MONO NO AWAREのゴミという曲を初めて聞いたときに、歌詞の最後の一行がとても衝撃的で、やられたなあと思った。
その後ラジオで周啓さんがこの曲の話をしてるときに、子供の頃、物を捨てるときにそれらに、ありがとうございましたって言ってから捨てるように教えられてたという話をしていて、それが印象的だったので私もちょっとありがとうを言ってみようかと。

今、この靴を履いて旅行をしている。
仕事をやめてからはバイト先専用にしていたのだけど、2ヶ月くらい前に穴が空いてるのを発見して、ちょうど厨房靴を買ってくれると言ってもらえたので、家に持って帰っていた。
私は服は気に入らなくなったらどんどん手放せる。でも、それ以外の身の回りのものに関しては見切りの付け時がわからなくて、結構ずっと使ってしまう。パジャマとか下着とかタオルとか。
この靴も穴は空いとるけどまだ靴の形してるから履けるんよなあ、でもさすがに汚すぎて外に履いては行けんなあ、、とか考えて、廊下に持って帰ってきたときのまま放置してた。

今回の旅行を決めたのは本当に出発まで1か月切ってるみたいな、ぎりぎりのときだったから準備をする時間もなくて、家にあるもので出発しなきゃいけなかった。靴もそう。
旅行はたくさん歩くから、普段いちばん履いてるコンバースのオールスターは底が薄くて絶対疲れるよな〜マーチンもしんどいしナイキは服を選ぶ色だからな〜(靴が少ない)なんて考えていたら、廊下のこいつが目にとまり。
そうだ、これを持ってって旅先で履こう。んでこの靴の靴人生を全うさせて、そしたら思い切って捨てよう!と思ったわけ。
ここ数年、それこそ下着やタオルはがっつり旅行に行くときにくたびれたものを持ってって現地で処分して、それを買い替えのタイミングにしていたので、靴にもそれ適用したらいいじゃーんって。

で、空港ではオールスターで、ホテルに着いてからこれに履き替えたのだけど、やっぱり履き混みすぎてなじむからたくさん歩いても全然平気。って書いてるけど歩いてる時はそんなこと意識してなかった。でも歩き疲れても足の裏いてぇ、、とかならんかったということはそういうことだよね。
前回の一人旅で、人は全然自分のことを気にしちゃいないわ、と強く感じたので、少々汚れた靴で歩くことには抵抗は無い。
唯一恥ずかしかったのは、靴屋でサイズを伝えるために店員さんに脱いだ自分の靴を見せたときかな、、。

そしてついに明日が終わったら帰国の日なのでもうすぐこの靴とお別れなのですが、、正直めちゃめちゃ未練あるんよな〜こんなに汚いのに。
これはね、社会人一年目の時にKBFで買った。
ニューバランスが流行ったのち女子のスニーカーが定着したみたいな時期で、それまで自分にスニーカーなんか似合わないわ、、と思ってみんなのニューバランスを遠巻きに眺めていた私も、さすがに楽そうやし可愛いし欲しくなってきて思い切って買ったもの。
ナイキがいいってのは決めてて、たしかセールしてたからここで買っとこ!と思って、これとオレンジのモントリオールがあって悩んだんよなあ。形はモントリオールのがスポーティすぎんで好きやけど、オレンジかぁ〜〜〜ってなって、結局こっちにした。
はじめこそ違和感あったし、ウワ似合わんすぎてウケる、、と思ってたけど、しばらく履くとやっぱり楽だし、意外と手持ちの服に合ってるな!と気づき、そっからはもうねー、めちゃくちゃ履いた。
基本服が黒だから、ちょうどよかったのよなー。一生同じ靴下履いてるときあったんやけど、それと相性がちょうどよかった。そっから靴下をたくさん履くようになって、スタメン白ソックスにももちろん合うし、ギラギラソックスと合わすのも好きだったなー。
あとは今回と前回、二度のイギリス旅行を共にしてくれた功績もでかい。

5年も履いちゃうと、やっぱりすごくなじんでいるなあと思うし、あと上に書いたように、買ったときのこととか、その経緯まで覚えてるものって、なんとなく買った服とかにはない愛着が湧くから、捨てるんかあ、、ってね、なるよね。

って言いながら、多分捨てたら私は割とすぐこの靴が玄関になくても何にも思わなくなるんだろうと思うよ。でも、こうやってこんだけこの靴のこと頼りにしてたし感謝している!というのを書いとけばたまには思い出せるかなと思って書きました!長!
なのでね、僕たちもいずれはなるんだよってことで、ものも使うとぼろぼろになるのは仕方ないけど、捨てるときにありがとう、と思えるようなものを厳選して買いたいし使っていきたい。

