国への侵略をめざしたことが、そもそも全ての悲劇の始まりであるという原点を無視しているのです。
自国民を貧しさから解放するために他国を侵略し、他国民の財物を収奪する必要があったと主張するのは全くの詭弁です。
多くを語る必要はありません。自国の貧しい農民たちを満州の原野に送り込み、敗戦の色が濃くなるや否や、さっさと自分たちだけは撤退し、荒涼たる原野に自国民を置き去りにした関東軍の行為が、その本質を雄弁に物語っています。
他国を平然と侵略する国家は、自国民を平然と切り捨てる棄民国家でもあるのです。
彼らにとって大切なものは、国民ではなく、彼らが君臨するために必要な国家なのです。国民あっての国家ではなく、国家あっての国民なのです。彼らにとって、国家とは国民を守るためのものではなく、ひとにぎりの巨大資本と自分たちエリートの権益を守るための装置にすぎません。国民はそのような国家を維持するための道具にすぎないのです。
もっとひらたく言えば、彼らにとっての国家とは、悲惨な災害にあえぐ東北のジジババを救うための共同体などではなく、邪魔だから早く死ねと切り捨てるような一部エリートのための権力装置にすぎないのです。
今回の安保法案の強行採決は、そうした彼らの「国家観」にまでさかのぼって理解する必要があります。
政府に批判的なメディアは叩き潰せという、ちょうちん持ち議員たちの児戯にもひとしい発言はたんなる暴言などではなく、この政権の本質だととらえるべきでしょう。
こうした文脈で見直してみると、すべてが一つにつながってきます。
生活保護の削減、社会保障制度のあいつぐ改悪、非正規労働の固定化と拡大、残業手当の廃止に代表される賃金システムの改変等々、例をあげればきりがないほどの弱者切り捨て政策の進行の、全てがひとつにつながってくるのです。
安保法制は、ただ国民をただ働きさせ、国家維持のための道具として奴隷化するだけにとどまらず、ついにはその命までいけにえにしようとする最悪の暴挙です。
今この国は棄民国家への道をふたたびひた走ろうとしています。
戦争ができる国家づくりは、ごく近い将来、この内閣の悲願とも言うべき【憲法改悪】という形で、いよいよ総仕上げに入っていくと思われます。
このような苦渋・苦難にはなんの必然性も必要性もない。
この政権はひたすら中国の驚異、北朝鮮の驚異をあおりたて、安保法制がこうした脅威にたいする備えであるかのような幻想をまき散らそうとしています。
それは本当でしょうか。
中国の領土拡大の野望は疑いありません。また、北朝鮮という専制国家の狂気もまた、疑いない驚異です。しかし、そうした脅威と対抗するために必要な自衛権はすでに確立されています。個別的自衛権で対応できる範囲を超えて、集団的自衛権を打ち出す論理的な根拠は、実はどこにもないのです。個別が集団に変わったからと言って、軍備がそれに応じて飛躍的に増強されるわけでもありません。
では、個別が集団に変わることで、何が変わるのか。
変わるのはこの海域での自国の防衛などではありません。ただ一点、自衛隊が地球の裏側にまで行って戦争できる軍隊になるということです。
つまりは、直接的な自国の防衛などではなく、いつでもどこへでもおもむいて他国=アメリカのために戦うことができる軍隊になるということです。
その必要性、必然性はあるのでしょうか。全くありません。
自国にかかわる領域内での紛争なら、軍事的備えより以上に外交的な努力が可能でしょうし、そうした努力は不断に積み重ねる必要もあります。しかし、直接の利害がなく、外交努力の道もない領域での紛争では、当事国の動きにあわせていくしかない戦争になってしまいます。つまりは、自律的な参戦ではなく、他国の意思に左右されるだけの「まきこまれ」型の参戦にならざるをえません。
では、この集団安保と日米軍事同盟によって参戦を余儀なくされる他国での戦争は、はたして世界平和に貢献するものとなるのでしょうか。
思い起こしてみるべきです。ベトナム戦争を。アフガンを。湾岸を。そしてイラク進攻を。
たとえばイラクでは大量破壊兵器の存在を開戦の口実にしながらついにその存在を証明することなどできず、ISのような化け物を生み出すだけの結果となったアメリカの迷走を思い起こすべきでしょう。あの戦争が残したものは、泥沼としか言いようのない中東の混乱と、当時の大統領であるブッシュ氏が営んでいた軍事産業の肥大化だけだったのです。
このような迷走国家に従属的につきしたがっていくことが、はたして世界平和に貢献することになるのでしょうか。なるはずがありません。
しかも今回の安保法制で改悪されるPKO協力法案では、「国連主導でない国際協力にも派遣」とし、武器使用基準を緩和して「治安維持まで任務を拡大」するとされています。
つまりは、大義名分である国連の旗まではずし、同盟国アメリカのためだけの治安維持=テロリストの捜索と掃討まで請け負う軍隊になると明記されているのです。これでは自らすすんでテロリストの標的になると宣言するにひとしい改悪と言わざるをえません。
さらに言えば、戦場は中東地域だけでなく、日本国内にまで広がる可能性を秘めた恐ろしい文言と言わざるをえません。欧州各国でいま問題となっているテロ事件が、いつ国内で発生してもおかしくない状況が作り出されるということです。
そこまでしてアメリカに奉仕する必然性、必要性ははたしてあるのでしょうか。
断じてないと言わざるをえません。
ここまで書くと、「国内に基地を置き、米兵を配置し、国を守ってもらっているのだからやむをえない」という愚かな意見が出てくると思われます。
