あの日。
私は北海道にいて 病気していて、 2歳と0歳の子どもがいて、
なかなか有休を使えない主人が、
なんとか有休を取れる私の母を、 関東の実家から呼び寄せていた。
私は居間で子どもたちを眺めながら、 横になっていました。
揺れたのは、 私の心臓がドキドキしているからかなと 思いました。
瞬間。 揺れているのは家だとわかりました。
慌ててつけた テレビで見た現実…。
飛行機は飛ばず、 母はもう一泊滞在し、
実家の祖母と音信不通のまま、2日間過ごしました。
その祖母は、
長崎で原爆を経験していますが、
今までの人生でいちばん怖かった と言っていたそうで、それが忘れられません。
去年亡くなってしまったので、もう直接聞くことはできないけれど。
戦争を経験している人が、 震源地ほどの震度では揺れなかった関東にいて、 人生最大の恐怖だったと言ったのです。
どんなにか、 地元の方たちは怖かったことでしょう。
そしてどんなに、 つらく悲しい思いを今もしていることでしょう。
忘れることができません。
忘れることはありません。
命の大切さ。
あの日。
あの瞬間…。
どうか、 すべての人が平和で 幸せで 愛に包まれて笑顔で過ごせますように。
悲しみの中にいる方たちに、 私にできることをさせていただけるように、
身体を大切に、 毎日を感謝の気持ちで過ごします。
役に立ちたい なんておこがましいこと言えないけど、
何か具体的な形で…。
「がんばろう」なんて、 ご本人たちに言わせないですむように、
私が影ながら、がんばるから。
私は北海道にいて 病気していて、 2歳と0歳の子どもがいて、
なかなか有休を使えない主人が、
なんとか有休を取れる私の母を、 関東の実家から呼び寄せていた。
私は居間で子どもたちを眺めながら、 横になっていました。
揺れたのは、 私の心臓がドキドキしているからかなと 思いました。
瞬間。 揺れているのは家だとわかりました。
慌ててつけた テレビで見た現実…。
飛行機は飛ばず、 母はもう一泊滞在し、
実家の祖母と音信不通のまま、2日間過ごしました。
その祖母は、
長崎で原爆を経験していますが、
今までの人生でいちばん怖かった と言っていたそうで、それが忘れられません。
去年亡くなってしまったので、もう直接聞くことはできないけれど。
戦争を経験している人が、 震源地ほどの震度では揺れなかった関東にいて、 人生最大の恐怖だったと言ったのです。
どんなにか、 地元の方たちは怖かったことでしょう。
そしてどんなに、 つらく悲しい思いを今もしていることでしょう。
忘れることができません。
忘れることはありません。
命の大切さ。
あの日。
あの瞬間…。
どうか、 すべての人が平和で 幸せで 愛に包まれて笑顔で過ごせますように。
悲しみの中にいる方たちに、 私にできることをさせていただけるように、
身体を大切に、 毎日を感謝の気持ちで過ごします。
役に立ちたい なんておこがましいこと言えないけど、
何か具体的な形で…。
「がんばろう」なんて、 ご本人たちに言わせないですむように、
私が影ながら、がんばるから。
