こんにちはニコ

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来年小学校に上がるお子さんにとって、今は進路を決める時期のようですね。


参考になるか分かりませんが、うちはどうやって決めたのかを書いてみます。



りょうへいは、幼稚園は障害児通園施設というところに行っていました。


言葉が全くでておらず、社会性もほとんどなかったので、幼稚園に関しては、普通の幼稚園は考えませんでした。


小学校に上がるにあたっては、地域の小学校の支援級と、養護学校の小学部のどちらか、といったところでした。


結果として、地域の小学校の支援級を選びました。

ひと昔前なら、知能指数で機械的に振り分けられていたようですが、りょうへいの入学する時には、保護者の意思がかなり汲まれるようになっていました。

(入学当時、りょうへいの知能指数は40くらいで、昔の基準でいえば、有無を言わさず養護学校)


養護学校の見学にも行きました。

小学1年生の教室では、個別課題をしていました。


2〜3人に対して1人の先生がついています。

1人ひとり違うことをしています。

「こんなことができて、すごいですね。」


担当の先生に話しかけたところ、


「これは、入学前からできていたんですよ。

ここでは、入学して1年間は新しいことをしません。

1年かけて、この場所に慣れてもらいます。」



障害児通園施設では、できることをどんどん増やしていただいていました。

一般のお子さんからみれば、ほんの少しずつの歩みでしたが、私にとってはとってもうれしい一歩一歩でした。

それが、小学校に入った途端、1年間は新しいことはしないなんて、、、


対して、地域の小学校の支援級の先生は、障害児教育に対して大変熱心な先生でした。

生徒に対して、愛情を込めて接してくださっていました。

国語や算数の授業では、1人ひとりに別の課題を与えて、支援員の方と力を合わせて、テキパキと指導をされていました。



園の先生にも相談しましたが、りょうへいは、周りを見て行動することもできているし、支援級でいいのでは、とのこと。


こんな経緯で、支援級に決めました。


入学した時も、見学時の先生がいてくださり、思った通りの教育が受けられました。(思った以上でしたえーん)

言葉がないどころか、ひらがなも数字もまるで分からない状態で入学しましたが、1年間でたくさんのことを身につけて帰ってきました。


交流級の皆さんにも、温かくしていただきました。


これは、りょうへいが、たまたま恵まれていたのだと思います。

でも、子どもはみんな、おんなじ所で学ぶのが、本来あるべき姿だと私は思っています。