ヤマケンのWeblog-山下公園



これは、僕の中では「哲学」には入らない、日常での考え方=小手先の思想です。


その分、即使える考え方かもしれません。



今回のテーマは、


「どれほど好きか」の宛て先


です。



「自分が相手のことをどれほど好きか」

この気持ちを


相手にぶつけるか、
自分にぶつけるか。


という、よくありそうな恋愛テーマです。



まず、本題に入る前にインプットしたい、1つのパターンがあります。



[とあるパターン]


思い浮かぶ誰でも良いです。


自分にとって苦手な人、
または、
「特別な存在」には、まずならないなという人。


その人に


「自分だけのものになってくれ!」


と何度も迫られたら、どのように感じるでしょうか。


これをまず念頭に置いた上で。



では、本題です。

冷静に考えれば当然のことかもしれませんが、



「相手から見て、自分にどのような魅力があるのか。」



もう一度だけ。



「相手から見て、

 自分に、

 どのような魅力があるのか」




僕らは本来、この「魅力」と言うものを持ったときに、初めて舞台に立てるのでは無いかなと思います。


「あなたが欲しい」



という欲求を相手にぶつけることで得られるものは、何でしょうか。


それは、
「気遣いの優しい言葉」
だけです。

まして、

こちらが、与えるものは何か。

それは、「負担」です。




自分が相手をどれほど好きか、と言う気持ち。

これは自分が感じているものです。


これを相手に、望めば望むほど、

「縁を切るほど嫌いじゃないけど、ムリ。」

と言う認識をどんどん植え付けていくことになります。

すなわち、




悪循環。




「好きだ」


という想い。


これを相手にぶつけ続けると、自分の首を締めることになりかねないのです。





さて、

一度ここで、


第三者の立場になって、見つめてみましょう。




自分の気持ちをぶつけたときに、その反応に納得がいかないと、

すぐにスネるような相手に、「未来」が見えるでしょうか。

または、一体誰が、


人生の悲しみに暮れてばかりいる人間を敢えて選ぶのでしょうか。



では、どうするか。


その気持ちのぶつけ先を自分に向けてみるのは、どうでしょうか。

目指したい像はこうです。


「相手に何も望まず、ただありのままでいる自分が、


 相手にとって魅力的な存在。


 そうなるように、自分を磨き続ける」


これが、


最も確実で、最も近道であると、覚えるのはどうでしょうか。



たとえば、


・所作を磨く、

・何かに成果を出してみる、


こういったlことだけでも、大きな違いだと思います。



ちなみに僕が最近、一番磨きたいなと思っているものが「所作」です。



好きな相手に、魅力的な人と思われたい。


これ自体は、たぶん自然なことですよね。



大切なことは、


「相手にとって魅力的な存在。


 そうなるように、自分を磨き続ける」


ということだと思います。

「自分の思う哲学話」以外にも、好きなものや、感じたことを書いていきたいなと思います。


今回は、好きな音楽動画ですニコニコ


タイトルは、


1.Seal - Kiss from a rose LIVE 2004

2.山崎まさよし / 中華料理

3.Plain White T's - Music Video - 1, 2, 3, 4 (Watch in HQ!)


です。






1.Seal - Kiss from a rose LIVE 2004



感じさせてくれる世界観が好きです。




2.山崎まさよし / 中華料理



山崎まさよしさんの曲は聞いていて好きな曲が多いです。




3.Plain White T's - Music Video - 1, 2, 3, 4 (Watch in HQ!)


1234で歌う歌詞の面白さもですが、この映像も好きです。




以上ですニコニコ

ヤマケンのWeblog-横浜マリンタワー


おはようございます。


今回で、このシリーズをいったん一区切りにします。



「この世に、絶対は無い。善も悪も無い。」


で終わった前回の内容でした。



では、この世の中、


何をしたって良いのか? 法律や常識を守るのは馬鹿げたことなのか?と。


今回は、そんな話です。




この件について、

前回の13歳から、その後15歳まで、僕の頭は、この↑考えでまとまっていました。



その上、僕は、心の中で、


「みんな、このことに気付いていないのか。

 僕らは皆、親とメディアに刷り込まれた思い込みで生きてるんだぜ。

 何だよ『常識』って。

 頭ごなしに覚えてないで、真実をちょっとは考えてみろよ。」


などと考える、目つきの少年になっていました。



正義感が強く皆と仲良しな僕 → 物事を斜に構えて見る僕



と、見事に、そして完全にキャラクターが変わりました(笑)




もうですねぇ・・・、救いようの無いガキだったわけです。



大人に合えば、


「人を殺すことは、良いこと?悪いこと?」

などと聞き、


「悪いことだよ」


と必ず答える大人に


「なんでさ?」


と尋ね、


「人には生まれ持った生きる権利があるから」

「命は何よりも大切だから」


と答える大人に、


「誰が決めたんだよ、それ。

 思想無く生きてきたんだね」


などと言う感じでした汗

本当、申し訳ありませんでした。



もちろん、友達も減りまくりましたよ。大っ暴落(笑)



ところが、高校生になったある日、

街で声をかけて仲良くなった、よその高校の美人系サトミちゃん(仮名)と話していた僕は、


彼女に毎度の質問をぶつけました。


「人を殺すことは、良いこと?悪いこと?」



あ~~~~、やっちゃったよ言っちゃったよ。



ねぇ、、面倒くさい奴ですよ(笑)



