80回目の終戦記念日である本日公開の映画
「雪風」
母方の祖父が乗ってた駆逐艦では?
と軍歴等を見返しましたが
違った…
今まで戦死した大伯父(陸軍2名)の事ばかり調べていましたが
この機会に生還した祖父が経験した戦争について深掘りしてみようと思います。
母方の祖父は明治40年生まれ
昭和2年、横須賀海兵団へ入団
終戦当時は37歳、子どもが5人いました。
私が小学4年生の時に肺がんで亡くなり、直接戦争についての話しを聞く機会はありませんでした。
しかし、伯父・伯母が祖父から聞いた事を私に沢山話してくれていたので、軍歴等と照合してみます。


(画像はお借りしました)
三船敏郎さん主演の映画になっています。
観なきゃ!
キスカ島には陸海軍合わせて5183名が居ました。
霧深い気候と敵軍の動きを読み、全員の撤退(戦死した30柱も同乗させた)に成功しました。
当時貴重だった武器や食糧を海に捨てさせ
「人命第一」「全員救出」の有言実行を成し遂げた
木村昌福(まさとみ)司令官、ありがとうございます
立ち止まる力、引き返す力、
とても勇気があるなぁと思います
深い霧のため、日本軍撤退の事実に気づかなかった敵軍は撤退から2週間後にキスカ島に上陸し、同士討ちをして多数の兵士を失いました。
日本軍医が「ペスト患者収容所」と看板に書いて去った事も、大きな心理的圧力となったそうです。
(抜かりない仕事ぶりに脱帽!)
全員が乗船を完了し、玉砕したアッツ島の方向に黙禱すると「万歳🙌」と聴こえたそうです。
(私は信じます)
生還した祖父も死と隣り合わせだった。
・顔が腫れ上がるくらい殴られた
・暑い中、船にひたすら石炭をくべて自分がどこを走行しているかも分からなかった
・陸軍よりも海軍が格上だ
・天皇などいない
祖父が伯父・伯母に話してくれた
苦労やプライド、怒り
私も覚えておきたいと思います。
本日公開の「雪風」
予告を観ると、司令官が人命を大切にする方だったとの事で
現代を生きる私たちにも学びがありそうです。
観てみたくなりました
終戦から3日後、ソ連軍が占守島に突然侵攻しましたが、日本軍が猛烈に抵抗した為に北海道は死守されました。
その後にシベリアに抑留された兵士もいます。
(試合終了後にシュート打ってくる人、いるよね)
終戦と言っても
どこかでなにかが続いているような気がしてなりません。