それこそまさに奴隷根性と言うべきでしょう。日本はアメリカの属国ではないのです。
これほど大量の他国軍隊の基地が配置されている先進国は日本以外には存在しない。
いま問題となっているギリシャの場合を考えてみるべきです。冷戦下で東西の狭間の最前線に位置してきたギリシャは、自国内に米軍基地を置く代償に年間5億ドルの援助を引き出し、「領空・領土内の米軍の移動はギリシャ政府の許可が必要」「米兵犯罪はギリシャ国内法で裁く」と定めてきたのです。事実上の治外法権を容認し、援助どころか駐留米軍の経費の一部まで負担する日本とのあまりの違いに驚かざるをえません。考え方に根本的な違いがあるのです。たしかに米軍はギリシャを守っている。しかし、それはアメリカのためでもあるのだ。土地は貸すから、地代は払えという考え方です。
これに比べて『守ってもらっている』という発想の、なんと卑屈なことか。
強行採決までして安保法案を成立させようとする安倍政権の目論見は、そうした卑屈な隷属関係を固定化するばかりか、さらに従属的な奴隷状態にまで進めようとするものです。奴隷になりたければ、それを望むエリートたちだけでなるがよい。そのために国民の命をいけにえに差し出すような真似は断じて許すべきではありません。
まだまだ書くべきことはあります。
しかし、多岐にわたる今回の法制の害悪を書ききるには体力も紙面も足りません。
多くは皆さん自身の目と耳と頭で確かめてもらいたいと思います。
結論を急ぎます。
この憲法破壊の暴挙に際して、この政権にすり寄る者たちの手で悪質な嘘、歴史の歪曲、隠ぺいが意図的に流布されています。冒頭に書いた「徴兵はありえない」などという欺瞞などはその最たるものです。お涙頂戴の作文技法で特攻を美化した作家は、沖縄の新聞2社をつぶせと高言し、米軍基地のなりたちについても看過できないような嘘を流布しました。批判を浴びると「あれは冗談だ」と逃げ、その舌の根もかわかぬうちに「いや、本気だ」などと意見を二転三転させ、指摘された嘘については釈明の姿勢すら見せません。あげくのはてには、軍隊をもたない南太平洋の国々を「泥棒に入っても盗るものもない貧乏長屋」とさげすむ発言を行うなど、人間としての見識を疑わざるをえない言動を繰り返しています。
注目すべきは、こうした人々がけっして錯誤や誤解によってそうした言動を重ねているのではないということです。実に意図的な行動と見るべきです。
時代が暗転するとき、こうした輩は必ず醜い鎌首をもたげてきます。権力の甘い蜜に群がり、おのれの利得のためには平然と大衆をあざむこうとする者たちです。
こうした者たちの本質を見抜くためには、粘り強い事実の積み重ねと批判を続けていくしかありません。
法案は強行採決されました。
しかし、これで終わったわけではなく、本当の闘いがはじまったのだと理解すべきでしょう。
欺瞞は事実によって打ち砕かれなければなりません。
危険はないと強弁した安倍晋三氏の発言は、不幸なことですが、実際に自衛隊員が命を落とすという現実によってその欺瞞性を暴かれることになるでしょう。
今回の暴挙は様々な形での違憲訴訟の火種をかかえています。この悪法は悪法であるがゆえに様々な矛盾をはらみ、事実によって打ち砕かれるべき脆弱性をもっています。
愚かにも憲法学者の批判を黙殺した償いは履行せざるをえなくなるでしょう。憲法に反するか否かを判定するのは立法府=国会ではありません。行政でもありません。司法です。
今回の暴挙は、安倍政権が立法府の原理原則を無視し、行政を司法・立法の上に置く、正真正銘の独裁政権にほかならないことを明らかにしました。
憲法にそむく者は憲法によって裁かれなければなりません。
まずは壮大な規模での違憲訴訟の奔流で、この独裁政権を包囲しなければなりません。
安倍政権が目論む来年の参院選挙での改憲要件の成立を阻止しなければなりません。
闘いは、いまこの時、始まったばかりなのです。
激しい怒りを禁じえません。
ブログの再開を決断した時から既に予想されていたことですが
この国のあり方を根底からくつがえそうとする暴挙に、あらためて激しい怒りを覚えます。
2015年7月15日
私たちはこの日をけっして忘れるわけにはいきません。
この日が
あの悲劇的な戦争から立ち直り、戦後70年にわたって営々と築きあげてきた、平和国家というこの国のあり方が、根底から崩れさってしまうような暗黒の転換点となるのか、
それとも、この日が
そのような暴挙を打ち砕き、人間が人間らしく生きるための社会を実現するための、新たな闘いの出発点となるか、
私たちは その選択を迫られる重大な岐路に立ちました。
この強行採決によって、
誰の目から見ても明らかな 憲法違反の稀代の悪法の成立によって
すべてが終わったわけではありません。
むしろ、この悪法が悪法たる所以を満天下に知らしめるための 真の闘いが始まったと考えるべきです。
紙に記された条文にすぎないと思っていた悪法によって、いったい何が起こるか。
実際に地球の裏側にまで出兵し、子や孫や夫の命が次々に奪われていくという現実を体験することによって、
あるいはまた、交戦国の人々の恨みを買い、テロリストに絶好の口実を与えることで平和な日常が破壊され、老若男女を問わない生命が理不尽に奪われていくことで、
私たちは否応なく戦争にまきこまれ、悲惨な戦火の坩堝に身をさらすことになるのです。
このような苦渋・苦難には、なんの必然性も必要性もありません。
安倍政権のちょうちん持ちたちがまき散らす【嘘】と【隠ぺい】と【歴史の歪曲】にあざむかれてはなりません。
