私の住んでいるところは東京の中ではかなり田舎な方だと


思う。まあ、郊外なので田舎っていうより自然がいっぱいな


ところって感じで、ちょっとこじゃれた雰囲気の場所もあるし


団地もたーくさんあるわけだから完全な田舎でもないけど


畑も案外たくさんある。




引っ越してきて驚いたのはときおり無人の野菜売り場を


見かけること。Σ(・ω・ノ)ノ! びっくりっ!

道端に値札だけついた野菜と空き缶。小さな小屋みたいな


ところにおばあちゃんが座っているところもあるし、小さな


スペースのところや場所によっては無人のところもある。


家の玄関先で直売してるところもある。


そこでもやっぱり缶は吊り下げられていている。


この前買いに行ったらだれもいなかったので

野菜を取って、合計額を缶の中にチャリーンと入れて帰った。


悪いことしてないのになんか緊張しました。\(;゚∇゚)/ヒヤアセモン☆




最初はこんな物騒なご時世なのに・・・と驚きを隠せなかった。


近くには中学校、高校もあり、学生達もゾロゾロと歩いている。


でも相変わらず缶があるのは盗まれたりしないからなんだろう。


そういえば子供達ものびのびしていてすれてる感じの子を


ほとんど見かけない。みなごく普通のお子様たちばかりだ。


平和な町の象徴のようでもあります。




ウォーキングしていて気がついたことがある。

すっごい当たり前のことなんだけど、直売の野菜売り場には

旬のものしかない。その時採れる野菜だけがそこにある。

スーパーにいけばオールシーズンなんでも買えるけど

それって本当は不自然なこと。うちの冷蔵庫の中にはまだ


きゅうりやトマトがあるけど野菜売り場にはもうない。


一瞬で終わるものもある。数日前はモロヘイヤがあったけど


もうみかけない。今はどこでもぶとうや梨、新ごぼうなどを


みかける。野菜売り場ウォッチングは、毎日ウォーキングして


いる時の楽しみの一つになった。


夏は体を冷やす野菜、冬は体を温める野菜が出来るように

なってるってこと、じゃがいもやたまねぎのように収穫後も

長く保存できる野菜もあったりするし、人間の体にきちんと

合うように神様は創ってくださってるんだなって思う。


スーパーや大きな野菜市場に季節感はほとんどない。


もちろんその季節の目玉みたいなものもあるけど大抵は


ハウスものや世界の野菜、果物で埋め尽くされている。




食べたいものを食べたい時に、とある意味自然の法則に


逆らっているわけだから、本来の食生活を狂わせてる私達の


体が狂わないわけもないなって思ってしまった。


恥ずかしい話、私は有名なもの以外、魚にしろ野菜にしろ


本当の旬の時期がいつって細かくしらない。


完全には不可能かもしれないけど私はこれから近くの


野菜売り場で手に入るものだけで料理をしていこうと思う。




戦時中の人たちは裕福ではなかったけど、子供を

たくさん産んでいる。うちの父なんて13人兄弟だ。

こんなに豊かな私達が1人の子供を得るために

たくさん苦労してるのはなぜなんだろう、と最近ずっと

考えていた。30代で初産って人も増えているからって


いうのもあるだろうけどたくさんある理由のひとつは食べ物

なんじゃないかって思う。若い時には問題なかったことが


これからは注意深くなるべきことってたくさんある。




好きなときに好きなものを簡単に手に入れられる時代に

生きてるけど、その見返りに本当に欲しいものを本当に


欲しいときに得られない体にしてしまっているかもしれません。