レムリア時代にはルシファー存在たちが人類の進化に介入しました。ルシファー存在たちは、当時人類をただひたすら進化させようとしていたあの霊的存在たちと、ある意味において敵対していました。アトランティスの時代には、私たちがアーリマンの霊たち、あるいはメフィストフェレスと呼んでいる霊たちが、人類を進化させようとする力に敵対しました。アーリマンの霊やメフィストフェレスの霊とは、これらの名称を正確に捉えるならば、中世の人々がサタンの霊と呼んだものと本来同一のものです。サタンをルシファーと取り違えてはなりません。

 

ここではまず、「これらのルシファーの霊たちは、太古のレムリアの時代において、いったい何を引き起こしたのか」と、問いかけてみることにしましょう。古代のレムリアの時代において、ルシファーの霊たちはいったいどこに介入したのでしょうか。

 

ご存じのように、かつての土星においてはトローネがみずからの実質を注ぎ込み、人間の物質体の最初の基盤が作られたことによって人間は進化しました。また、そのあとの太陽では、知恵の霊たち(キュリオテテス)が人間にエーテル体(生命体)を与え、さらに月においては運動の霊たち(デュナミス)が人間にアストラル体を与えたということも、私たちは知っています。さて、そのあとの地球では、人間が自分自身を周囲の環境から区別することによって、ある種の自立した存在となることができるように形態の霊たち(エクスシアイ)が人間に自我を与えることになりました。しかし、たとえ人間が形態の霊たちのおかげで外界に対して -つまり地球上で人間を取り巻く環境に対して- 自立した存在になっていたとしても、形態の霊たちの力に頼っている以上、人間が形態の霊たちそのものに対して自立した存在になることはなかったでしょう。人間は形態の霊たちに依存したままの状態に留まり、形態の霊たちの糸に導かれ、支配されたことでしょう。しかし実際には、そのようなことは起こりませんでした。人間が形態の霊たちに完全に依存しないで済んだのは、ある意味において、「レムリア時代にルシファー存在たちが形態の霊たちに対立した」という事実が遺した善い影響なのです。これらのルシファー存在たちは、人間に自由を継承する権利を与えました。もちろんルシファー存在たちは、それとともに人間に悪の可能性も -つまり感覚的な情熱や欲望に陥る可能性も- 与えることになりました。いったい、これらのルシファーの霊たちは何に介入したのでしょうか。ルシファーの霊たちは、そのとき存在していたものに、最後に人間に与えられたものに介入しました。つまりルシファーの霊たちは、当時ある意味において人間の最も内なるものであったアストラル体に介入したのです。ルシファーの霊たちは人間のアストラル体の中に巣食って、それを手中に収めました。もしルシファーの霊たちがやってこなかったら、形態の霊たちだけが人間のアストラル体を占有したことでしょう。形態の霊たちはこのアストラル体に、人間にふさわしい顔を与えるための力を刻み込んだことでしょう。このような力は、人間を神々や形態の霊たちと同じような姿にしたはずです。もしルシファーの霊たちがやってこなかったら、こうしたものがことごとく人間の中から生まれたに違いありません。しかしこの場合、人間は永遠に、一生の間これらの形態の霊たちに依存し続けたことでしょう。

 

しかし実際は、ルシファー存在たちは、人間のアストラル体の中に忍び込んできました。その結果、アストラル体の中では、二つの種類の存在が作用することになりました。すなわち人間を進化させようとする存在と、人間が無条件に進化するのを妨害し、その代わりに人間の自立性を内的に強固なものにした存在が、人間のアストラルの中で活動することになったのです。ルシファー存在たちがやってこなかったら、人間はアストラル体に関して、無垢で純粋なままの状態に留まったことでしょう。激しい情熱が -それは地上以外では見出すことができないものに対する欲望をかきたてます- 人間の中に現れることもなかったでしょう。ルシファー存在たちは情熱や衝動や欲望を、いわば濃密で低級なものにしたのです。もしルシファー存在たちがやってこなかったとしたら、人間は絶えず故郷に -つまり自分がそこから降りてきた霊的な領域に- 憧れ続けたことでしょう。人間は地上で自分を取り巻くものが好きになれず、地上で受け取る印象に関心を抱くことはできなかったことでしょう。ルシファーの霊たちの力によって、人間は地上の印象に対して関心や欲望を抱くようになりました。ルシファーの霊たちは、人間の内奥やアストラル体に潜り込むことによって、人間を地上の領域へと押しやったのです。このとき、人間が形態の霊たちや高次の霊的全体に離反しなかったのは、いったいなぜでしょうか。人間が完全に感覚的な世界の関心や欲望のとりこにならなかったのは、何の力によるものなのでしょうか。

 

それは人間を進化させようとする霊たちが、ルシファー存在たちに対抗する手段を講じることによって可能となりました。これらの霊たちは、本来含まれていなかったものを人間存在の中に混入させることによって、ルシファー存在に対する対抗手段を行使しました。つまり人間を進化させようとする霊たちは、人間存在の中に病気や、悩みや、痛みを混入させたのです。このことが、ルシファーの霊たちの行為に対して、必要なバランスを回復させることになりました。

 

ルシファーの霊たちは人間に感覚的な欲望を与えました。これに対抗して、高次の存在たちは、人間がこのような感覚的な世界に無制限に落ち込むことがないように、ある種の対抗手段を用いました。つまり高次の霊たちは、感覚的な欲望や感覚的な関心には病気や苦しみが伴うようにしたのです。その結果世界には、物質的な、あるいは感覚的な世界に向けられた関心と、同じ数の悩みや痛みが存在することになりました。感覚的な世界に対する関心と、それに対応する悩みや痛みは完全に均衡を保っています。この世界で、両者のうち一方がより多く存在するということはありません。つまりこの世界には、病気や痛みとまったく同じ数だけの欲望や感覚的な情熱が存在するのです。

 

ルドルフ シュタイナー『悪の秘儀』アーリマンとルシファー 松浦 賢  訳