◆ 酒や肉を多く食している
人は一生涯、出世発展 すること
がなく、慎まないと晩年不幸せである。
◆ 飲食が分限(もちまえ)より少ない人は人相が悪くても吉 であり、
相応の福分を得、長生きし、晩年幸福である。
◆ 飲食が分限より多い人はたとえ人相がよくても何事も 順調に行
かず、手遅ればかりで、生涯気苦労がたえず、 晩年不幸せである。
◆ 小食で厳しく定めている人は、たとえ貧乏して悪い 人相 であっても
相応の幸せがあり、長生きして何事も大抵 、不自 由することなく晩年
幸せであり、ひ弱そうに見えても 病気をす ることがない。
◆ 大食いであって、その上量も時間も決まっていない人は 問題外で
一生涯運は良くならず、ついに家庭をこわし、病 気になる。
◆ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なか ったりする
と、収入もまた多かったり少なかったりする。飲食 が一定していて
変化がないと、収入もまた一定して変化が な く、ただ食事を一定して
厳重に守るのが良い。
◆ 寿命の長い短いは、ただ人相だけでは定めにくく、平常 の食事の
量を調べて占うと万人に一人の失敗もない。
◆ 病気のない吉相の人であっても若い時から毎日贅沢な 食事の人
は年をとって胃腸の病気になる。
◆ 毎日仕事に精を出すだけでは、立身出世するものでは なく一生
懸命、倹約して、大食を慎み少しでも天から頂いて いる食物を延
ばしこれを基礎として立身出世を計るより他は ない。飲食に贅沢
三昧をし、したい放題をして、立身出世を 望むものは大馬鹿者だ。
返す返すも飲食を慎しむことが 第一です。
◆ 酒や肉を多く食している人は一生涯、出世発展 すること
がなく、慎まないと晩年不幸せである。
◆ 繁盛している家の運が尽きつぶれようとしておっても もし後継ぎ
の主人がその食事を減らして厳重に守ると収入 が自然に延び、
家運は栄える。
◆ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも自分自身で、貧乏人 らしく
粗末なものを食べ、これを厳重に守り抜く時は自然に 貧しさか
ら抜け出して相応の財産ができる。これを自福 自得 という。
◆ たとえ千日千夜祈ったとしても、そこに誠がなかったな らば
決して神明には通じない。もし誠を持って祈ろうと思うな らば、
自分の命を神に捧げよ。飲食はわが命をやしなう本 であり、
飲食を捧げることは、自分の命を捧げるのと同じで ある。神は
正直な人のこうべに宿られる。濁ったものは受け られない。
普段三椀であれば、毎日お膳に向かって、自分 の信ずる神仏
を心に思い祈るならば、どんな願いでも叶え られないことはない。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1159756/1180811/52473079
水野南北先生の「開運の極意」Ⅱ
「水野南北 開運の極意 」編集・発行 大見屋より
私は長年、ずっと人の人相を占ってきたが、ただ人相の みで判断
すると、金が出来て出世し長生きをする相の人 で貧乏し若死をする
人があり、貧乏で若死にをする相の人 が実際では金ができ、出世を
し長生きをする人があって なかなか当たらぬことが多く残念に思って
いた。
ところがあるとき、ふと食物が大事では?と気づき、人の 運・不運・
寿命はみな食べ物、飲み物を慎むか、慎まない か によって決まるの
ではあるまいかと、試してみたところ、 一年 前には大難が来るように
なっていた人が、断然飲食を 慎んだため大難をまぬがれただけでは
なく、かえって良い 事があり 生涯貧乏である相の人が、飲食を慎んだ
ため 相応の富貴を 得て、今は大変出世している人があり、前々 から
病弱短命 と判断していた人が毎日飲食を慎んだため、 心身共健康
で 長生きをしている人が少なくなくこんな例を 挙げると数え切 れない
程である。それからは人を占うのにまず、その人の 飲食の様子を聞
いてそれによって一生涯の 運・不運を判断 したところ、万人に一人の
失敗もないことが わかり、人の 運命はまったく飲食一つであると確信
し、これ を私の相法 の極意と定めました。
そしてこれを人に勧めるだけではなく、私自身が率先し て 実行し、
一生涯、唯麦を一日一合五勺(現代では玄米 一日 一合から一合五
勺)酒は大好物だがこれも一日一 合と定め た。これは唯自分のため
ばかりではなく、みん な が一日も 早く飲食を慎んで開運幸福長寿を得
られる よ う に切望して やまないからであった。
◆ 飲食が分限(もちまえ)より少ない人は人相が悪くても吉 であり、
相応の福分を得、長生きし、晩年幸福である。
