前回のブログ

 

 

 

 

ものすごく

ナイーブな話題に関して

 

『一理は、ある』

 

と書いた件に関して

 

さらに補足して

自分の考えを書かねば

と思う。

 

 

 

原爆投下に

至る前

 

 

彼らの判断に

重大な影響を

与えた出来事

として

 

硫黄島の戦い

がある。

 

 

ウイキペディアによれば

この戦いで

日本側は

 

守備兵の95%が

戦死ないしは

行方不明になった

という。

 

 

同時に

 

アメリカ側も

甚大な被害を受け

 

作戦部に

深刻な動揺を

与えたと

いわれている。

 

 

そして

本土では

 

やがて来るであろう

アメリカ部隊に対して

 

日本軍部は

竹やりを手に

 

国民一丸での

本土決戦の

姿勢を

崩してなかった。

 

 

実戦に移れば

 

手榴弾を

配備しての

徹底抗戦になると

思われる。

 

 

 

捕虜の扱いなど

戦時におけるルールを

定めたジュネーブ条約

では

 

非戦闘員への戦闘を

禁じているが

 

 

このときの

日本軍の姿勢に

照らし合わせて

考えた

 

日本の民間人が

 

完全にこれに

該当するか否かは

一考の余地がある。

 

 

 

少なくとも

彼ら米軍の

立場に立って

考えてみたならば

 

投下の判断に

傾いた理由には

なると私は思う。

 

 

ただしもちろん

それに

 

日本人である私が

同意するか否かは

 

これまた別の

判断になる。

 

 

いわせて

もらうならば

 

 

「投下するのは

わかったが

 

日本軍部に降伏を決断

させるだけなら

 

どこか人の住んでない

海にでも向けて

 

威嚇投下をすれば

それで済んだの

ではないか。」

 

という思いがある。

 

そうすれば

子供も含めた民間人に

犠牲がでることは

なかっただろう。


 

 

だが

彼らは

本音の部分では

 

原爆のデータが

欲しかった

のだろう。

 

 

それが

人体やインフラに与える

さまざまな影響を知り

 

 

次に来るだろう

ソ連との対決に

利するために

 

彼らはこれを

求めたのだ。

 

 

そして

そこには

人種差別や

日本人憎しの感情だって

あっただろう。

 

それが

歴史の表には

けっして出さない

 

彼らの本音の部分だ。

 

 

 

私自身

 

投下に関する

立場をいまでも

決めかねるのは

 

このような背景

があるからだ。

 

 

 

だけど

これを奇襲した側

抵抗姿勢を示し続けた側が

 

断罪としてアメリカ側に

言うことには

抵抗がある。

 

 

もしも

彼ら自身が

反省し

 

「あのときの判断は

やっぱり間違っていた」

 

といってくれるなら

 

それは大いに

心の底から

歓迎する。

 

また、世界が

そうなるよう

 

広島、長崎での

被害の実態を

 

世界に向けて

発信し続けることにも

 

大いなる意味を

感じる。

 

 

ただ

そのラインを越えて

 

こちらが

彼らに反省を

強いようとする

姿勢があれば

 

どうしても

そこに恥という

抵抗を感じて

しまう。

 

 

 

 

沖縄、長崎の犠牲者の

ご冥福をお祈り

致します。