歴史・文芸 講談の会 『太平記』の巻  内容案内

 南北朝の争乱を描いた『太平記』は、江戸時代にはよく読まれて、人々に知られていました。そのため、浄瑠璃や歌舞伎にはよく出てきていました。
 ところが、近年ではなじみがうすくなったように見受けられます。たとえば『仮名手本忠臣蔵』の作品は有名でも、なぜ「塩(えん)冶(や)判官(はんがん)」や「高師直(こうのもろのう)」が出てくるのか疑問を持たれることもあります。『忠臣蔵』は元禄時代の赤穂討入事件を、江戸幕府をはばかって、『太平記』の世界に時代を移した作品でした。
 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇でしたが、その後、天皇の下で内紛がおこります。護良親王・新田義貞・楠木正成らと、足利尊氏との間で争いとなります。尊氏は光(こう)厳(ごん)上皇・光(こう)明(みよう)天皇を担いで京都に幕府をつくります。尊氏の右腕として権勢を誇っていたのが高師直でした。これが北朝。これに対して、後醍醐天皇は吉野に籠もります。これが南朝。
 後醍醐天皇についていた新田義貞や楠木正成も、尊氏軍に攻められ滅んでしまいます。

 私の【講演】では、『太平記』の基本的な筋や登場人物を説明し、楠木正成の出る芸能作品などのお話をします。

【素浄瑠璃】『仮名手本忠臣蔵』大序を、将来の文楽を背負う豊竹希大夫・鶴澤清馗さんに、たっぷりと演奏していただきます。『仮名手本忠臣蔵』が通しで上演されましても、大序はなんとなく聞き過ごしてしまうことがあります。特に「兜改め」の部分は、若手が勉強のために、顔を出さずに御簾内で演奏することが普通ですが、今回はきっちりと一段語っていただきます。ご期待ください。

【歴史文芸講談】「塩冶判官の妻」(四ツ橋わたる脚本)
 『太平記』巻二十一の「塩冶判官讒死(ざんし)の事」をほとんど忠実に(もちろん、見てきたような虚構も含んでいますが)講談で演じてもらいます。江戸時代、講談師は「太平記読み」と言われたほど、講談と『太平記』は縁の深いものでした。
高師直が塩冶判官の妻の美貌の噂を聞き、吉田兼好に艶書を書かせたり、薬師寺次郎左衞門に歌を詠んでもらったりします。やっとの思いで、判官の妻を垣間見ることができたのですが、その仲介者が後難を恐れて姿をくらましてしまいます。
 そこで高師直は、塩冶判官に謀反の動きがあると、足利尊氏に吹き込みます。塩冶判官は妻子を連れて、ひそかに京を離れて本国出雲へ向かい、途中妻子を八幡六郎に預けて別れます。追手に追いつかれた六郎は、次郎君だけは僧に預けることができたのですが、判官の妻や太郎君を刺し殺し小屋に火をつけ、自分たちも切腹して死にます。
 一方、本国に着いた塩冶判官も大軍に攻められ、戦さの最中、八幡六郎の命令で生き延びてきた家臣から、妻子の最期を聞かされます。判官は嘆き悲しんで、馬上で腹を掻き切り絶命するという、とても憐れな物語です。
 これを旭堂南陵一門の南照、南陽、小二三の三人が演じてくれます。

【対談】
旭堂みなみの司会で、南陵さんと私荻田とが出会った頃の思い出話です。昭和四十年代後半の上方演芸界を、観客として表から見た立場、演者として中から見た立場で話し合う予定です。

【上方講談】「楠木の泣き男」。
 最後にお耳なおしに、古典的な上方講談を旭堂南陵さんに演じてもらいます。これはくすぐりも多い楽しい講談です。 ご期待ください。