三浦春馬さん -49日-
三浦春馬さんのこと。あの日から49日この短くも長い間考えて考えて考えて考えて彼のことはファンだったわけではないです。だけど、あの日からずっと遠い昔の自分の経験がフラッシュバックするのか彼のエネルギーの強さなのかビックリするくらいに心がざわつき、それが一向に収まらず心が追いつかず言語化することに嫌悪感を感じていましたがさっきふと、今なら書けると思ったので書けるうちに、自分の為にも少し吐き出しておこうと思いました。このことから感じ取ったこと、受け取ったこと自分を見つめ直したこと改めて決意を強くしたこと気付いたこと沢山ありました。また今まで知らなかった彼の生き方に計り知れないほどの精神力の強さを感じ同年代の1人として感銘を受けると同時にそこから学びやメッセージを沢山受け取り無駄にしないと強く思いました。私だけなのかなぁと思っていましたがファンではなかったの私のような人が彼に強く心を惹かれ、心を打たれる人が多くいるそうで。彼が1つ1つの仕事に込めたそして注いだエネルギーと想いの強さを感じます。ただ沢山沢山考えても、未だに答えの出ないことがいくつかあります。その1つが彼のように外に全く見せずに苦しみ続けている人が自分の周りにいた時に、自分は気づけるのだろうか?ということです。どうにかならなかったのかと思えば思うほどこの問いを自分に問わずにはいられません。なぜかというと自分の場合は誰にも気づかれなかったからです。いや、気付かれないようにしていたのだから当たり前といえば、当たり前なのだけれどもそれでも、ふとした瞬間に自分1人で抱えきれなくなりこぼれてしまった小さなSOS、自分なりの精一杯のSOSは、時々ですが、ありました。きっと彼もそうだったと思います。だから正確にいうと気づかれてたのかもしれないけれどその深刻さまでは誰も気づかなかったですね。きっと幾重にも複雑に重なる要素からこぼれた少しの情報はあまりに断片的すぎて事の深刻さを図るには不十分だったのだと思います。あの頃の私は常に友達に囲まれていました。頼って欲しい、そう言ってくれる友達、真剣に心配してくれる友達もいました。明るくて、馬鹿なことをしては周りを笑かせて、色んな人からしょっちゅう相談されては、自分に言い聞かせるようなアドバイスしてる自分に心の中で失笑して。勉強も運動も人並み以上にできました。そして、外から見れば、うちの家は、親世代が追い求めてきたいわゆる理想の幸せな家族要素を全て満たしている家族だったと思います。だからこそ、そんなに恵まれているのだからと先入観が先にきて、精一杯のSOSがまさかそこまで深刻だと取られなかったということもあるのかもしれません。自分自身ですら、こんなに恵まれてるのになんて贅沢なんだと自己嫌悪に陥ることが多かったので。それに顔はいつも笑顔だし。すぐに何でもないような自分に戻るし。クセになってる笑顔クセになってる大丈夫という言葉が完璧主義な自分がどうしても抜けなくて頼れなくてだからこそ当たり前だけど気づいてもらえなくて。彼と同じ立場だったら自分も恐らく同じ選択をしていたと思います。私自身は壊れてしまった時、誰かに全てを打ち明けて頼るということを選べなかったけれど「捨てる」ということを選べる環境でした。自分が壊れても深刻さは周りには伝わっていなくて上部の部分だけをなんとかフォローしながら変わらず同じものを同じように自分に期待する周りがいてでも抱えてるものを周りに口にできるほど簡単な事柄でもなくて、(簡単に相談できてるなら、相談するだけで解決するならこんなに悩んでないよと思ってました。誰かに頼ること言うことによって大切なものが崩れてしまうこともあります。だから墓場まで持って行くつもりです。)長年かけて、その原因はある程度整理整頓できてきたけれどその時は長年掛けて積もった色々な原因が根深く複雑に混じりすぎてて当の自分は無自覚で頭が理解するより先にある日突然心が壊れたのでとてつもなく辛いという感情だけは重りのように確かにあるけれど何が原因でそうなっているのか具体的に全てを把握しきれてなくて、でも心が壊れてしまったが故に徐々に動けなくなっててだから全部捨てることで意思表示するしかなかった。もう自分にはこの生き方は無理だって。強行突破のような、何も自分に求めないでという無言の意思表示でした。