いつも、読んでくださってありがとうございます(*^^*)
いいね、コメント、読者登録もうれしいです\(^o^)/
昔、合唱をしていた時に、「深き淵より」という組曲を歌ったことがあります。
この曲を作詞した方は、目の見えない方、という認識しか、当時はありませんでした。
でも、今になってこの歌詞が身にしみます。
中でも、この曲が印象に残っています。









「うたをうたってあげたい」
うたをうたってあげたい
ひくくひくくちいさく そしてやさしいこえで
あなたのすきな やまのうたを
あなたのめには みることのできない
このはのいろと ことりのすがたを
うたをうたってください
ひくくひくくちいさく そしてやさしいこえで
わたしのすきな うみのうたを
わたしのめには みることのできない
なみのいろと かいのかたちを
うたをうたい うたをうたう
ひくくひくくちいさく そしてやさしいこえで
あなたのめにも わたしのめにも
だれのめにも みることのできない
ひとのこころの かなしみや よろこびを
うつくしい ふしにのせて













この、目の見える人と、目の見えない人が並列に書かれているのがいいんですよね。
目の見える人にしか、見えないもの。
目の見えない人にしか、見えないもの。
目の見える人にも目の見えない人にも、見えないもの。
りょうへいは、言葉がほとんど通じなかったので、りょうへいの感じていることを、こちらが必死に読み取るしかありませんでした。
ずっと、そうしているうちに、言葉がすらすら話せている人だって、自分の気持ちを的確にすらすらと話せているわけじゃないんじゃないかって。
あれっ、もしかして、言葉がある方がかえって人の心が見えにくくなることもあるんじゃないの?と思うようになりました。
言葉がしゃべれても、目が見えていても、見えない人の気持ち。
それを、周りの人たちが、分かろうとすることは、相手が言葉が話せる、話せない、目が見える、見えない、に関係なく大事なこと。
そんな当たり前なことを、りょうへいが気づかせてくれました。
だから、この歌詞が心に響くようになったのかもしれません。