私の周りには、各分野で頑張っておられる女性たちがおられます。これまで色々なバックグラウンドの素晴らしい女性たちにインタビューをさせて頂き、プロフィールや人生観などをお聞きしてきました。どの方からも、たくましくご自分の力で人生を切り開いていかれている力強さを感じます。

さて、今回は、こんな方にインタビューさせて頂きました。実業家、そして、セプテンバーコンサートなど数々の世界的なボランティア活動を企画運営されている多忙な方です。いったいどんなお話が聞けるのか楽しみです。


Haruko Smith(治子・スミス)
Founder and Chairwoman of "The September Concert" 他、
チャリティーイベントプロデューサー


ニューヨーク女性の集い


文と写真:キヨコ・ホルバート(キロスタジオ)

治子さんは、彼女自身のご希望で、15歳の時に単身アメリカに留学。イリノイ州の街で、アメリカ人の家族の元にホームステイしながら、現地の高校に通うようになる。その後、この家族の移転とともに、バージニア州に移り、高校を卒業。そして、卒業後、日本に戻り、上智大学に進学し、大学卒業後は、日本で数学の教師を勤める。そして、アメリカ人の夫と結婚し、再度、アメリカへ渡り、長男を出産するが、その後、離婚。サンフランシスコにて、自力でビジネスコンサルティングの会社をスタートさせる。大手顧客の(株)フェリシモの米国代表として招かれ、90年代後半に、4年間パリへ渡り、フェリシモの協力でユネスコと共に「Design 21」、「Tribute 21」というプロジェクトを担当。パリとニューヨークの間を行き来する生活が続く。2001年、9月11日の同時テロの発生後、パリからニューヨークに戻る。翌2002年、"The September Concert" (NPO)を立ち上げ、「平和の思い」を音楽に託し、「ニューヨークの街を音楽でいっぱいに!」との思いで毎年活動している。現在では、この活動は、日本をはじめ世界14ケ国に広がっている。


星座:水瓶座
出身:東京都
好きな色:紫よりのブルー
好きな花:白のカラリリー
得意な料理:「Honey Roasted Yam」と「特製サラダドレッシング種々」
好きな言葉:「自由」
美容、体に気をつけている事:いつも体を動かすようにしています。
趣味、興味を持っていること:ダンス、ピアノ、フィギュアスケート
尊敬する人:Jacques d'Amboise 一人の偉大なるダンサーですが、それよりも彼は、これまで200万人の人たちにダンスを通じて、「がんばれば、できる」という自信と勇気を教えたその業績は、素晴らしい。


Kiyoko:今日は、色んなお話を聞けるのを愉しみにしてきました。治子さんは、14歳の時に、ご自分から希望されて、お一人でアメリカに行かれたそうですが、どうしてそんなにアメリカに行きたかったのですか?
Haruko:私は、本が好きで、4-5歳の頃には、もう沢山の本を読んでいました。それも、絵本とか子供の本よりも、もう少し上の年齢の人が読むような本も読んでいました。特に、好きだった本は、7歳の時にアメリカに行き、後に教育者となり、津田塾を設立した「津田梅子」の自伝でした。ですので、その頃から、私も、彼女のようにアメリカに行くんだと思い込んでいましたので、15歳でアメリカに行けた時は、私にとっては、遅いくらいの気持ちでした。よく先生や友人に、「私、アメリカに行くのよ。」と言っていたそうで、先生から、母に「ご主人が、アメリカに転勤されるのですか?」と連絡が来た事もあったようです。

Kiyoko:ええっ、それは、すごいですね。それで、どうして、イリノイの街に行かれる事になったのですか?お知り合いでもいらしたのですか?
Haruko:いいえ、知り合いは、誰もいませんでした。14歳になった時、7歳でアメリカに渡られた津田梅子さんの2倍の年齢になってしまったことに気がついてちょっと焦りました。といってもどこに行く宛もなかったので、ある日、アメリカの地図を広げて、目を閉じて、「えいっつ!」と指を下ろしたところが、イリノイ州のChampaignという町でした。それで、その町の新聞社に手紙を書きましたら、私の手紙をその新聞に掲載してもらえる事になり、あるご夫婦が、それを見て、私の希望を叶えて下って、ホームステイを引き受けて下さいました。ご主人は、イリノイ大学の教授をされていました。