◆ 飲食が分限より多い人はたとえ人相がよくても何事も 順調に行
かず、手遅ればかりで、生涯気苦労がたえず、 晩年不幸せである。
◆ 小食で厳しく定めている人は、たとえ貧乏して悪い 人相 であっても
相応の幸せがあり、長生きして何事も大抵 、不自 由することなく晩年
幸せであり、ひ弱そうに見えても 病気をす ることがない。
◆ 大食いであって、その上量も時間も決まっていない人は 問題外で
一生涯運は良くならず、ついに家庭をこわし、病 気になる。
◆ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なか ったりする
と、収入もまた多かったり少なかったりする。飲食 が一定していて
変化がないと、収入もまた一定して変化が な く、ただ食事を一定して
厳重に守るのが良い。
◆ 寿命の長い短いは、ただ人相だけでは定めにくく、平常 の食事の
量を調べて占うと万人に一人の失敗もない。
◆ 病気のない吉相の人であっても若い時から毎日贅沢な 食事の人
は年をとって胃腸の病気になる。
◆ 毎日仕事に精を出すだけでは、立身出世するものでは なく一生
懸命、倹約して、大食を慎み少しでも天から頂いて いる食物を延
ばしこれを基礎として立身出世を計るより他は ない。飲食に贅沢
三昧をし、したい放題をして、立身出世を 望むものは大馬鹿者だ。
返す返すも飲食を慎しむことが 第一です。
◆ 酒や肉を多く食している
人は一生涯、出世発展 すること
がなく、慎まないと晩年不幸せである。
◆ 繁盛している家の運が尽きつぶれようとしておっても もし後継ぎ
の主人がその食事を減らして厳重に守ると収入 が自然に延び、
家運は栄える。
◆ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも自分自身で、貧乏人 らしく
粗末なものを食べ、これを厳重に守り抜く時は自然に 貧しさか
ら抜け出して相応の財産ができる。これを自福 自得 という。
◆ たとえ千日千夜祈ったとしても、そこに誠がなかったな らば
決して神明には通じない。もし誠を持って祈ろうと思うな らば、
自分の命を神に捧げよ。飲食はわが命をやしなう本 であり、
飲食を捧げることは、自分の命を捧げるのと同じで ある。神は
正直な人のこうべに宿られる。濁ったものは受け られない。
普段三椀であれば、毎日お膳に向かって、自分 の信ずる神仏
を心に思い祈るならば、どんな願いでも叶え られないことはない。
◆ 一つの道に秀れている者は、たとえ慎みが堅固で あった とし
ても天は更に困窮を与えられることがある。 これは更に 一層
道に励まそうとされる天の御心である。
大人はこんなことに心を煩わされず、ますますその道 に 励む
ので、遂に天下に名を成す。小人は心がすぐに 乱れて つつしみ
を捨て、天を恨むので一生ふらふらして 目的を 達成することが
出来ない。たとえ小人であっても 飲食を 慎んで厳しく決めると心
は乱れない。心が乱れな かったら そのうちにきっと目的を達成
すること疑いなし。 だから 飲食を慎みそのほかのどんなことでも
善いという ことを 実行し天運を待っておるとよい。運は巡るので
ある 。善い ことも悪いこともみんな自分の実行に従って回っ て く
る。 運は報いである。自分で一度善いことをすれば、 その 報い
は必ず自分にまわってくる。吉凶ともその報い が 回ってくる来る
ことは天地の法則である。運ははこぶ である。自分の行う善事
が小さくてもこれをだんだん積 み 重ねていく時は、終いには天下
の大きな善事を成し 遂 げる. ~ より 抜粋
南北先生の相貌は実にみにくいもので「背は低く顔猊は せせこま
しく、口は小さく、目はけわしく落ち込み、印堂 は狭く、眉はうすい
。鼻は低く、頬骨は高く、歯は短く小 さい。また足も・・・・・」と自ら
記述されているように貧相 そのものだったそうです
https://www.ikiikigenki.net/2011/11/27/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E5%8D%97%E5%8C%97-%E9%96%8B%E9%81%8B%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E3%82%88%E3%82%8A/?mobile=1
水野南北 開運の極意 より
今回は、「水野南北 開運の極意」 万人に一人の誤りもなし
編集・発行 大見屋 より
水野南北は、
江戸時代の中頃京都に住み、聖徳太子を教祖として尊び、
更に神道、儒教、仏教の三道を深く研究した。
三年間、散髪屋の小僧になり頭の相を研究し、
三年間、風呂屋の三助をして体の相を研究し
三年間火葬場の隠坊をして死者の骨相を徹底的に究めた。
