雨が降る日はつわり時のようにダウンします。
なんかもう動けません、みたいな時は雨が降ってきて
気圧の変化に体がついていけないんだなあって実感します。

明日から15週目なんですが。
この頃の週の人のブログを見ると、クアトロテストやりました、
とかいろいろ出てくる。
もう36歳で高齢だからやはり調べておこうかと・・・とか
そういうの読むと、まだ若いし!!!って言いたくなる歳に
なりました。

もちろん私もその歳の時には最も高齢出産をプレッシャーに
感じていた年頃です。障害を持つ子を産む確率についても
一番神経質になりました。

結局40歳で産みましたし、何も検査しませんでしたが、
健康優良児。
けれども、同じ歳で同じ年に二人目を産んだ友達の子は
ダウン症でした。
生まれてからだったか直前だったかに判明しました。
ある週数から体重が増えていかないので障害がある可能性が
あると言われ、早めに帝王切開で出すことになったんだと
思います。

私のお腹の子も実際のところ、どうなのかわかりません。
産む時は43歳ですから確率もあがるんでしょうね。

調べるっていうのは産む前に覚悟するってことなのかな?
もちろん、障害があれば堕ろす必要がある、という考えの
元に調べる人もいらっしゃるのでしょう。

知人も奥さんのご両親からダウン症だったら堕ろすように
と言われたらしいです。
衝撃を受けました。
私は必死でとめました。不妊治療の末に出来た子なんです。
次出来るかどうかわからないんです。
奇跡の子を守ってあげてほしい、と。
いや、私がその子の責任持てることではないんですがね。

これは私の価値観なんですけど・・・。

だって生命なんです。目に見えてないけど、すでにこの頃は
立派に人の姿をして性別もわかっています。

お腹の中にいれば人間じゃなくて物体にしか過ぎないと
思っていると「堕ろせ」って言えるのでしょうか・・・・。


目の前の旦那さんがある日突然事故で手足を失いました。
この先ずっと一緒に生活するのは大変だから殺してしまえ、って
誰も言わないですよね。

どうしてお腹の中の赤ちゃんになると人は生命とか一個の人格を
無視してしまうのだろう・・・・。

生活はすごく大変になるんでしょうね。
でも会いに行った友達の子供はそれはそれは可愛くて天使の
ようでした。

私は検査をしないので、生まれるまでわかりません。
エコーである程度の障害とかはわかるでしょうから、生まれる前に
わかるようなこともあるかもしれません。

ゆいとの時も毎回不安でした。生まれて五体満足かどうか
それが一番確認したかったことです。

不安を感じないわけではありません。
みんなと同じように時折非常に不安を感じます。
でもわかったところで産むと決めてるので受けないことに
しているだけです。
もちろん健康な子であることを願っています。

妊娠したことは大きな喜びですが、親になるっていうのは
人生と生命をかける覚悟がいりますね。


毎回この「覚悟する」っていう件に関しては試されます。