Kiyoko:それでも、まだ14-15歳の女の子だった訳ですから、一人でアメリカに出すのを、ご両親は心配されて、あなたを止めたりは、されなかったですが?
Haruko:私の父は、建築士、母もファッションデザインをしていましたので、アーティストの家風というか、自由でしたし、特に母は、外国に思いがあったようで、不思議と反対は、されなかったですね。

Kiyoko:英語の方は、どのくらいお出来になられたのですか?アメリカ人のご家庭に飛び込んだわけですから、最初は、大変ではなかったですか?
Haruko:はい、ある程度、勉強して、準備をしていきましたが、困った事も始めは色々ありました。空港に着いて、ホームステイ先のご家族がお迎えに来て下さっていて、それで、その空港を出る前に、お手洗いに行きたかったのですが、それをどのように表現したら良いか分からず、家に着くまでずーっと我慢していましたので、何かを質問されても、その間、"Yes" か、"No"しか言えずにいましたのを思い出します。

Kiyoko:小さい頃からの夢が叶ったのですから、アメリカの学校は、楽しかったでしょうね?日本の学校とは、どんなところが違ってましたか?又、アメリカ人の社会に入って、嬉しかった事、或は、悲しかった事は、ありましたか?
Haruko:アメリカの学校は本当に楽しかったです。(でも日本でも学校は楽しかったんです。いつも先生に可愛がられて幸せな子供でした。)「夢がかなった」という意識はなくて、「当然のようになった」という感じでしたので、学校にも違和感なく、すぅ~っと馴染んでいました。今考えると不思議ですね。悲しかったのはハイスクールを卒業してアメリカのお友達と別れる時でした。

ニューヨーク女性の集い

セプテンバーコンサートは、治子スミスさんの呼びかけにより、2002年の9月11日にニューヨークで始まりました。人々が「平和」への思いを音楽に託して集まったのです。街角や公園、NYの街のあちらこちらから、この日いろんな音色が響きわたりました。セプテンバーコンサートの理念は、Freedom(自由), Equality(平等), Accessiblity(参加しやすい)。誰でもどこでも自由にコンサートが開催できて、どんなジャンルの音楽もどんな人も平等に参加でき、入場無料。ひとりひとりの声が届く「草の根コンサート」です。http://www.septemberconcert.org/

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Kiyoko:話は、変わりますが、治子さんは、911のテロ事件の際は、どちらにおられましたか?又、セプテンバーコンサートを始められたきっかけは、何ですか?
Haruko:同時多発テロがニューヨークで起こった時、私は、パリにいました。そして、しばらくしてから、ニューヨークに戻りましたが、私が、知っている見慣れたニューヨークの街とは、すっかり変わっていました。ダウンタウンの様子は、しばらく傷跡のように痛々しかったですね。でも、それとは反対に、街の人たちは、それまでとは違って、とても優しくなっていたように感じました。皆がお互いを思いやる気持ちに溢れていましたね。ある時、私は、ニューヨークタイムズのWeekenderのページを見た時、1枚の写真が目に入りました。それは、上空から撮影した写真で、薄雲がかかった春のような柔らかい光の青空の下に穏やかな海が広がり、そして、その海の中に浮いている小さな小さなマンハッタン島が眼下に見えているというような写真でした。それを見た時、この街を音楽で一杯にしたいなあと思いました。私は、フランスに数年住んだ経験があり、フランスでは、毎年、6月の夏至の日の前後で、1日だけ、フランス全土で、プロ、アマを問わず、街のあちこちで、市民が演奏をするという祭典を経験していましたので、年に1回、そのような祭典の日をニューヨークでも計画できたらなあ良いなと思ったのです。