近代戦は科学技術の戦いであり、戦闘の素人をいくら徴兵しても無意味だ、だから徴兵制度の復活はありえない。嘘の中でもこの種の嘘は最も悪質な、きわめて犯罪的な大嘘です。
ベトナム戦争で肉弾とされ、戦場に散った若者たちは軍事のプロだったのか、アフガンや湾岸戦争で銃弾を浴び、砲撃や自爆テロによって五体をバラバラにされた若者たちは、軍事技術に精通したプロばかりだったのでしょうか。一握りの軍事エリートの周囲には、それに倍する規模の素人集団が必要とされるのです。
戦争は軍装や兵器や銃弾の消耗である以上に、人命の消耗が中心なのです。コンピュータは道具にすぎません。基本は肉弾なのです。たとえば、いくら空爆を重ねても最終的な決着は地上戦によらなければならない。軍事の常識とされるこの「地上戦」とはなにか。人命の損傷を中心とする肉弾戦に他なりません。戦争はゲームではないのです。
このような大嘘をまき散らす者たちの名をしっかりと心に刻み付けておく必要があります。
かつて大日本帝国の軍隊で「常識」とされた言葉を思い出します。
「軍装や武器弾薬は金がかかる貴重品だが、お前たちの命はハガキ一枚でいくらでも調達できる」
こううそぶいた戦争屋の末裔と、その言葉に踊らされる愚か者たちの群れが、この種の大嘘の発信源であることを忘れてはなりません。こうした戦争屋たちは、人命の損傷が進むと同時になりをひそめます。そして、自らを安全圏においたまま、大和や神風や桜花や人間魚雷回天などの特攻作戦の発案に血道をあげるようになります。この種の戦争屋の存在は、なにも大日本帝国に限るものではありません。彼らは自らが肉弾になるなどとはけっして考えません。なぜなら、自分はエリートであるのだから、肉弾となる「虫けら」どもとは命の重さが違うのだと思っているのです。 東日本の震災に際して「東北のジジババは、お国のために早く死ね」とツイートでうそぶいた高級官僚などは、明らかにこうしたエリート戦争屋の亜種ということができるでしょう。不幸なことに、いまこの国の針路を決めようとしているのは、戦争の実体験もなく、国民の命をまるで虫けらの如く見下すような、この種のエリートたちなのです。
このような苦渋・苦難には、なんの必然性も必要性もないと書きました。
この国の過去の戦争も、自国の防衛を口実に遂行されました。今となっては、それが他国を侵略し、帝国主義列強の一員として植民地争奪戦に加わるための口実にすぎなかったことが明らかとなっています。
満州国建国をめぐる列強諸国との軋轢、その結果として泥沼化していった日中戦争、そして経済封鎖を打破するために決行された日米戦争、周辺諸国民の生命や財産をむしばんだだけでなく、300万を超える自国民の生命をも犠牲にしたあの戦争を正当化し、美化しようとする動きは連綿と続き、戦勝国によって行われた東京裁判を不当だという主張もいまだに繰り返されています。そうした主張をもっとも露骨な形で表明しているのが、今回安保法案の強行採決という暴挙を遂行した安倍晋三内閣です。
この軍国主義内閣の立論は、そもそもの出発点から狂っていると言わざるをえません。
アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなど、植民地の争奪に血道をあげる帝国主義列強に伍して、自らもまた他国への侵略をめざしたことが、そもそも全ての悲劇の始まりであるという原点を無視しているのです。
自国民を貧しさから解放するために他国を侵略し、他国民の財物を収奪する必要があったと主張するのは全くの詭弁です。
多くを語る必要はありません。自国の貧しい農民たちを満州の原野に送り込み、敗戦の色が濃くなるや否や、さっさと自分たちだけは撤退し、荒涼たる原野に自国民を置き去りにした関東軍の行為が、その本質を雄弁に物語っています。
他国を平然と侵略する国家は、自国民を平然と切り捨てる棄民国家でもあるのです。
彼らにとって大切なものは、国民ではなく、彼らが君臨するために必要な国家なのです。国民あっての国家ではなく、国家あっての国民なのです。彼らにとって、国家とは国民を守るためのものではなく、ひとにぎりの巨大資本と自分たちエリートの権益を守るための装置にすぎません。国民はそのような国家を維持するための道具にすぎないのです。
もっとひらたく言えば、彼らにとっての国家とは、悲惨な災害にあえぐ東北のジジババを救うための共同体などではなく、邪魔だから早く死ねと切り捨てるような一部エリートのための権力装置にすぎないのです。
今回の安保法案の強行採決は、そうした彼らの「国家観」にまでさかのぼって理解する必要があります。
政府に批判的なメディアは叩き潰せという、ちょうちん持ち議員たちの児戯にもひとしい発言はたんなる暴言などではなく、この政権の本質だととらえるべきでしょう。
こうした文脈で見直してみると、すべてが一つにつながってきます。
生活保護の削減、社会保障制度のあいつぐ改悪、非正規労働の固定化と拡大、残業手当の廃止に代表される賃金システムの改変等々、例をあげればきりがないほどの弱者切り捨て政策の進行の、全てがひとつにつながってくるのです。
安保法制は、ただ国民をただ働きさせ、国家維持のための道具として奴隷化するだけにとどまらず、ついにはその命までいけにえにしようとする最悪の暴挙です。
今この国は棄民国家への道をふたたびひた走ろうとしています。
戦争ができる国家づくりは、ごく近い将来、この内閣の悲願とも言うべき【憲法改悪】という形で、いよいよ総仕上げに入っていくと思われます。
このような苦渋・苦難にはなんの必然性も必要性もない。
