志村さんの訃報を

きいて、信じられない衝撃と

だめだったかという思いが

同時に心に飛来する。

 

高齢者は重症化しやすい

というのを訊いてて

どこかにその可能性も

ゼロではないという覚悟が

あったからだ。

 

そして心の片隅で

このニュースを

株式市場はどのように

消化するのだろう…

という気持ちも

残念だがある。

 

志村さんの訃報と

相前後して

市場は

じりじりと値を下げ

そしてそこから反発をして

訃報が伝わるまえのころの

値に今はおちついている。

 

おれは

志村さんの、元気な回復が

市場に伝わって、それが国民の

希望につながる広告効果を

期待していた。

 

それは裏切られ、志村さんの

死は、国民に警戒の度を高める

広告効果となったように

感じる。

 

そして市場はそれを

もうすでにおりこみずみ

であるかのように

あるいはそれを好感さえ

していたかのように

もしくは

影響などまるで

ないかのように

扱っているようにうつる。

 

志村さんは

ドリフやバカとので

おれたちに

記憶をのこし

夜の街で

死んだ。

 

彼は いかにも

コメディアンらしかった。

 

そして、おれたちはつくづく

地獄の住人だな

と思う。