日本は

選手団は派遣するが

 

 

閣僚は

送らないという

 

いかにも

岸田政権らしい

 

玉虫色の方針で

 

政治決着したようだ。

 

 

 

この決定については

 

賛否両論

さまざま

だろう。

 

 

 

これまで

 

オリンピックのために

頑張ってきた

選手たちのことを

思えば

 

よかったという意見が

 

心情的に日本では

多いのかも

しれない。

 

 

異論を承知で

書かせてもらうと

 

わたしは不参加を

決めた自由主義諸国と

 

足並みを

そろえるべきだった

と思う。

 

 

この考えに

至る

前提条件として

 

中国への認識を

書いておく必要が

あろうかと

思うが

 

 

 

 

中国との経済利害問題や

政治問題、さまざまなことを

考える上で

 

彼ら政府と交流するうえでの

利というのは

 

たとえるなら

道に落ちている栗を

拾うようなものだと

思う。

 

 

 

栗には

イガがあって

危ない。

 

 

しかし

栗にイガは

つきものなので

 

 

イガを

怖がっては

栗は拾えない。

 

 

多くの人は

そう考えて

 

中国との関係を

重視し

 

 

企業は

中国投資を

加速し

 

 

栗の実を

ひろって食べようと

するんだろう。

 

 

だけど

実は

 

真の危険は

イガに

あるのではなく

 

 

その栗が

おいてある下は

 

じつは

落とし穴になっていて

 

 

そこには

体を串刺しにする

危険な杭が

埋め込まれてて

 

 

その落とし穴に

気付かずに

 

栗を拾おうと

してるところに

ある

 

そこが

怖いのでは

ないか。

 

 

この場合でいう

落とし穴とは

何か。

 

 

 

たとえば

今回の武漢肺炎は

ウィルス研究所からの

流出が

疑われているのに

 

中国はその

調査を拒んでいる。

 

 

あるいは別の件では

 

中国投資をしたら

 

その企業が

考えられないような

不正会計をしていて

 

投資した会社が

大損したりする。

 

 

あるいは

特許や知的財産権

などの世界ルールを

守らず

 

不正に利益を得て

 

競合他社に

不利を強いる。

 

そして

ウィグル問題のような

反人権を断行したりも

する。

 

 

彼ら政府と

交流を深めることの

問題点は

 

あたかも

物理学でいうところの

 

熱量保存の法則

のように

 

 

温かい水に

冷たい水をまぜたとき

 

温かい水の温度が

下がるというような

現象に見舞われる。

 

 

そのことが

自由主義社会に

もたらされる

 

真の恐ろしさ

だと思う。

 

 

ウィグル問題に

目をつぶって

 

『それは内政問題だから

自分には

関係がないんだ』

 

というように

 

もし自由主義の国が

そういう態度を

取り始めたら

 

 

我々は

 

自分たちの人権が

 

気付かないうちに

中国政府によって

じわじわと浸食されて

いっていることを

 

覚悟しないと

いけない。

 

 

 

今回西側諸国が

不参加を次々に

表明しているのは

そういうことだ。

 

 

それに

日本が足並みを

そろえない方法で

 

参加を

あいまいに

決めたことは

 

 

日本にとって

良くない結果に

つながると

思う。

 

 

よくないといっても

 

それは

損利をどう計算したか

 

という

利の大小につながる

話ではなくて

 

 

そこから

切り離して

大事にしないと

いけない

 

イデオロギーに

関する問題なんだ

けど。