あの日。

本当は俺たちのZEAL LINK 

ってやりたかったんだ。

 

すでに閉店してしまっているあの場所は

やっぱり思い出だらけで

いつものように写真だけ撮る予定だった。

 

すでにダンススタジオに変わってしまっていて

ここでも練習したことあるって

嬉しそうに話してくれたのを

なんとなく思い出しながら。

 

スタジオ前では、若い男の子が1人

練習終わりの仲間を

待っている感じだった。

まだ、練習し足りないのか

踊り足りないのか、少し路地に入ったあの場所で

こちらに背を向けて一生懸命踊っていた。

その汗は輝いていたし、表情は真剣で

まなざしは未来を向いていた。

 

自分の過去と今を振り返るような

そんな後ろ向きな写真のために

「ちょっとだけどいてくれませんか」なんて

ぜんぜん言えなくて

写真撮るのは諦めてしまった。

 

また来れるし、とも思ったが

名前も知らない彼の未来とエネルギーに

打ちのめされてしまった、

っていうのが、正解に近い。

 

少し歩いて、あの階段があった

こんなとこでリンクして、不思議な感覚になる。

アニメのEDパロディをやってた、あの階段。

 

もうその頃は、関係性も無くなっていて

自分が何か関わっていたわけじゃ無かったけれど

やっぱり、なんとなく苦しくなってしまったのを

今でも覚えている。

 

 

街も景色も人も変わっていく

 

 

これまでのいきさつと、そこに至る

自分の未熟さも相まって

後半はだいぶ微妙な関係だったと思う。

ぜんぶ元に戻したいって気持ちはあまりなくて

コロナだったのもあったけれど、本人が決めた事

存分に応援してあげたい気持ちだった。

大変なことも、きっとたくさんあったんだろうし。

 

思い返せばあの日、逃れたかったことの

大きな一因の1つだったのに

隔たりはあるにせよ、

選ぶのがお互い同じ場所なのかよと

驚き、苦笑してしまったのを覚えてる。

同じような音楽が好きだったんだよね、きっと。

 

もっと気軽に泊まれるようにしてあげたらよかったかなとか

2人で来た時、トリートメント切らしてたからからかなとか

通話で、自分の話とかが多過ぎたからかな とか

メシのレパートリーが少なくて、飽きちゃったからかなとか

 

たぶん、死を形容するような事を

書いてしまったからだって

こうなってしまった原因は分かりきっているけど

そんな事を未だに考えてしまう。

 

何かを進展させたかったわけではないけれど

もしも、なんらかの形で

あの微妙な感じが続いていたなら

あの日のEDパロディ、こんなだったんだよーって

話くらいはできていたかもなって

未だ少し悔やんでる。

 

 

街も景色も人も変わっていく

 

 

過ごした時間と言葉の数を思うと

こんな終わりかたしか残せなかった自分を

情けなく思う。なんとなく徒労感もある。

 

何年も前のことを書いているから

きっと未来を真っ直ぐに生きているんだろうし

なんの心配もしてない。

だけど、自分が存在するせいで

好きだった音楽や色々に

隔たりができてしまってないか

心配だったりもする。

もしそうなら一切気にしないで

好きなものを追求してほしい。

いろんな場所にも出かけてください。

 

街も景色も人も変わっていく

あの階段もきっといつかなくなって

見えなくなってしまう

そんな風には、変われない自分だけど

変わっていくものも受け入れていこうと思うよ。