弁解じみるけれども、もともとこのテーマのブログは公開を目的に書き始めたものではなかった。ある程度書き溜めて、活字化し私自身のクライアントに配布すると言う程度の、小さな規模のものだった。


それもあり、硬い文体で内容も大上段に振りかざしたもので始めたとき、相当バカなはじめ方をしたものだと、半ば呆れたものだけれども、こうやって公開してしまうとそれなりに継続しなければならないという、強迫観念が生まれたため些か持て余している部分もある。


何方かに無駄な時間を使わせているのだとしたら、ご寛恕願いたい。(こんなことこそ無駄な時間か)


前回の私のテーマは、現在の消費経済の不振の原因を究明し、そのなかで起業家がどのように行動を始めるべきかについて、示唆したつもりだった。


今回は、このように始めれば必ず失敗できるという、貴重なノウハウを提供しようと思う。


1.起業コンサルタントの言う事を鵜呑みにする。

2.家庭内の和が保たれない状況で事を始める。

3.友人や兄弟と一緒に事を始める。

4.始める事業に愛情を持たない。

5.経済的な余裕が不足のまま事を始める。

6.お金儲けを目的に事を始める。

7.自分の思い込みを他人がどう思うかリサーチしない。

8.自分が経営者として適格かどうかについて反省しない。

9.コンサルタントの言う事を無視する。(1と矛盾するが)

10.経済実態、経営ノウハウについて無知なまま事を始める。


これ以外にも、現状の経済状況を無視するとか、その業界の実情についての情報を手に入れようとしないとかいった、いろいろな失敗する条件はあるけれども、上記の10の条件に当てはまれば、大体失敗する事は出来る。


自慢する訳ではないけれども、起業家と10分面談すれば失敗するケースについては、明言することが出来る。

ただし、「あなたは成功します」と言う方は全く自信はない。


以下1か条づつ解説しよう。



1.起業コンサルタントの言う事を鵜呑みにする。


何事にもコンサルタントというものは居るもので、起業についてもコンサルというものは何処にでも居る。いやなことに、現在は公共機関が起業を求めている時代なので、商工会・会議所・各種商工団体・地方自治体などが、セミナー等を開催しそこでコンサルの講演会を開くケースが多い。


何も悪意がある訳ではないとしても、もともとそういう趣旨の集まりであるし、彼等自身も一度はアントレプレナーとしての成功体験を持っている訳なので、どうしても夢を語り、成功の果実の旨みを分かち合おうと言った内容のものになってしまう。


このブログのような「失敗の仕方」などといった内容の話はしにくいものである。もともとこの手の話は、誰も聞きたがらないし、それでは商売にならないからである。それは彼らの罪ではない。


抽象的には「100件の起業があれば成功するのは10件だ」(10件のうち1件とは言わない)とか、「新規に始めた事業のうち10年後に残っている企業はせいぜい1割だ」といったことは、話すことが多い。そんな風な情報は、だれも自分が失敗する組に入っているとは考えないから、一般論として話しても大丈夫なのだ。


問題はそのような場に集まる聴衆は、自分自身がそれを求めていたり、ある程度は腹案を持っていたりして最初からやる気十分な人が多いと言うところにある。マイナス条件は「信念の魔術」とか「やればできる」とかいった、何処かで仕入れてきたモットーの前で淡雪のように消えてしまうのだ。


無論真面目なコンサルもいない訳ではないので、気を付ける点について一応指摘はするのであるけれども、人間聞きたくないことは初めから聞こうとしないものである。


その上悪い事に、起業を望む人を煽るのが自分たちの使命だと勘違いしているコンサルタントが少なからずいる。彼らに言わせれば、失敗するのは自分自身の責任だという訳である。


そういうコンサルタントは、上にあげた10か条の意味も良く判っていないことが多い。それでいて経営計画を立てろとか、経営戦略は持っているかとかいった誰でもいえるようなことを教えるのを仕事にしている。


最近あった、コンビニ経営者が本部に対して、約束した業績が上がらないことを理由に損害賠償を申し立てたというのも、かかわったコンサルが予測の必要なリスクに対して、明確に説明していないことが原因であるように思える。