この政権はひたすら中国の驚異、北朝鮮の驚異をあおりたて、安保法制がこうした脅威にたいする備えであるかのような幻想をまき散らそうとしています。
それは本当でしょうか。
中国の領土拡大の野望は疑いありません。また、北朝鮮という専制国家の狂気もまた、疑いない驚異です。しかし、そうした脅威と対抗するために必要な自衛権はすでに確立されています。個別的自衛権で対応できる範囲を超えて、集団的自衛権を打ち出す論理的な根拠は、実はどこにもないのです。個別が集団に変わったからと言って、軍備がそれに応じて飛躍的に増強されるわけでもありません。
では、個別が集団に変わることで、何が変わるのか。
変わるのはこの海域での自国の防衛などではありません。ただ一点、自衛隊が地球の裏側にまで行って戦争できる軍隊になるということです。
つまりは、直接的な自国の防衛などではなく、いつでもどこへでもおもむいて他国=アメリカのために戦うことができる軍隊になるということです。
その必要性、必然性はあるのでしょうか。全くありません。
自国にかかわる領域内での紛争なら、軍事的備えより以上に外交的な努力が可能でしょうし、そうした努力は不断に積み重ねる必要もあります。しかし、直接の利害がなく、外交努力の道もない領域での紛争では、当事国の動きにあわせていくしかない戦争になってしまいます。つまりは、自律的な参戦ではなく、他国の意思に左右されるだけの「まきこまれ」型の参戦にならざるをえません。
では、この集団安保と日米軍事同盟によって参戦を余儀なくされる他国での戦争は、はたして世界平和に貢献するものとなるのでしょうか。
思い起こしてみるべきです。ベトナム戦争を。アフガンを。湾岸を。そしてイラク進攻を。
たとえばイラクでは大量破壊兵器の存在を開戦の口実にしながらついにその存在を証明することなどできず、ISのような化け物を生み出すだけの結果となったアメリカの迷走を思い起こすべきでしょう。あの戦争が残したものは、泥沼としか言いようのない中東の混乱と、当時の大統領であるブッシュ氏が営んでいた軍事産業の肥大化だけだったのです。
このような迷走国家に従属的につきしたがっていくことが、はたして世界平和に貢献することになるのでしょうか。なるはずがありません。
しかも今回の安保法制で改悪されるPKO協力法案では、「国連主導でない国際協力にも派遣」とし、武器使用基準を緩和して「治安維持まで任務を拡大」するとされています。
つまりは、大義名分である国連の旗まではずし、同盟国アメリカのためだけの治安維持=テロリストの捜索と掃討まで請け負う軍隊になると明記されているのです。これでは自らすすんでテロリストの標的になると宣言するにひとしい改悪と言わざるをえません。
さらに言えば、戦場は中東地域だけでなく、日本国内にまで広がる可能性を秘めた恐ろしい文言と言わざるをえません。欧州各国でいま問題となっているテロ事件が、いつ国内で発生してもおかしくない状況が作り出されるということです。
そこまでしてアメリカに奉仕する必然性、必要性ははたしてあるのでしょうか。
断じてないと言わざるをえません。
ここまで書くと、「国内に基地を置き、米兵を配置し、国を守ってもらっているのだからやむをえない」という愚かな意見が出てくると思われます。
それこそまさに奴隷根性と言うべきでしょう。日本はアメリカの属国ではないのです。
これほど大量の他国軍隊の基地が配置されている先進国は日本以外には存在しない。
いま問題となっているギリシャの場合を考えてみるべきです。冷戦下で東西の狭間の最前線に位置してきたギリシャは、自国内に米軍基地を置く代償に年間5億ドルの援助を引き出し、「領空・領土内の米軍の移動はギリシャ政府の許可が必要」「米兵犯罪はギリシャ国内法で裁く」と定めてきたのです。事実上の治外法権を容認し、援助どころか駐留米軍の経費の一部まで負担する日本とのあまりの違いに驚かざるをえません。考え方に根本的な違いがあるのです。たしかに米軍はギリシャを守っている。しかし、それはアメリカのためでもあるのだ。土地は貸すから、地代は払えという考え方です。
これに比べて『守ってもらっている』という発想の、なんと卑屈なことか。
強行採決までして安保法案を成立させようとする安倍政権の目論見は、そうした卑屈な隷属関係を固定化するばかりか、さらに従属的な奴隷状態にまで進めようとするものです。奴隷になりたければ、それを望むエリートたちだけでなるがよい。そのために国民の命をいけにえに差し出すような真似は断じて許すべきではありません。
まだまだ書くべきことはあります。
しかし、多岐にわたる今回の法制の害悪を書ききるには体力も紙面も足りません。
多くは皆さん自身の目と耳と頭で確かめてもらいたいと思います。
結論を急ぎます。
この憲法破壊の暴挙に際して、この政権にすり寄る者たちの手で悪質な嘘、歴史の歪曲、隠ぺいが意図的に流布されています。冒頭に書いた「徴兵はありえない」などという欺瞞などはその最たるものです。お涙頂戴の作文技法で特攻を美化した作家は、沖縄の新聞2社をつぶせと高言し、米軍基地のなりたちについても看過できないような嘘を流布しました。批判を浴びると「あれは冗談だ」と逃げ、その舌の根もかわかぬうちに「いや、本気だ」などと意見を二転三転させ、指摘された嘘については釈明の姿勢すら見せません。あげくのはてには、軍隊をもたない南太平洋の国々を「泥棒に入っても盗るものもない貧乏長屋」とさげすむ発言を行うなど、人間としての見識を疑わざるをえない言動を繰り返しています。