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庄野真代(シンガーソングライター)さんと


Kiyoko:庄野真代さんは、日本で、「セプテンバーコンサート」を広めておられますね。彼女とは、昔からのお知り合いですか?
Haruko:真代さんは、彼女の「飛んでイスタンブール」という曲が大ヒットしたすぐ後に、世界一周旅行に行かれ、そして、しばらくカリフォルニアに住まわれていた際に、当時、私は、サンフランシスコに住んでおりまして、知り合いの方からのご紹介で、初めてお目にかかりました。私は、アメリカに住んでいましたので、当初、彼女が有名な歌手である事は、ほとんど知りませんでしたが、その後、懇意にさせて頂いております。真代さんは、2004年に、ニューヨークでのセプテンバーコンサートに参加して下さり、「私たちもやりましょう!セプテンバーコンサートを!」と、翌年、東京発セプテンバーコンサートを開催され、日本でもこの活動を広め、色々と力を尽くされています。

Kiyoko:日本人とボランティア活動について、アメリカ人のボランティア活動との関係と比較をすると、どういう点が異なりますか?
Haruko:日本での経験がないので、大した比較は出来ませんが、アメリカ人はボランティア活動をあまり気張って考えていないと思います。当たり前に、本当に気軽に参加してくれます。ただ、それだけに無責任がまかり通っています。日本人ももうちょっと気楽に参加したらいいと思いますが、私の経験では日本人の方達は本当に親身に、誠意を尽くしてお手伝いして下さるので、安心して任せられます。でも最終的には個人ですね。セプテンバーコンサートは、もう何年もお手伝い頂いている20名近いコア・ボランティアがいて、ウェブサイト、アウトリーチ、写真/ビデオ、コンサートプロデュース、オフィスヘルプなど、ほぼ全分野が、ボランティアの手で賄われています。


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Kiyoko:911のテロから今年で10年目になりますが、セプテンバーコンサートも今年で10年目ですね。今年は、何か新しい企画を予定されていますか?
Haruko:私は、このセプテンバーコンサートは、テロ事件のメモリアルコンサートとして始めた訳ではありません。ニューヨークだけでなく、戦争やテロ、災害は、不幸にも世界中に溢れています。世界の平和を祈り、世界中の人たちが音楽を通して、少しでも幸せな気持ちを持つ事ができたら、どんなに素晴らしいか、そんな思いで、この10年間続けてきました。初めの頃も今も大変な事には変わりありませんが、企業の寄付とか協力を得るために何ヶ月も時間を費やし、そのあげくに、企業方針と異なるとか、色んな理由で協力を得られない事も多くあります。でも、そういう障害を乗り越え、クリエイティヴに考える力を延ばして、もっともっとこの活動を広めて行きたいと思います。

今年、一番力を入れているのは、ニューヨーク市内、そして国内の各地で一斉に同じ歌を歌い、また踊る企画を進めていることです。歌は Give Us Hope、特に子どもたちの参加を求めていますが、世界中で一番大きな合唱を目指しているので年齢は問いません。
Youtube にコーラスの各パーツ(ソプラノ、アルト、テナー、ベース)を習って頂くためのビデオをアップロードしています。世界的に有名な Young People's Chorus of NYCとNew York Choral Society のメンバーにレコーディングして頂きました。ぜひとも一度聞いてみて下さい、きっと参加されたくなると思います。ダンスの方は7月初めにアップロードする予定です。

数々のチャリティー活動に携わっておられ、とってもお忙しい方なのですが、お話が楽しくて、1時間程の予定が、気がつくと数時間のインタビューになってしまって、すっかりお邪魔してしまいました。世界中を飛び回って、色々なお仕事をされ、日本や欧米の数々のセレブの方ともお知り合いだし、お会いする前は、ちょっぴり緊張しておりましたが、気さくで、控えめなお人柄に、親しみを感じました。小柄な体格からは、想像できないくらいのパワフルな行動力をお持ちなので、びっくりです。セプテンバーコーンサート、今年も頑張って下さい!