この記事では前回紹介した『コア・テキスト組織学習』という本について第一部を中心にもう少し詳しく見ていくことにします。

この本の第一部では、組織学習論という分野の基礎知識を学びます。より具体的には、組織学習の定義や研究目的、誰を学習主体として捉え、どのような成果が得られれば組織学習が成立したとみなすのかなど、組織学習論を論じる上で欠かせない視点を提供します。

 前回の記事でも紹介した組織学習をしなかったことの炎上例における結果論としては、これまで強い怒りや批判を表明していた世間たちが、その謝罪会見によって意外なほどすんなりと納得するというもの、もう一つは謝罪会見を開いたにも関わらず、むしろ逆効果で火に油を注ぐ結果になってしまうというものです。実際に、自分の組織の非を最初は認めず、隠蔽工作に走って、後からそのことが発覚して必死になって取り繕うことになる組織や、時代遅れの価値観がないまま、自分の組織の正当性を主張する組織は炎上する結果に陥りがちです。

 こうした事実は、組織の成功や失敗が必要な事柄を正しいタイミングで正しく学習できるかどうか、すなわち「組織学習」できるかどうかにかかっていると、私たちが捉えていることを如実に示すものです。

 

 では、組織が学習し続けることの意義や重要性とはどんなところにあるのでしょうか。一つ目はポジティブな側面に注目し、組織が学習することは成功や発展につながると考えられることです。そのためには、自らも環境に適合させることが必要になります。何らかの大きな環境変化が起きてから慌てて対応するという受動的な形もありますが、やはりより望ましいのは、たとえわずかでも環境から発せられる変化のシグナルを能動的に察知し、必要とされる意思決定や行動の先取りや実行をすることでしょう。

 組織が学習し続けることのもう一つの意義や重要性は、ネガティブな観点からのものです。成功や発展を望まない場合でも、組織が適切なタイミングで適切な内容を学習し続けなければ存続することすら難しくなるという現実がそこにはあります。それは、現在、他社に誇れるような圧倒的な技術や優れた資源、高い能力があったとしても、同じことです。それらはいずれ陳腐化してしまう恐れがあります。そのときに備えて、きちんと学習し次の手を用意しておかなければ、仮に変化のシグナルやそれに対応すべき行動を的確に知覚できたとしても、自らの能力の低さが足枷となって身動きがとれなくなってしまうことも十分に起こりえます。そうなればその先に待ち受けているのは「淘汰」しかありません。