注目すべきは、こうした人々がけっして錯誤や誤解によってそうした言動を重ねているのではないということです。実に意図的な行動と見るべきです。
時代が暗転するとき、こうした輩は必ず醜い鎌首をもたげてきます。権力の甘い蜜に群がり、おのれの利得のためには平然と大衆をあざむこうとする者たちです。
こうした者たちの本質を見抜くためには、粘り強い事実の積み重ねと批判を続けていくしかありません。
法案は強行採決されました。
しかし、これで終わったわけではなく、本当の闘いがはじまったのだと理解すべきでしょう。
欺瞞は事実によって打ち砕かれなければなりません。
危険はないと強弁した安倍晋三氏の発言は、不幸なことですが、実際に自衛隊員が命を落とすという現実によってその欺瞞性を暴かれることになるでしょう。
今回の暴挙は様々な形での違憲訴訟の火種をかかえています。この悪法は悪法であるがゆえに様々な矛盾をはらみ、事実によって打ち砕かれるべき脆弱性をもっています。
愚かにも憲法学者の批判を黙殺した償いは履行せざるをえなくなるでしょう。憲法に反するか否かを判定するのは立法府=国会ではありません。行政でもありません。司法です。
今回の暴挙は、安倍政権が立法府の原理原則を無視し、行政を司法・立法の上に置く、正真正銘の独裁政権にほかならないことを明らかにしました。
憲法にそむく者は憲法によって裁かれなければなりません。
まずは壮大な規模での違憲訴訟の奔流で、この独裁政権を包囲しなければなりません。
安倍政権が目論む来年の参院選挙での改憲要件の成立を阻止しなければなりません。
闘いは、いまこの時、始まったばかりなのです。
本稿をもって当ブログの最終記事とさせていただきます。
突然の休止は専ら肉体的なもので、たったこれだけの文章にも時間を要し、そのため伝えたいことの何分の一しか伝えられないという現状です、。
ひどい頭痛と吐き気に悩まされながら、これ以上の発信を続けるのは無理と判断しました。
最終テーマである咲庵の事件については、当方にも幾分かのデータはあり、必要があるならばいつでもそれを出す用意もあることを明記しておきます。
そっけない別れの言葉にんりますが、ご了解ください。
突然の休止は専ら肉体的なもので、たったこれだけの文章にも時間を要し、そのため伝えたいことの何分の一しか伝えられないという現状です、。
ひどい頭痛と吐き気に悩まされながら、これ以上の発信を続けるのは無理と判断しました。
最終テーマである咲庵の事件については、当方にも幾分かのデータはあり、必要があるならばいつでもそれを出す用意もあることを明記しておきます。
そっけない別れの言葉にんりますが、ご了解ください。
体調の報告とお詫び
先月来、やゝ重篤な体調不良のため体重が激減し、伏せっております。
暑くなると毎年のこと、とタカをくくっていましたが、入院加療のやむなきに至りました。
ブログの更新もままならず、ご心配をおかけしていることを、まずお詫びいたします。
病床の徒然、大好きな佐々木譲さんの警察小説を読み返しています。
名作長編「警官の血」にまさるとも劣らない作品に「制服捜査」があります。
一見すると連作短編のように見えながら、通読し終えると実は全体として一つの長編であることに気づかされるトリッキーな構成の作品です。
しかも、少年少女たちを襲う悲劇の背後にあらわれてくる、地方権力の闇が描かれています。
北海道の小さな町を舞台に、いじめ、非行といった事件が隠ぺいされ、その隠ぺいによってさらに悲劇が拡大する。単純な保身や建前だけでない。隠ぺいには具体的な利害がからむものだということが、淡々と、リアルに、しかも切々と描かれています。
佐々木譲さんといえば「しんぶん赤旗」に怪傑黒頭巾という小説を連載されていたように記憶します。
編集部の意向で、刀をふりまわしたり、銃をドンパチは避けてと言われ、やむなく鞭の名手としたそうですが、赤旗もこういうカタパンな姿勢はもう卒業したのでしょうか?
で、佐々木氏はしたがって「赤い政党に尻尾をふる」作家かと言われれば、もとろんそうではありません。しかしながら、どうしてもそういう「レッテル」を貼ることでしか自分の主張の「正当性」を訴えることができない人間も、いまだに多いように思えます。
少し前に「アカ攻撃」というものの本質について書きましたが、それはまともな意見の展開を回避し、ただ相手を誹謗中傷するためにだけ利用される児戯のようなものでしょう。
かくいうヘロも宮崎県知事ブログのコメント欄で「赤い政党の屁」という立派な称号をたまわりました(笑)
咲庵という人物の 実に品性下劣な行為について
本日のテーマは佐々木譲さんの作品についてではありません。
ヘロを名指しで貶めた(=貶めたつもりの)この種の妄言の発信者についてです。
ことがヘロ単独のことで終わるものなら、こういう愚かな小児病患者と殊更ことを構える気などは毛頭もありません。
しかし、こうした妄言・妄動がヘロ以外の方々をも標的とし、しかも、そのかたがたの縁者やご家族をも傷つける形で広がっていることを知るに至り、このまま放置しておいてはいけないと判断したのです。
本日の記事は、したがってとても不愉快なものにならざるをえません。
自分にはかかわりのないこと、そう思われる方はスルーしていただきたいと思います。
この人物。メインは咲庵といい、その他にもアメーバの入会退会を頻繁に繰り返し、「芸名」もコロコロと変え、性別すら偽る癖があるようですが、プロバイダーに照会するまでもなくその身元はほぼ特定できました。もちろん、いざ訴訟となれば照会の手続きも必要になりますが、さほど難渋することもなさそうです。
