前夜降った雪のせいだろう、中アでも特に空木岳が、主峰の駒ケ岳を抑えるかのようにアルペン的風貌を見せて際立っていた。
昨日、予定通りに上にいってきた。23日の月曜日に行ったばかりだったが、昨日は新たな雪が各所に目立ち、あれが逝く冬の最後の抗いかと思ったりした。
高遠の桜もすでに咲き始めていて、普段は静かな城下町に今年も花見の準備が進められ、賑わいの予兆がすでに感じられた。やはり季節の進み具合がここでも1週間ほど早い。
ならばなぜに、売り文句の「天下一」かどうかは知らないが、その「花」を写してここで見せてくれないのか、という意見もあろうかと思う。そうしようかと思いつつも、とうとう車を停めることなく帰ってきた。
どうも里の「花」にはあまり関心がなく、特に雪洞の淡い灯りならまだしも人工的な電飾の夜桜は、関係者には申し訳ないが、造花のようなものだと思ってしまう。あれは、花より団子の人たちにはいいだろうが、個人的にはあまりよろしい趣向だとは思えない、思っていない。
と、ここまで呟けば無論、上の山桜のことに触れたくなる。あれこそが本当の桜、「花」だと思うし、それと比べたらソメイヨシノなど片仮名で足りる、いやそれが相応しいと思っている。
ただし、自らの若い生命を「朝日ににほふ山桜」であったり、「万朶の桜」に重ねた深い思い、気持ちが、多くの人と同様ソメイヨシノであったとしても、ただただ首肯し受け止める。その点においては、ソメイヨシノも立派な「花」に間違いない、と僭越ながら断定しておく。心は右、頭は左。
話が逸れた、元に戻そう。数えたことはないが、牧場内でも山桜は優に100本以上はあるだろう(毎年そう言っている)。それでも車なら、気を付けていないと気付かずに通り過ぎてしまう。
あくまでも「花」は目立つことなく、清楚な姿、控えめゆえの品性、おのが分を守り、本来なら騒々しく妄言ばかり吐く者などが軽々しく目に触れては視力が落ちる、そういう尊いまでのお姿をした花である。だからいくら入魂しても、まだその本当の美しさを写したことはないし、できないと諦めている。
こう呟いている間でも次々と目に浮かぶ。まず北門を過ぎて左に折れた所の花が一番早い。第2検査場の少し離れた北のシラカバの林の中の花もいい。しかし、もっといいのは別の場所に、あの可憐な薄桃色の花を静かに咲かせている。
桜の花は、春の陽光満ちた青空を背景にしてみるのが一番だと思っている。高遠城址から見る「小彼岸桜の花」も、背景に中アの残雪の山々と青い空に多くを負っている。それをぜひ、本当かどうか各位の目でとくとご覧あれ。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。
