小学生の頃、私は俗に言う「くそガキ」でした。
常に怒っていて、その怒りは恐れから来ていたように思います。周りが敵に見え、何でも自分が正しいと思っていました。テレビで報道される犯罪者たちも憎くて仕方ありませんでした。
学校にはまともに通えず、神経症を誘発していたのかもしれません。突然怖くなって暴れることもあり、言葉の力をなめていてクラスメイトを傷つけたこともありました。
学校生活の中で強烈な思い出として、心優しい校長に放課後一人で胸ぐらを掴まれたことがあります。小学1年から午後になると母が迎えに来て、精神病棟に通う日々を過ごしていました。
ある日、母が心配してとある場所に連れて行ってくれました。それは大きな日本家屋で見た目も素晴らしく、特に広い内部が印象的でした。大きな体育館のような広間は赤いじゅうたんで敷き詰められていました。そこでは私と似たような少年少女たちが遊び、かくれんぼをしたりして楽しい時間を過ごしました。
そして食事の時間になり、豪華な八宝菜を美味しくいただきました。大人の女性たちと一緒に、子供たちも含めて温かい食卓を囲んで食事をしました。ここではテレビもなく、誰も他人を批判することもなく、純粋に食事を楽しむ空気が流れていました。女性たち数人と少なくとも一人の男性がいたと思います。
食事後、一人の女性と数人の子供たちと一緒の部屋で過ごしました。女性は少女の髪の毛をすきながら何か話していたと思います。その後、私に話しかけてきて、「天使の輪って知ってる?」と尋ねられました。私は「うん」と答えると、女性は「良いことをし続けている人にはできるのよ。誰にでもできるのよ。あなたにも必ずできるわ」と言ってくれました。
帰り際、挨拶をするときに私は「ここは竜宮城みたいだね」と言うと、みんな笑っていました。翌日から学校へは普通に登校できるようになり、母も不思議がっていました。当時の私はよく理解していなかったようですが、後から考えると、心の中では少しずつ変化が起きていたのかもしれません。外に向けていた批判の目が自分の内面に向けられるようになりました。見下していた人たちが実は自分よりも先に進んでいることに気付き、取り残されたような感覚はありましたが、不快感はなかったのです。思えば、これが玉手箱のようなものだったのかもしれません。
成人してまた訪ねてみたいと思い、母に尋ねましたが、おかしなことにそのことは覚えているものの、彼らが誰であったか、あの建物が何であったかは思い出せないという状況でした。再び行ける日が来ることはないかもしれませんが、おそらく、どこかの宗教法人か施設で身寄りのない子供たちを引き取っていたのかもしれません。