この人物の標的とされてきたのは、ヘロをのぞいて、月山さん、まいらさん、♪さん、Sさん(ヨノスケさん)など、そこまで広がるかと思えるほどの方々です。こちらで掌握していない方々を含めれば、どれほどの数になるかは分かりません。
攻撃の手口はいたって単純です。いわゆる「さらし」という手口で、それが事実であるか否かにかかわりなく、相手が傷つくであろうと咲庵が勝手に判断した《事実》をネット上に暴露し、相手に打撃を与えようとするものです。
月山さんや♪さんの場合は口汚く罵ることがメインですが、多少とも家族情報を入手できる場合は、それを非人間的な形で歪曲し悪用しようとします。
まいらさんの場合は、離婚によって離れ離れになった息子さんのことが平然と悪用され、Sさんの場合はかつて自死という形で世を去られたお兄さんのことが悪用されました。
相手を攻撃するためには手段を択ばないのもこの男の特徴です。個人が趣味として参加しているゲームの世界にまで現れ、そのコメント欄で「さらし」行為をおこなうのです。
攻撃対象はおろか、それ以外の関係者、故人、子供にまで牙を向け、平然と傷つけるのです。
この男の「感覚」が世間の人間の常識とどれほどズレているか。
一例としてヘロの場合をあげると、「練馬区小竹町」というヘロの居住地が、まるで鬼の首でもとったかのようにさらされたのです。
これには爆笑してしまいました。どこが「さらし」か? いや、そんな単純さではだめですね。「住所地」は個人情報の中枢であり、これだけでも刑事告発・民事訴訟が成立するほどの重大な不法行為です。身にやましいことがある咲庵のような人物にとっては、それこそ身の毛がよだつほど恐ろしい「秘密の暴露」になるのでしょう。
つまりは「自分の尺度」でしか相手を計ることができない自己中心的な幼児同然の人間だということです。
笑止なことはこれにとどまりません。
かつてこのブログのコメント欄で「さらし」行為をおこなったとき、ヘロは民事だけでなく刑事告発の対象になると警告しました。
そして、その警告を受けた咲庵は、今度は「他人のマント」の袖に隠れようとし始めたのです。具体的には、宮崎県新富町の事件で、しきりに行政をかばい、少年の死の原因を家庭や遺伝による方向に誘導しようとしているオオイタッコ女史にせっせと「暴露」情報を送り、彼女の手で発表させようと画策しはじめたのです。もはや、その行動は常軌を逸していると言わざるをえません。
おぞましいことに、かれは新富町事件のご遺族に寄り添い、ご遺族のために行動していると称しています。オオイタッコ女史にすり寄りながら本気でそう思っているとしたら、それは世間の常識とズレている云々のレベルではありません。
月山さんは、そうした意味不明な攻撃など、まったく意には介されないでしょう。
まして正々堂々と真正面から論戦を挑まれるなら、ただしく受けて立とうともされるでしょうし、おのれに寸毫の非でも感じれば、素直に謝罪もされる方です。
しかし、♪さんやSさんは、この理不尽な攻撃から身を守り、心の平安を保つためにネットからは遠ざかられました。まいらさんはぎりぎりの所で踏みとどまり、訴訟準備に入っておられます。
この人間の常識離れした攻撃によって、すでに判明した5人のうち2人はネット世界での発信を休止されました。のんびり屋のヘロもさすがに怒りを禁じえません。これでは、言語道断な言論弾圧を進める安倍一党と同質同類の存在ではないか。
咲庵に告ぐ
無理を通せば 道理が引っ込む。そんなバカなことは断じて許さない。
何が引き金になったのかは知らない。
しかし、ヘロ自身をふりかえってみても「意見の相違」があった痕跡はどこにもない。
あるとすれば、君の錯乱したコメントを「削除」したことと、コメントを「承認制」に切り替えたことだけで、そのいずれも他ならぬ君自身の身勝手さが招いた結果にすぎない。
君の心の負の琴線にとって、なにがその禁忌に触れたのかを考える必要もないことだ。
そんなことに興味もない。
君が語ってきたことの全てに、いまは偽りの匂いを感じる。
どのようないきさつであれ、爪楊枝で刺されたほどの痛みにさえも耐えきれず、逆に無辜の人々を平然と傷つけるような児戯にもひとしい感性は、すくなくとも不惑にも達する成人のものとは受け止めがたい。
あらためて警告する。理不尽には、断固たる措置で対応する。肝に銘じよ。
先月来、やゝ重篤な体調不良のため体重が激減し、伏せっております。
暑くなると毎年のこと、とタカをくくっていましたが、入院加療のやむなきに至りました。
ブログの更新もままならず、ご心配をおかけしていることを、まずお詫びいたします。
病床の徒然、大好きな佐々木譲さんの警察小説を読み返しています。
名作長編「警官の血」にまさるとも劣らない作品に「制服捜査」があります。
一見すると連作短編のように見えながら、通読し終えると実は全体として一つの長編であることに気づかされるトリッキーな構成の作品です。
しかも、少年少女たちを襲う悲劇の背後にあらわれてくる、地方権力の闇が描かれています。
北海道の小さな町を舞台に、いじめ、非行といった事件が隠ぺいされ、その隠ぺいによってさらに悲劇が拡大する。単純な保身や建前だけでない。隠ぺいには具体的な利害がからむものだということが、淡々と、リアルに、しかも切々と描かれています。
佐々木譲さんといえば「しんぶん赤旗」に怪傑黒頭巾という小説を連載されていたように記憶します。
編集部の意向で、刀をふりまわしたり、銃をドンパチは避けてと言われ、やむなく鞭の名手としたそうですが、赤旗もこういうカタパンな姿勢はもう卒業したのでしょうか?
