イスラエルで襲撃されて命を

落としたなかに

 

実はドイツ人観光客の女性も

入ってたと語られている。

 

 

もちろん

亡くなったのは彼女だけではなく

他国の大勢の観光客が

含まれている。

 

 

思ったんだけど

ハマスはまるで「イスラエルにいる人は

どの国の人間だろうと全員敵」

とでもいってるみたいだ。

 

 

だって「人違いだ知らなかった」

はさすがに理由に

ならない。

 

 

他国の観光客がいることくらいは

最初から想像がつきそうなもの

だったのだから。

 

 

この襲撃は念入りに計画されてから

実行されたもので

 

ならばその計画段階のときに

『他国の人間をまきこむこと』

をハマスが想像し

 

そこで国際世論の反応を

もし憂慮していたなら

 

 

実行部隊に「相手の正体がわからない

うちは軽軽な殺害はひかえろ」

と厳命してたはず。

 

 

 

そうせず

 

手当たりしだいに

ころしてまわったところに

彼らの憎しみのふかさを

想像する。

 

 

 

まるで

「イスラエルの蛮行には

国際世論は

無関心だったくせに

おまえらも同罪だ」

 

とでも思って

 

そこへの配慮に

まったくの無関心で

いるかのよう。

 

 

 

ボクは

イスラエルとハマス

どちらの蛮行や襲撃にも

共感しない。

 

 

ただ

憎しみは連鎖を

生み出すと

あらためて

思い

 

なぜそれを

双方の民衆が

本当は

わかってるくせに

 

わかってても

実行できないかに

かなしみを

感じる。

 

 

これは

支援をしている

他の国にも

いえることで

 

イランやアメリカだって

同じことだ。

 

 

銃を捨てれない

文化も

そこに関係していると

思う。

 

 

日本は

邪馬台国の卑弥呼(日巫女)の時代に

 

『男が統治したが

あらそいが絶えず

 

やむなく

女性が統治したら

平和がおとずれた。

 

以来、この国は女性が

統治するように

なった。』

 

と歴史書が伝え

 

そのときの『和(仲良く)』が

この国の

精神文化の

ひとつになったと

思っている。

 

 

あるいは

そんな風にして

 

イスラエルとハマス

双方の指導者が

もし女性になったら

 

いまよりはよっぽど

蛮行が減るだろうに

 

でもそれは

イスラムの女性の地位からいっても

あるいは

イスラエルの

現場の兵士や個々の民衆から

いっても

 

無理なんだろうなぁ

と無理筋を承知で

夢想してしまう。

 

 

国際世論が

本当に公平に

 

えこひいきせず

 

憎しみの連鎖を

生み出す

個々の蛮行を

厳禁にできたら

いいのに。

 

 

 

犬猫