東西の相法を研究するのみでなく、実地についても深く研究を積み重ね、
百発百中、当たらざること無しと言われた。
--------------
私は長年、ずっと人の人相を占ってきたが、
ただ人相のみで判断すると、
金ができ出世し長生きをする相の人で、貧乏し若死をする人があり、
貧乏で若死をする相の人が、実際では金ができ出世をし長生きする人があって、
なかなか当らぬことが多く残念に思っていた。
ところがある時、ふと食物が大事では? と気づき、
人の運 不運 寿命は
みな食物、飲物をつつしむか つつしまないかによって
決まるのではあるまいかと、確かめてみたところ
一年前には大難が来るようになっていた人が、
断然飲食をつつしんだため
大難をまぬがれただけではなく、かえって良いことがあり、
生涯貧乏である相の人が、
飲食をつつしんだため相応の富貴を得て
今は大変出世している人があり、
前々から病弱短命と判断していた人が、毎日飲食をつつしんだため
心身共健康で長生きしている人が少なくない。
人を占うのに、まずその人の飲食の様子を聞いて
それによって一生涯の運、不運を判断したところ、
万人に一人の失敗もないことが分かり、
人の運命は全く飲食一つであると確信し、これを私の相法の極意と定めた。
私自身が率先して実行し、
一生涯少しも米を食べず、唯、麦を一日一合五勺だけとし、
酒は大好物だがこれも一日一合と定めた。
-------------
◯ 人間の一生の吉凶は皆只その人の飲食による。
恐るべきは飲食である。 つつしむべきは飲食である。
◯ 飲食が分限より少ない人は、人相が悪くとも吉であり、相応の福分を得て
長生きし晩年幸福である。
◯ 飲食が分限より多い人は、たとえ人相がよくても何事も順調に行かず、
手おくればかりで生涯気苦労がたえず、晩年不仕合である。
◯ 少食で、激しく定めている人は、たとえ貧乏して悪い人相であっても
相応のしあわせがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく
晩年しあわせであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
◯ 大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で、
一生涯運はよくならず、ついに家庭をこわし、病気になる。
◯ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なかったりすると、
収入もまた多かったり少なかったりする。
飲食が一定していて変化がないと、収入もまた一定して変化がなく、
ただ食事を一定して厳重に守るが良い。
◯ 厄年に大難の相があっても、いつもおごった食事をせず
厳重に定めている人は厄をまぬがれる。
◯ 酒や肉を多く食して肥え太った人は、一生涯、出世発展することがなく、
つしまないと、晩年不幸せである。
◯ 自分が後々、立身出世しようと思うならば、
まず第一に食を減らして厳重に定めること。
これが出来る人は必ず立身出世をし、
できない人は生涯立身出世の見込みがない。
◯ 繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしておっても、
もし跡継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると
収入が自然に伸び、家運は栄える。
◯ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも、
自分自身で、貧乏人らしく粗末な物を食べ、
れを厳重に守り抜くときは、自然に貧しさから抜けだして
相応の財産ができる。
これを自福自得という。
------------
○ 常に腹七分目を心がけよ。
○ 人それぞれ、仕事や体格が違うのであるから、
食べる分量は自ずと異なる。
したがって、食を節する場合は、その人相応の分量で節する必要がある。
○ 自分が食を節しているからといって、
家族や他の人に無理にそれを押し付けてはいけない。
○ 節制は吉だが、ケチは大凶である。
従って人をもてなす時は、自分の節制に関わりなく、盛大にもてなすこと。
○ 青菜の類は、いくら食べても構わない。
○ 昔の武士は合戦の時は、1日5食であったが、
そういう非常時には大食しても構わない。
○ 一芸に秀でるほどの者は、慎しみを堅く守っていても、
ますます天から苦しみを与えられことがある。
それはその道をますます究めさせるためである。
○ 食欲がなければ無理に食べるな。
○ 早寝早起きを心がけよ。
-------------------------------------------------