で、佐々木氏はしたがって「赤い政党に尻尾をふる」作家かと言われれば、もとろんそうではありません。しかしながら、どうしてもそういう「レッテル」を貼ることでしか自分の主張の「正当性」を訴えることができない人間も、いまだに多いように思えます。
少し前に「アカ攻撃」というものの本質について書きましたが、それはまともな意見の展開を回避し、ただ相手を誹謗中傷するためにだけ利用される児戯のようなものでしょう。
かくいうヘロも宮崎県知事ブログのコメント欄で「赤い政党の屁」という立派な称号をたまわりました(笑)
咲庵という人物の 実に品性下劣な行為について
本日のテーマは佐々木譲さんの作品についてではありません。
ヘロを名指しで貶めた(=貶めたつもりの)この種の妄言の発信者についてです。
ことがヘロ単独のことで終わるものなら、こういう愚かな小児病患者と殊更ことを構える気などは毛頭もありません。
しかし、こうした妄言・妄動がヘロ以外の方々をも標的とし、しかも、そのかたがたの縁者やご家族をも傷つける形で広がっていることを知るに至り、このまま放置しておいてはいけないと判断したのです。
本日の記事は、したがってとても不愉快なものにならざるをえません。
自分にはかかわりのないこと、そう思われる方はスルーしていただきたいと思います。
この人物。メインは咲庵といい、その他にもアメーバの入会退会を頻繁に繰り返し、「芸名」もコロコロと変え、性別すら偽る癖があるようですが、プロバイダーに照会するまでもなくその身元はほぼ特定できました。もちろん、いざ訴訟となれば照会の手続きも必要になりますが、さほど難渋することもなさそうです。
この人物の標的とされてきたのは、ヘロをのぞいて、月山さん、まいらさん、♪さん、Sさん(ヨノスケさん)など、そこまで広がるかと思えるほどの方々です。こちらで掌握していない方々を含めれば、どれほどの数になるかは分かりません。
攻撃の手口はいたって単純です。いわゆる「さらし」という手口で、それが事実であるか否かにかかわりなく、相手が傷つくであろうと咲庵が勝手に判断した《事実》をネット上に暴露し、相手に打撃を与えようとするものです。
月山さんや♪さんの場合は口汚く罵ることがメインですが、多少とも家族情報を入手できる場合は、それを非人間的な形で歪曲し悪用しようとします。
まいらさんの場合は、離婚によって離れ離れになった息子さんのことが平然と悪用され、Sさんの場合はかつて自死という形で世を去られたお兄さんのことが悪用されました。
相手を攻撃するためには手段を択ばないのもこの男の特徴です。個人が趣味として参加しているゲームの世界にまで現れ、そのコメント欄で「さらし」行為をおこなうのです。
攻撃対象はおろか、それ以外の関係者、故人、子供にまで牙を向け、平然と傷つけるのです。
この男の「感覚」が世間の人間の常識とどれほどズレているか。
一例としてヘロの場合をあげると、「練馬区小竹町」というヘロの居住地が、まるで鬼の首でもとったかのようにさらされたのです。
これには爆笑してしまいました。どこが「さらし」か? いや、そんな単純さではだめですね。「住所地」は個人情報の中枢であり、これだけでも刑事告発・民事訴訟が成立するほどの重大な不法行為です。身にやましいことがある咲庵のような人物にとっては、それこそ身の毛がよだつほど恐ろしい「秘密の暴露」になるのでしょう。
つまりは「自分の尺度」でしか相手を計ることができない自己中心的な幼児同然の人間だということです。
笑止なことはこれにとどまりません。
かつてこのブログのコメント欄で「さらし」行為をおこなったとき、ヘロは民事だけでなく刑事告発の対象になると警告しました。
そして、その警告を受けた咲庵は、今度は「他人のマント」の袖に隠れようとし始めたのです。具体的には、宮崎県新富町の事件で、しきりに行政をかばい、少年の死の原因を家庭や遺伝による方向に誘導しようとしているオオイタッコ女史にせっせと「暴露」情報を送り、彼女の手で発表させようと画策しはじめたのです。もはや、その行動は常軌を逸していると言わざるをえません。
おぞましいことに、かれは新富町事件のご遺族に寄り添い、ご遺族のために行動していると称しています。オオイタッコ女史にすり寄りながら本気でそう思っているとしたら、それは世間の常識とズレている云々のレベルではありません。
月山さんは、そうした意味不明な攻撃など、まったく意には介されないでしょう。
まして正々堂々と真正面から論戦を挑まれるなら、ただしく受けて立とうともされるでしょうし、おのれに寸毫の非でも感じれば、素直に謝罪もされる方です。
しかし、♪さんやSさんは、この理不尽な攻撃から身を守り、心の平安を保つためにネットからは遠ざかられました。まいらさんはぎりぎりの所で踏みとどまり、訴訟準備に入っておられます。
この人間の常識離れした攻撃によって、すでに判明した5人のうち2人はネット世界での発信を休止されました。のんびり屋のヘロもさすがに怒りを禁じえません。これでは、言語道断な言論弾圧を進める安倍一党と同質同類の存在ではないか。
咲庵に告ぐ
無理を通せば 道理が引っ込む。そんなバカなことは断じて許さない。
何が引き金になったのかは知らない。
しかし、ヘロ自身をふりかえってみても「意見の相違」があった痕跡はどこにもない。
あるとすれば、君の錯乱したコメントを「削除」したことと、コメントを「承認制」に切り替えたことだけで、そのいずれも他ならぬ君自身の身勝手さが招いた結果にすぎない。
君の心の負の琴線にとって、なにがその禁忌に触れたのかを考える必要もないことだ。
そんなことに興味もない。
君が語ってきたことの全てに、いまは偽りの匂いを感じる。
どのようないきさつであれ、爪楊枝で刺されたほどの痛みにさえも耐えきれず、逆に無辜の人々を平然と傷つけるような児戯にもひとしい感性は、すくなくとも不惑にも達する成人のものとは受け止めがたい。
あらためて警告する。理不尽には、断固たる措置で対応する。肝に銘じよ。
1分で所在不明児童の問題がわかる動画を公開しました!
