そもそも

日本社会は

 

 

金融所得を不労所得

と呼んでいて、

 

その呼び方の根底にあるのは

 

 

不労 = 働かずに

 

 

という

 

 

まるで江戸時代の

士農工商の

ような

 

 

非労働に対する

差別意識の

考え方だ。

 

 

 

しかしこれは

 

先般の初期高市さんの

増税案の発言

からも感じられるように

 

 

根底にあるのは

 

きちんと

投資を理解していない

考え方に思える。

 

 

 

本来は

 

投資の価値を

はかる時

 

 

働いているか、いないか

 

 

で判断するの

でなく

 

 

リスクテイク

 

で価値を計って

 

呼ぶべき性質の

ものだ。

 

 

 

 

かつて社会で

 

 

只と思われていた

水や安全が

 

 

じつは

只ではなかったように

 

 

本来は

 

リスクをとる価値も

只ではない。

 

 

 

ところが

 

そこを

わかってない社会は

 

 

リスクのことを

簡単に“不労”と呼んで

 

 

 

その対価を

 

 

やっきになって

 

減らそうと

する気がする。

 

 

 

そうすると

やってくるのは

 

誰もあえてリスクを

とろうとしない

 

社会の停滞だ。

 

 

 

 

日本ははやく

 

コメ作りの

家康の価値観から

 

 

楽市楽座で

商人を呼び寄せた

信長の価値観へと

 

 

転身しないと

いけない。

 

 

 

国を

富ませるとは

 

信長や

 

あるいは

 

産業を興した

幕末の薩摩

 

のような

 

考え方の方

だろう。

 

 

 

かつて

 

100人で

していた仕事を

 

機械を

つかうことで

 

1人でも

できるようになり

 

 

やがて

人手を介さずとも

 

すべて

機械がする

ようになる。

 

 

 

たとえば

 

ユニクロの

セルフレジのような

ものだ。

 

 

 

そういう時代の

流れの中で

 

 

労働だけに価値を

認める考え方は

 

時代に

取り残されて

いくだけ

だろう。