うちはクリスチャンの家庭です。

なのでお祈りは子供が一番最初に覚える宗教的なこと
かもしれません。

昨夜はゆいとの大好物のお好み焼きでした。
ま、お好みソースは食べられないので、しょうゆなんですけどね。
好きな食事の時にはお祈りにも積極的で気合が違います。

しかし昨日は私がお祈りを始めたとたんに組んでる私の手を
バシッと叩いてきました。

「お祈りするな!」

っていうんです。(言葉にしないけど、以心伝心でわかります(笑))

なんで???反抗期???と私が目をぱちくりしていると
ギュッと自分の手を組んで頭をさげて

「・・・・てんのおとーたん(天のお父様)・・・」と言い出したのです。
続きは通訳不能・・・・けっこう長いこと神妙にお祈りの言葉を
発しています。声のトーンも敬虔な感じです。
で、「イエ~(イエスキリスト)・・・・・ごにょごにょ・・・・」と聞こえたんで
あ、お祈りの締めに入ったぞとわかったんですが肝心のアーメンが
出てこない。仕方ないので様子を伺いつつなんとなくこのへんかな?って
ところで「アーメン」と応えてちらっと見ると肩をすくめて
エヘヘ~~~(#^.^#)と照れ笑いながらも満面の笑みを浮かべておりました。

いやあ~~。可愛かった!!
自分がお祈りしたかったのか~~~。と納得。

パパが帰ってきてそのことを話したら、自分のこと話されてると
わかってまた手をぎゅっと組んでお祈り体勢に。
ちょうど夫も食事のお祈りをするところだったんで、ゆいとにお願いしたら
ちゃんとお祈りしました。
夫も感動してました。

まだ真似をしているだけで、本当の信仰ではないけれど
でも、彼がクリスチャンとして歩み始めた第一歩でもあります。

ゆいと、お祈りしてね、とお願いすると喜んでしてくれるようになりました。

子供の祈る姿を見るだけで清いと思います。
サタンに幼い子供を誘惑する力はないというけれど
小さな子供たちが遊ぶ姿をみていると本当だなあと思います。
私を含め世界中の人々が幼子のようであれば戦争も血を流すことも
罪のない市民たちの嘆きや悲しみ、死もなくなるのに、と思います。

先日公園で遊んでたら小学校4,5年生くらいの女の子二人が
ゆいとが遊んでるすべりだいのところにきてしばらく遊んでたんですが
そのうちの一人が一人が向こうにいる別の女の子をみて
「私、あの子嫌い」って言いました。

うわ~~~、そういえばこういうこと言う子、確かに小学校とか
中学校とかいたなあ~~~と急に記憶が甦ってきました。
もう一人が
「なんで?」って聞くと
「うーん、なんでかわかんない。でもなんか嫌いなんだよね~~」
と答えました。
もう一人の子は同調することなく
「ふーん・・・」ってつぶやいてそれ以上会話は進みませんでした。
その子は嫌いな子が見えるのが嫌なのかわからないけど、
「私、帰るわ。またね。」
って去りました。
悪口、陰口を具体的に聞くことがなかったのでちょっとホッと
しましたが。

・・・・。大きくなるにつれて親の悩みも精神的なものが
大きくなるんだろうな~としみじみ思います。

別のお店で遭遇した方が「あら、うちの息子にもこんなかわいい
時期があったわ~~~。懐かしい。この頃はなーんにも
悩みがなくてよかったわ~~~~。」

などと言われると、これからいろいろ悩むんですね・・・・と
変なプレッシャー感じたり。


私たちは大人になるにつれて多くの経験をします。
それには喜びも悲しみも愛も憎しみも含め、様々な経験を
しますし、それは避けられないことですが、小さな子供の時のような
純粋さや優しさ、無垢な心を忘れないようにしたいな・・・と
ゆいとをみていてつくづく思います。
なかなか難しいことですけれどね。

世の中、めちゃくちゃです。昔はありえなかったことが今は
平気でまかりとおる。道徳もないし、大人が子供にこんなものを
与えてどうして平気なんだろう?って思うようなことがたくさんある。

外の世界に出ていくようになれば親として守れない部分が大半です。
そういう時に神様を信頼して、神様の前に恥ずかしくない生き方を
していける人間になってほしいと思う。

ゆいとにも今の素直な心のままで成長してもらいたいなあ、と
思うし、そうなるようサポートしていけたら、と願っています。