Childfirst tan 日本
2015年4月28日 — より多くの方々に所在不明児童の問題について理解していただけるように、動画を作成・公開しました。
「【1分でわかる】所在不明児童対応に必要なこと」
https://www.youtube.com/watch?v=WtUCmYOmm6w&feature=em-upload_owner
5月8日に厚生労働省へ提出するまで、あと12日!
1人でも多くの方にこの問題に関心を持っていただき、2万人以上の方々から署名が集まるように、動画のシェアおよび署名の呼びかけにご協力いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
25,000人まで残り5,444人の賛同者が必要です!
ケアの必要な子どもを「無視」しないで!
「所在不明」の子どもをもれなく確認できる
システムの設立を求めます
今年5月(註:この記事は昨年のもの)、5歳の男の子の遺体が、7年もの間放置され、白骨遺体として発見された事件を憶えている方も多いのではないでしょうか?
この男の子は3歳の時、朝4時半にTシャツにオムツ、裸足のまま路上を歩いているところを保護されたこともありましたが、「ただの迷子」として処理されていました。
さらに、小学校入学前の健診も受診せず、小学校に1度も登校しないままでしたが、実態がわからないまま調査は打ち切られていました。
行政が男の子の不在に気付くチャンスは何度もあったにも関わらず、7年もの間、だれもこの悲劇に気づくことができなかったのです。
現在、この事件と同じような、行政が生活を把握できていない「所在不明」の子どもが、日本に少なくとも1600人以上いることがわかっています。
この様な、定期的な乳幼児健診を受けていなかったり、住民票はあるのに学校に通っていない、といった、行政が把握できていない子どもたちを「所在不明児」と呼んでいます。
このような子どもたちは、虐待やネグレクト(育児放棄)の被害にあっている可能性があります。それなのに彼らは、行政のチェックの目からもれてしまい、声を上げることもできず、保護してくれるはずの行政から、「無視」されているのです。
現在の制度では、各自治体や現場で、行政の様々な部署が集まって保護の必要な児童を協議する場を設けていますが、他の部署と連携して踏み込んだ捜索まで現在の制度は十分に機能できていません。
また、「所在不明」となってしまう子どもの多くは、親がDVや虐待の加害者から身を隠すために、住民票を移動させないようにしているケースも多くあります。引っ越したことを自治体に届け出ると、それまで住んでいた自治体に引っ越し先の記録が残ってしまい、加害者にばれてしまう可能性があるためです。
そのため、自治体ではなく、国の官庁が、「所在不明」となっている子どもの情報をまとめて管理することがとても大切なのです。
そこで、この1600人以上いる「所在不明」の子どもたちが、あの事件のような悲劇に二度とあわないために、これ以上、「無視」されない新しい仕組みを作ってほしいと、国に訴えていきます。
社会に見守られていれば助かったはずの子どもが、大人の事情に巻き込まれてセーフティネットの網目から落ち、何の非もない命を落とすという悲劇をもう見たくありません。子どもたちの安全を守るのは、私たち大人の責任です。
子どもたちの未来のため、皆様のご協力をお願い申し上げます。
署名をしようと思われる方はこちらへ
キャンペーン詳細
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子育て支援・発達支援・DV/虐待対応の現場に携わる若手支援者と研究者による有志チーム(@childfirsttan)
NPO法人子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク理事長 山田不二子医師
======
所在不明児童対応のポイントを1分で説明した動画を公開しました。こちらからご覧ください。
https://youtu.be/WtUCmYOmm6w
子ども虐待防止ネグレクトネットワーク理事長・内科医の山田不二子先生から、今回の所在不明児童対応のポイントとメッセージをわかりやすくご説明頂きました。インタビュー動画(6分)。
ルポライター・杉山春さんからの所在不明児童対応の必要性についてメッセージをいただいています。インタビュー動画(3分)。
その他、詳しい内容や資料はこちらをご覧下さい
http://goo.gl/54NvLu
宛先
内閣総理大臣 安倍晋三 殿
厚生労働大臣 塩崎恭久 殿
総務大臣 高市早苗 殿
と2人の別の宛先
国家公安委員会委員長 山谷えり子 殿
法務大臣 上川陽子 殿
「所在不明」の子どもをもれなく確認できるシステムの設立を求めます。「自治体内の部署・機関間での情報共有を徹底し、所在不明児童の安否確認に努める」ため、「国の官庁に新しく『所在不明児童の情報管理・照会システム』を創設し、現住所を特定せずに自治体間での安否確認を可能にする」ことを強く望みます。
男児の監禁致死容疑で両親逮捕 「遺体、川に流した」
朝日新聞デジタル 4月28日(火)12時30分配信
東京都足立区に住んでいた夫婦が次男(当時3)の遺体を捨てたと供述した事件で、警視庁は28日、いずれも無職で夫の皆川忍(31)と妻の朋美(28)の両容疑者を監禁致死と死体遺棄の疑いで逮捕し、発表した。忍容疑者は容疑を一部否認、朋美容疑者は認めているという。
次男の遺体は見つかっていないが、警視庁は供述や状況証拠などから立件できると判断した。
捜査1課によると、2人の逮捕容疑は2012年12月~13年3月3日ごろの間、当時住んでいた足立区の自宅で、次男の玲空斗(りくと)ちゃんをウサギ用の小型ケージに監禁し、顔にタオルを巻いて窒息死させ、遺体を同月4日、同区の荒川に捨てたというもの。夫婦は「言うことを聞かないので閉じ込めた。騒ぐので口にタオルを巻いた」と話している、と捜査1課は説明している。
捜査関係者によると、朋美容疑者は、玲空斗ちゃんに食事を2~3日に1度しか与えず、入浴も満足にさせていなかったと説明しているという。