歩いても 歩いても感想

冒頭のご飯がどれもおいしそう。
台所のダイニングテーブルを囲んで、みんなでご飯を作る準備をしている"日本の台所"の風景に引き込まれる、とこの映画を紹介しているコラムを読んでこれを観ることにしたから台所のシーンを楽しみにしていたのだけど、本当にリアルで、懐かしい気持ちになった。
とうもろこしの天ぷらに関しては、私は今年に入って初めて食べたから大人の食べ物、ちょっとよそゆきな食べ物だと思っていたけど、ここに出てくるととても素朴なお料理に見えた。よく考えたらとうもろこしをあげてるだけだもんな。
映画本編は決して楽しい気持ちだけで観られるものではないけど、ご飯やおやつをわいわい言いながら作るその場面では、こっちもなんだか幸せな気持ちになるね。

ちょうどお盆の時期で、自分も帰省しているタイミングで観たから、食卓や診察室での会話の中に流れるなんとも言えない空気に覚えがあって、うっわーーわかるわかるわかる、、、!!!!と思いながら観ていた。
話すべきなんだろうなってわかってはいるけど何となく話せずにいることだったり、相手がこう思っているだろうなってある程度予想がついているけど話し合った方がいい話題があって、それについて切り出すのがためらわれたり、あるわ〜〜〜あるよね??

この映画に出てる人の演技が全員すごくリアルで。
お母さんが普段はたくさん話すのに、大事な話になったらすぐ話題をそらすとことか。
YOUみたいな人が場を和ませてくれるのまじでありがたいんだよなとか(私の場合はいとこのお母さま、感謝)

私は親になったことがないから、子供の再婚相手にぶつぶつ言ったり、子供が亡くなる原因になった人にあんなことを言う気持ちが、完全にはわからなくて。
そして自分がよそ者って立場になるコミュニティにがっつり入ったこともないから、何となく阿部寛目線で観ていて、だから親の発言にカチンと来たとこもあったけど。
いろんな思いがあって、家族だからってそれを全部さらけ出す必要はないけども、他人と接するときとは距離の取り方がどうしたって違ってしまうから、だから難しいのだよなー、と、すごく思った。

これを観ていて、私にとっても実家は、自分ちがここにしかなかったときとは確実に居心地は変わっていて、それは悲しいけど仕方のないことなんだな、と思った。
前よりも話さないことが増えて、今は自分で話さないと自分の状況が相手には伝わらないし逆も然りで、どうしたって気を使う度合いが一緒に住んでいたときより増しているから。

ラストシーンを観た時にすごくヘルシンキのTime,Time,Timeの歌詞を思い出した。
この気持ちは私はまだ想像するしかできないやつだけど、あの歌詞にこの映画で感じたことが全て詰まっているなと思った。
もっと話がしたいんだよ君と、と思ったときに話せるならちょっとでもいつもより多めに話そうかな、とか考える一本でした。それが難しいんだけどね。


お休みの日はお菓子狩りに出かけるのが常だけど今日は今日は家でごろごろするぞ!と決めていたのです。暑いし。さすがに毎日出歩いてたら家にいたくなったので。でも、昨日先輩に行くよう言われた所用だけはちゃんと行っとくか、と、朝ちょっとだけ外出して、そしたらまあふつうに不備があって物事はすすまず予定よりだいぶ早く終わって、やりきれない気持ちで家に帰っていたら帰り道にヤバイ喫茶店を見つけた。
ヤバイって言うとめちゃくちゃ語弊あるけど、褒めてますので。昔ながらの、かと言って純喫茶特集とかで取り上げられるかんじのクラシックな佇まいでもなく、そっけなさすら感じるタイプの外観のやつ。時代に合わせて改装、とかはせず、生まれたままの姿ってかんじかな?
日替わり定食の内容がホワイトボードに書かれていて、肉じゃが+サケ(手羽元)って書いてあって、日替わり定食にこんな素朴なメニューあるの珍しくない??!と思って無性に食べたくなってしまったの。しかも600円だし。
ただね、中の様子が外から一切見えなくなってて、入るかどうかしばらく迷った。

入ったらまだお客さんいなくて、お店のおじさんが客席でタバコ吸ってたから、ミスったか?!!と思い一瞬後悔したけど、めっちゃいいおじさんだった。
今年は今までよりいろんなお店に行ってるけど、その中で接客が最悪で印象に残ってる店もあって、それも昔ながらのお店だったから、そうだったらどうしよう、と思ったんやけど、全然違った。
喋りかけてくれたし、何回もまた来てなって店の定休日教えてくれたし。笑




美味しかった!!家のご飯感ある〜。また行く。

外でご飯を食べることの面白さって、こういうとこにもあるよなあと思った。今日行ったとこは、近所のおじさまがスポーツ新聞片手にふらっと入ってきてコーヒー一杯飲んでくみたいなかんじだから、常連さんばかりだろうし、そんな中でわたしみたいなんにも話しかけてくれるの、暇だったからだろうけど嬉しいし、一見そんな店の人との会話なんか生まれないだろう、ってかんじのお店であっても、こんなことがあってちょっと楽しくご飯が食べられて。
毎回当たりを引けるわけじゃないけど、見た目通りの場合ばかりじゃないなあって。

こういう瞬間が、私にとってはすごく面白い、と感じるな、という発見。