妻が泣いてる夢をみた。

 

という知らせを聞いた。

ポケットに妻が大切にしていたぬいぐるみを入れて、鎌倉に出かけてきた。

 

妻が好きだった場所。

一緒に行ったのは、たぶん、2回くらいだったかな。

 

一緒にお寺で写経したのを今でもおぼえてる。

心が落ち着いて、とても気持ち良かった。

 

鎌倉に到着して、最初に気づいたのは、ポケットのぬいぐるみをどこかで落としたこと。

遺失物センターにすぐ連絡したものの、心の動揺は大きかった。

 

大きなぬいぐるみならいざ知らず、小さなぬいぐるみを拾って届けてくれる人なんている

だろうか?

 

神社でお参りして神様にお願いしたのは、どうか戻ってきますように、だっと。

 

自分自身では手放す決断が出来ない、執着しているものを無くすのということなのかな。

 

4月、5月と講師業をしていた。

そのとき、このぬいぐるみをモニタの近くにおいて仕事をしていた。

 

お昼、何を食べようかと思ったのだけど、しらす丼を食べる、そう決めた。

妻と一緒に江の島に行ったとき、しらす丼を一緒に食べた想い出があったから。

残念なことに、ぼくは海鮮が苦手だ。

江の島に行ったときは、そのお店にしらす丼以外のメニューがないかとさがした。

 

なかったので、おそるおそる食べた。

そんな想い出。

 

鎌倉で食べたしらす丼は、とてもおいしかった。

古くからやってそうなたたずまいのお店だった。

調理している方はご年輩の職人風の方。

 

このお店は、たぶん、何を食べても美味しい。

そう確信した。

「奈可川」というお店。

 

妻に食べさせてあげたい。

心からそう思った。

 

美味しい料理と、それをつくる心意気に、落とし物をして、しゅんとしていた

心が少しやわらいだ。

 

大切なぬいぐるみを無くした痛みと、おいしいしらす丼の想い出を刻んだ一日。

 

この大切なものを落とした痛みで気づいたことがある。

他に妻が大切にしていたものはなんだろう?と考えた。

 

妻が一番、大切にしていたのは、思えば、「ぼく自身」だった。

 

妻が哀しむのは、ぼくがぼく自身を大切にしないことだろう。

ぼく自身は、もう自分に価値を感じていない。

 

なくした痛みと共に気づいた。

妻が想っているのは、ものを大切にすることじゃない。

 

ぼくが自分自身を大切にすること。

きっとそうだろう。

痛みと共に気づくのは、いつだって、自分の愚かさだ。

 

愚かすぎるぼくをいつも包んでくれて、ありがとう。