3年になるのか。。。


時間の感覚がおかしいのか、

もっと10年も経ってしまったようにも思えるし、

まだ去年のことにも思える。

というか、だれかよく知っている他人に起きたことのようでもある。


3年前のあの日、

河口湖で9日間のサンドアートとのコラボでコンサートを終えて、夜実家に帰ると、

父はとりの手羽元を焼いて待っていてくれた。

ニンニクとスパイスで風味をつけて香ばしく焼けたとりを頬張りながら、

カリッと焼けてておいしいね、

って言った私に、

そうか?

って、照れ隠しのような、まんざらでもないような顔で。

私と父は感覚がよく似ていて、

味覚の好みも、嗅覚や聴覚の感度も似ていた。

家族の中で感覚が似ているのは父だけだった。

だから、ものすごく気が合うし、

ものすごくぶつかりもした。

でも、そんなこと口が裂けても言わないけど、

父が大好きだった。

子供の頃からずっと。


ご飯を食べ終わって、私が撮ってきた富士山の写真をたくさん見せてあげると、

すごいなー!

って、子供のようなぴかぴかな顔で喜んだ。

父はいつもそうだ。

がんこなくせに、子供みたいに純粋。

それを変えられないで生きてきた人。

その尊さと苦しさを私はわかっていて、

私の方が娘なのに、逆転して親みたいに守ってあげたくもあった。

「もうちょっとあったかくなったら行こうよ。富士山。

つれてったげる。

車だとけっこう近かったよ。」

と言うと、

にこにことものすごく嬉しそうだった。

春になったら行こうと、その日が無事に来ることを心から願った。

父は数ヶ月前に末期癌の宣告をされていた。


次の日の朝、三重県に戻る私が早起きすると、

早く出るけど起きなくていいから寝ててね、

って前の晩に言ったのに、父が起きてきてしまった。

ごめんね!起こしちゃった?

寝てていいのに!

って言った私に、

いいんだ、別に。目が覚めちゃうから、

みたいなことを言っていたけど、

父はもしかしたらどこかでわかっていたのかもしれない。

それが最後の朝で、もう私と会うことはないことを。

その日の晩、三重県に着いて、

夜中までいつものように夜更かしして寝付いた私を起こしたのは、

明け方の妹からの電話だった。

父が亡くなったと。

富士山の約束は果たしてあげられなかった。


さっき日付けが変わって、

ああ、命日になった。

3年か。

と。

父がいなくなってからのいろいろは自分の予想以上で、

それでも音楽を取り戻したし、

泣いてなにも手につかないこともなくなった。

この3年、父はいなくなったのに、

なぜかいる感覚がずっとある。

呼びかけたらいつものように、

なんだ?

っていう茶目っ気たっぷりのあの声だって聞こえる気がする。

あらためて今思う。

父の娘でよかったと。

私の中には、父の魂のエッセンスが揺るぎなくある。

ちゃんとしっかり、「父っぽさ」が生きている。

それが私にとって、

父からのいちばんのプレゼント。

最高のプレゼントなんだと思う。


富士山、連れて行ってあげたかった。

他にももっとあれもこれもたくさんしてあげたかった。

そんな思いばかりあふれる。

もう一度会いたい。

でもきっと会ったら、意地っ張りの父と私のことだから、

そういえば久しぶりだね、

元気だった?

みたいな強がりを言うに決まってる。