
もう、6年も前に書いたものですが、なぜか未だに読んでいただけています。
障害は不便だけど不幸じゃなかった。
人生の最後にこう思ってもらいたい、という一心でここまできました。
幼少期に、全く言葉がなかったりょうへい。
それでも、学びの喜びは、ぜひとも感じてもらいたい。
それは、生きる希望に繋がっていくに違いない。
この、ヘレンケラーさんの話を知ってからは、より強くそう思うようになりました。
文字の習得が極端に難しかったりょうへいに、音符の方が読みやすいのでは、と始めたピアノ。
日々、少しずつできることが増えていくことは、私にとっても希望だったし、りょうへいにとってもそうであったと思います。
何も、かっこいいピアノ男子にしよう、なんて初めから思っていたわけではありません。
癇癪が激しい時期もありましたが、りょうへいは今はとっても穏やかです。
今まで関わってくださったたくさんの方々のおかげだとは思いますが、小さい頃から続けていたピアノの力が大きかったと思っています。
家族がいなくなってからも、幸せであってほしい。
施設での虐待などのニュースを聞くたびに、やりきれない。