ところが、


その時の、サトミちゃん(仮名)の返事は、いつもの大人のものとは違うものでした。




サ:「ん~、分かんないけど、ヤダ。」




僕:「何て??」




サ:だから、ヤダ。

   だってさ、誰かが本気で私を殺そうとしたら、私は生きるためにその人を殺しちゃうと思う。

   痛い思いも苦しい思いも嫌だもん。」





この言葉には、色々なことを学びましたね。



まぁ、この件に関して言えば、


「ルール」


の存在です。




この世には、一切の決まりごとも、絶対も無い。

これは、気付いてみると当たり前のこと。


けど、


「決めごと」

は、当然あるんですよね。



もし、人が何をしても良かったら、互いが互いを平気で傷つけて、いつも何かに警戒しながら、何も為せないままに一生を終えるかもしれない。


だから、人は「ルール」をつくってきたわけです。



「盗んではいけない」

「傷つけてはいけない」

「殺してはいけない」 (あまり言わないかな)


と、親から教わり、

「みんな言葉だけを頭ごなしに覚えてきただけだろ」

と、人を馬鹿にしていた僕の目は、一発で醒めました。




もし、「善も悪も無いのだ」と、法を破るようなことがしたいのなら、

それが許される国へ行くか、自分の国で革命を起こすこと。



そうでないなら、ルールを守ること。



僕は遠回りして、「決まりごとの大切さ」を学びました。




「正義など存在しない」と世界を見つめ直せば、それまでの自分の「思い込み」が見えてくる。

この世には、絶対善絶対悪も存在しない。

しかし、その土地に見合った社会善社会悪は、僕らの生活のために存在している。

感謝すべきそのことを見落としてしまうと、人生を棒に振ることになりかねない。

ついでに、美人系さとみちゃん(仮名)とももう少し長くいられただろう(笑)



神様がいなくても、僕らの生活を支える柱は、人間がちゃんと作っていた。

これは、とてもありがたいことなのかもしれない。



遠回りをしたように見えるけど、こうやって考えることで、




道徳や宗教観に偏らない、頭ごなしに思わされてきたことでもない、

物事の本来の姿、根本が見えてくるではないだろうか。




物事の根本が見えれば、誰にでも納得できる本質、すなわち真理が見えるかもしれない。

真理が分かれば、人生で感じる矛盾や、苦しい悩みの正体も見えてくるのではないだろうか。




「愛」とは何か、「幸せ」とは何か、「憎しみ」とは何か、

そういったものの本質が分かれば、みんなもっと幸せな世界をつくっていけるんじゃないだろうか。




こうして、何かと何かを考え続けている今のヤマケンが、誕生しました。


最後は長い自己紹介のようになってしまいましたね(笑)



これが、僕なんです。


また、次回に「○○とは、何ぞや?」ニコニコ


写真は、横浜マリンタワーニコニコ


ヤマケンのWeblog-Statue of Liberty


おはようございますニコニコ



さて、

まずは、議題の「正義」についてタロット:正義


今、僕の手元にある漢和辞典には、こうあります本



「人がふみ行うべき正しい道」

「正しい意義」



すると、こういう疑問がわいてくるわけですね。


誰にとっても、

どの国へ行っても、

行けるならどの星へ行っても、


「これは、正しい」と、誰もが断言できる絶対的な「正しい」ってなんだろう??




言ってもですよ、、他の国のことも、ましてや他の星のことも知らんし…ねぇ(笑)。


なので、アプローチを変えてみましょう。




誰が、何が、「正しい」を決められるのか。




となると、僕の頭に浮かぶのは、皆さんご存知の・・・



この世界をつくった「神様」的な存在。





それなら、決められる!  「正しいこと」を! つくったんだもの。





それで、神様、、、どこいますか??と。



私が、この世界を創りましたと、証明できる絶対的な存在って??



今のところ、無いと思われます。


もし、いれば、皆がその存在を認めているはずですよね。


現状まで、人によって信じる創造主は、違います。

その理由は、明快な証明がまだ、出来ていないから。




結論。




神様がいないから、絶対的な「正しい」は今のところ無い。



となると今のところ、絶対的な「善」も「悪」もないわけですよね。



さらに言えば、


「絶対的なもの」自体無い。



となるわけですよね。





この考えに至ったのは僕が、正義感いっぱいの、13歳になったときでした。



まだ、結論は続きます。

長くならないよう、今回はここまでパー



写真は、自由の女神(お台場)ニコニコ


ヤマケンのWeblog-tacos



前回の自己紹介で書いた



「正義って何だ?」



という、12歳の僕に浮かんだ疑問について、まず書いてみます。



いきなりですが僕は、ある有名な宗教を脱退した人です出


生まれてすぐに、親の意思でそこに名前を入れられたわけですが、



僕の考えとは合わないので、大人になってから抜けました。

(ボランティア団体としてなら応援できますが)


だからカテゴライズとしては、無神論者になるのかなニコニコ




で、です。


あるとき、その団体の中心的な人が、言いました。



「そう、私達は正義です!」



そこで、思ったわけですね。



「ん? 『正義』ってなんだ??」



当時の僕は、時代劇が大好きで、クラスでも男女関係無く仲良しの人気者の少年でした。



今回はここまでにします。

書き始めると長くなると思うので、なるべく分けようかなと。



写真は、タコスですニコニコ