私が「捨てる」ことを選んでそれでやっと深刻さに気づく人もいれば、それでもその深刻さに気づかない人もいてでも何が何だか訳がわからないというのが全員の本音だったと思います。そりゃそうだと思います。ハタからは順風満帆に見えていたと思います。家族ですら訳が分からなかったはずですし家族も親友も未だに本当の所は分からないことの方が多いと思います。未だに、そんな風にグレーのままで詮索せずにただ許容してくれた周りに心から感謝しています。だから、この時の自分にとって「捨てる」という選択肢すらも抱えている責任や期待、守るべきものの大きさから難しい状況であったとしたなら壊れた心を長年無視してそれでも動き続ける必要があったのなら何か小さなきっかけでバランスが崩れて突発的に同じような答えに行き着いていた気がします。このような生き方を人は30年間もの長い間続けられるものなんだとそして心が壊れてからも、人はここまで力強く生きれるものなんだと彼を知る過程で、信じられないと驚いたと同時に彼のプロ意識と責任感、精神力が尋常ではない程強いこと、ただ強すぎるが故に優しすぎて正しすぎる人だったんだと感じました。当時の私はまだまだ子供だったので若くて守べきものが少ない今のうちに捨てないと、この先抱えるものが増えてさらに苦しくなるし生き方をますます変えられなくなるしこのままだと遅かれ早かれ絶対限界がくると捨てることによる周りへの影響や迷惑も自己責任から少しはみ出た位で済むうちにと思い最後吹っ切ったことを覚えています。もちろんその答えに行き着くまでは苦しかったです。迷惑をかけること心配をかけること悲しませること傷つけることそれを裏切りに感じてしまう人もいることは嫌という程分かっていたので。それでも自分にとってはそれが、長い目で見た時に自分と周りの両方にとって被害を最小限にするベターな選択肢だったんです。それ以降、時間は掛かりましたが自分の生き方も考え方も大きく変えることができました。そのお陰で、抱えてる問題が全てなくなった訳ではなくとも自分を知る向き合うための時間を多く持つことができ自分軸を築き、自分自身の人生を生きれるようになりました。そして物事に対する向き合い方、感じ方、人との付き合い方、自分の心の守り方を大きく変えることができるようになったことで自然と感謝の気持ちがわき、誰かが決めた幸せではなく、自分の心が感じる幸せに気付き大切にできるようになりました。周りにそんな様子を見せずに気丈に振る舞い最後までその深刻さに気付かれなかった三浦春馬さんのことを考え、今更ながら、この時の自分を振り返って、どれだけ自分も周りに見せないように必死に振る舞っていたかそしてそんな自分を周りがどんな風に見ていたのかそれが分かるからこそ過去の自分のような人が、仮に今友達として目の前にいたら、その闇に気付けるのだろうか?気付いたとして、何ができるのだろうか?踏み込む勇気はあるのだろうか?心を開いてもらえるのだろうか?どこまで踏み込んで、どこまで寄り添い続けられるのだろうか?どうしたら救い出せるのだろうか?自分の経験があったからこそ自分の大切な人たちに対して、常にアンテナを張って少しの変化も見落とさないように、人の何倍も周りの表情や言葉、行動の観察を常にしていると思ってきたのだけれど三浦春馬さんの今までの映像を見ながら、彼の表情や言葉、振る舞いを見ながら、そんな問いを自分に何度も何度もする度にそこから助けることができないかもしれない隠れたSOSのサインを見落としてしまうかもしれないそんな自分の可能性に恐怖を感じました。周りは結局何もできないのかな?って。真っ暗な小さなトンネルの中で苦しんでいる人がいるなら救いたい。あんな苦しい場所の、もっとその先の苦しさなんて想像するだけで心が苦しい。彼に対してももちろん接点なんてなかったのに何かできることはなかったのか、そう思わずにはいられません。あの日から本当に喪失感が消えないでいます。ただ大切な人をきちんと抱きしめて、守っていきたい。本当に大切な人を本当の意味で大切にできるようになりたい。自分が苦しかった頃にそう心に誓ったようにそれを今回改めて強く思いました。そして改めて自分は今まで色んな人との出会いに生かされてここにいることができているんだと強く感じます。本当に出逢った人達に感謝です。彼の強さと優しさが全身全霊の強いエネルギーが紡ぎだした沢山のメッセージと生み出した沢山の素晴らしい作品をこれからも大切にしていきたいと思います。ありがとう。