事業にはリスクはつきもので、それは予見しなければならないし、予見できないリスクは諦めるしかない。もっともフランチャイズシステムについては多少事情が違って、そのようなリスクについても予測したうえで収益を保証している部分も確かにあるにはある。(契約にはそんな事をうたう訳はないけれども)


経営コンサルタントを悪くいうわけでは決してないが、彼らの言う事を丸呑みにしてはいけない。カリスマコンサルタントの言う事は、特に気を付けなければならない。もっと悪いのは、某先生のファンだと言いながらその先生の言う事を、都合のいい部分しか聞かない人たちである。



2.家庭内の和が保たれない状況で事を始める。


最近では必ずしもそうとばかりは言い切れないけれども、一般的には女性は保守的で現在の生活を変えようとしないし、男性は「男のロマン」とかなんとか恰好のいいことを言いたがるものである。しかしここのところは特に重要なところであるから、赤丸付きで覚えておいてほしいが、妻がどうしても賛成しないことには手を出してはならない。


私の経験から言っても、仲の悪い夫婦が起業して成功したという例は見たことがない。ならば夫婦仲がいいからと言って成功するかと言えば、それは当然別問題である。


ただ、非常に仲のいいご夫婦で諸般の事情から事業に失敗され、それでも喧嘩なぞしない方がいらっしゃって、その方々の事業整理をお手伝いしたことがある。結果的に財産はなくされて、生活も質素なものになってしまったけれども、人間の幸福はお金だけではないと言う事をしみじみと実感させられたものである。


今は活動があるかどうかわからないのだが、倒産を経験した人ばかりが集まって「八起会」という会を作り、二度と自分達の同類を出さないようにという活動をしていたことがある。そこの会長の講演を聞いたことがある。いろんな話があったが、印象に残ったのは一番頼りになるコンサルタントである妻の言う事を聞かなかったばかりに、こんなことになったのだと言う話である。


夫婦の組み合わせには、本当にいろんなタイプがある。普通は男性が攻撃、女性が防御を受け持つのだが、中には、全く逆に女性が外を担当して男性が中を担当するタイプもある。どちらがいい悪いではなく、単なる組み合わせの問題である。


ここでの主題とは少し離れるが、経営には大雑把にいって3つの機能がある。営業・管理・商品である。営業は単純に商品を売る機能であり、管理はその結果を管理する主として財務の機能であり、商品は製造業では受注した商品を製造する機能・販売業では、売れる商品を調達する機能である。


これらはそれぞれに別種の能力が必要であり、一人の人間がオールラウンドであることは、かなり難しい。だが仲のいい夫婦というものは、なぜかそれぞれの機能を別々に持っており、それぞれの持ち場で一人分以上の能力を発揮するものである。


もっと本筋から離れてしまうが、世の中には「浮気は男の甲斐性」みたいな伝説があって、女遊びをする経営者の方が、企業を大きくする能力も高いという勘違いをしている人もいるようだが、少なくとも起業当時に女性問題を抱えているような経営者は、決して起業に成功できない。



一度に10か条全部を説明するのは、かなり無理なので3カ条目以降は次に譲ろう。

日本全体の企業数がどんどん減っている。将来に夢を持てなくなっているということだ。

そして、日本人の魂がどんどん縮んでいる。そのことを憂うる政治は、起業を奨励し各種の施策を講じる。


根本的に新しく取り組む商品や、ビジネスモデルが見当たらないというのにどうやって新規開業をしろというのだろうか。そこがまず問題。


昭和30年代から昭和50年代にかけて、日本は大きく変わり人々は希望に胸を膨らませて経済社会に突入していった。高度成長の夢に浮かされただけではない。現実に夢が実現している毎日を経験していたのだ。


時の総理大臣池田隼人は、フランス大統領ドゴールからトランジスターラジオの行商人呼ばわりされた。だが彼は自身の持ち出した、所得倍増論を現実のものにするために誰が何を言おうと気にしはしなかった。


そのようなステーツマンの存在はともかくとして、みんな忘れかけているかも知れないけれども、高度成長期の前と後では人々の生活は全く変わってしまったのだった。


私の中学生のころ、テレビというものは何処にもなかった。その少し以前には蛍光灯さえ家庭にはなかった。

日が落ちると20燭(漢字変換にも出てこなかった)の電燈をつけて、ラジオを聴くのが唯一の娯楽だった。


台所には冷蔵庫も、電気炊飯器もガスも水道さえなかった。薪でご飯を炊き、練炭で(誰も知らないか)煮物をし

遅くとも翌日までには残り物は食べきらないと、捨てるしかなかった。(そんな人はいなかったけれども)


電気掃除機もないから箒と塵取りが活躍し、電気洗濯機もなく盥と洗濯板が頼りだった。それらが相次いで社会に出現し、人々は(おもに主婦は)何とか手に入れようと躍起になった。考えてみればそれらはほとんど主婦の利便のためにあるのだった。


その結果、主婦の労働市場への進出がパート労働の形で始まり、人々の生活は豊かになった。主婦の労働力化は企業の側にとっても好都合だった。そのおかげで生産力向上に必要な労働力を手に入れることとなったのだから。


誤解しないでほしい。

私は何もあのころの良き日を回顧しているわけではない.そのせいで、日本人がどうこうなったとかいう話をしたいわけでもない。


問題は今あのころのような、全生活を変えてしまうほどの迫力をもった商品が見当たらないところにある。

いはば、我々は満ち足りてしまったのだ。生まれて初めて我が家に蛍光灯がついたときは、世界が変わってしまったと思ったものだ。それほどの衝撃的なものは現れそうにない。


今40歳以下の人(もしかしたら50歳以下の人)は、私が何の話をしているのかさえ良く分からないかもしれない。今だってIT関連の新技術は出ているし、3Dテレビといった新技術があるだろうと考えるかもしれない。


それはしかし毎日ラジオしか聞けなかった生活に、テレビが入ってくるのとは全く質の違う変化だ。

だから、それだけの商品の出現を期待したいというのがもう一つの問題。


ただ、これはマクロでみた全産業の問題で、だからこれからの未来はないと言ったら、それで話は終わる。

自由主義経済のもとで、人間の営む経済活動自体は、別になくなるわけではない。


私の言いたいのは、全てが昔より困難になっているということだ。その状況で、起業とか起業家とか言われて舞い上がるのではなく、緻密な計算が必要となるということなのだ。


勿論だからこそ起業家のチャンスは大きくなったと考えるなら、それはそれで一つの考え方。能力のある人がその能力を生かす技術を身につければ、それなりにチャンスはあると思う。


ただ、政治や公共機関に頼るのは明らかに間違っている。これだけは指摘しておきたい。


あまりに前置きが長くなりすぎて、本論に入るスタミナがなくなってしまった。あとは機会があれば(聞きたい人がいれば?)次回にということにしようと思う。

 休みが明けて、今週はどんな週になるのかと思えば、やっぱりとんでもなく暑い日が続きそうだ。

 もともと若い時から暑いのが好きで、時々押入れに入って昼寝をしていた。そんなことをしていたら体を壊すでしょうと母に叱られたが、よく理由がわからず無視していた。

 今でも夜は暑い日が好きで、朝起きて汗びっしょりになっているととても気分がいい。こういうのはどこか肉体的におかしいのだろうか。

 そうはいっても、だから暑いままがいいのではなく、その後の爽やかさがたまらない。

 昔無料でとんでもなく涼しくなる方法というのが雑誌に書いてあって、それには冬の洋服を着てその上から布団でぐるぐる巻きにして、汗がだらだら出るのを限界まで我慢をする。そして限界に来たら(限界を超えてしまったら後はどうなるか責任は持てない)全部脱ぎ捨てて裸になる。これが一番だった。

 それを見てウンウンと納得していた私は、大変ノーマル?それとも何処かおかしい?

 とりあえず、第1日目の日記はこんなところで。