ムーランのイギリス日報

ムーランのイギリス日報

イギリスで子育てをしながら、ものおもふことをつづっております。

答えは、イエスだ。

師走は、インプラント手術の術後が芳しくなく、ほぼ出かけられなかった。
私は、インプラントをなめていた。
もしくは、歯科医選びを間違ったと思う。

 

年末年始は、燦燦とした日光の降り注ぐ、日乃本の国で過ごし、年明け早々に鬱々とした物価高騰国イギリスに帰国した。

そこですぐに風邪に罹患し引き籠ったため、何週間ぶりかでイギリスの街に繰り出した。

お友達が12月にお茶に誘ってくれていたのだが、上記の事情や、もう一人の友人の都合もあり、年明けに持ち越しになっていたのだった。

企画してくれた友人が、場所や時間を指定してくれた。

そこが、昨年最後にブログにしたためたあのカフェであった。

最近、己の性格を叩き直していかねばと如実に感じる私であるが、好きな友人がせっかく誘ってくれた場所にケチをつけるほど落ちぶれてはいない。

コーヒーはコーヒーの味であったし、あのアップルケーキを頼まなければいいだけなのだから。

 

店内は広く、明るく、清潔感もあるし、ロケーションも最高なのだ。

 

久々に気の置けない優しく素敵な友人たちと3人、他愛ないおしゃべりを楽しむ。

気づかないうちに、数時間が過ぎていた。


本当は、あと3時間はしゃべり倒せる自信があったが、夫の昼食を作らねばならないため、泣く泣くお開きにした。

友人たちはケーキを頼んでいた。

注意喚起したほうがよいのか一瞬迷ったが、私はこのお店の1品しか食べたことがない。

 

アップルケーキを注文しようとしていたら、止めたと思うが、そうではあかったので静かにしていることにした。

美味しいと言いながら完食していたので、内心ひどくほっとした。

おそらく、あのアップルケーキがダメな子だったのだ。(と思いたい。)

 

イギリスのカフェは、商品の品質管理がきっちりできているところのほうが少ないと思う。

今日美味しくても、明日不味いことは多々ある。

こちらの天気と同じで非常に気分屋だ。

ゆるやかに味が落ちる、というより、一日でアラスカからトルコなみに気候が変わるくらい味が変わることもある。

 

要は何がいいたいかというと、何を食べたかではなく、誰とどんな風に食べたか、の方が今日の私にとっては何より重要だったのだといことだ。

好きな人と楽しく何かを食べたり飲んだりする。

 

そんな人が周りにいて、そんな機会が生活の中にあることを感謝して、イギリスでの新しい1年をはじめたい。

けれど、やっぱりこのカフェで食べ物を頼む勇気はまだ出そうにない。

 

 

 



 

 

昭和生まれ、喫茶店育ち。

 

幼少のみぎり、家族で外食することはあまりなかったが、喫茶店には再三連れて行ってもらっていた。

 

その英才教育の結果か、私は喫茶店、そしてカフェが大好きだ。

 

外食価格が貴族的なロンドンでは日本ほど気軽に外食できないが、コーヒー一杯だと罪悪感をねじ伏せられる。

 

そのため、地道な活動により地元のカフェはおそらくほぼ全制覇している気がする。

 

ありがたいことにカフェには恵まれたエリアで、徒歩圏内に何十というカフェが並び立つ乱立地帯。

 

一人で行って頭の中を整理したり仕事したりすることもあるし、友人と行ってお喋りすることもある。

 

 

今日は小一時間ほど娘の習いごとが終わるまで時間があったので、まだ行ったことのないカフェに入ってみた。

 

イタリアコーヒーを出すというお店、店内は9割がた埋まっている。

 

お店の壁には『イタリア№1コーヒーブランド』と銘打たれている。

これなら、大きく外すこともないだろう。

 

 

この後、夕飯を食べる時間がないやもしれないため、小腹を満たすためにアップルケーキも注文した。

何年住んでもイギリスのケーキが日本のケーキよりおいしいと感じたことは、ほぼ皆無である。

よほどお高い場所か、よほど田舎の新鮮な食材で手作りされたばかりのものか、よほど幸運であるか、そのどれかを引き当てねばならない。

 

それでも年々味は向上の一途であるし、甘いもの系で食べれないほど不味いものに出会ったことは覚えている限りない。

 

アップルケーキの見た目も美味しそうであったし、腐ってもイタリアン・カフェ、イタリア人の名誉にかけてそうそう外れることもないだろう。

 

しかし、コーヒー、大して美味しくもなく。。。

これでイタリア№1だったとしたら、それは私の知っている国のイタリアではないんだろう。

どこかの新興国に違いない。

 

まぁ、コーヒーが美味しくないなんて、珍しいことでもない。

 

大きなダメージはうけず、見目麗しいアップルケーキに口をつける。

 

「。。。。。?」

 

見た目と味が一致しない。

 

ちょっと舌が疲れているのか?もう一度食す。

 

「。。。。。。???」

 

 

洗剤の味。。。。?

 

甘すぎる、とか、食感が重い、とかそういう問題ではなく、食べてはいけない化学系物質の味がする。。。

 

 

円安の今、もったいないお化けが出るぞと思い、追加で2口いった。

 

普段美味しくなくてもお菓子は完食できるのだけれど、これは、

 

「私、誰か要人と間違えられて、毒を盛られた?」

 

と本気で考えてしまうほどの味で、潔く残した。

 

 

イギリスは不味い。。。が過去のものになりつつある、という風潮に一瞬賛成しそうになっていた自分を戒めたい。

 

こんな不味いことって、あるよ。と。

 

 

 

 

 

 

ここ数年、歴史ラジオにはまり、日本語で歴史を学んでいる。

 

コテンラジオというポッドキャスト・Youtubeを視聴させて頂いているのだが、本当に面白い。

 

 

最近、シンドラーのリストで有名なオスカー・シンドラーのシリーズを聞き、心の底から腑に落ちたことがあった。

ここ数十年に及ぶ私の中での大きな疑問が融解した瞬間だった。


全く歴史とは関係ないことなのだけれど。。。



シンドラーは私財を投げうってユダヤ人労働者たちを助けた。

 

しかし、彼の私生活を垣間見ると、浮気三昧で聖人君主とはいえない。

 

そのことを戦後指摘されたとき、彼はこう答えたそうだ。

 

「もし、あなたが海で溺れて死にそうになっているとき、そこに浮き輪を投げてくれる人がいたら、あなたはその人が浮気をしていたかどうか気にするんですか?」

 

 

その瞬間、「あっ。」と思った。

 

 

夫の母親は、私の視点からみると、決して人間として善良ではない。

 

物事を捻じ曲げて人のせいにし、子供たちを洗脳して、自分が被害者ぶって優位にたち、強欲で、ソシオパス傾向のある人間だと思っている。

 

しかし、夫含め、子供たちは彼女をあがめ、大切にしている。

 

なぜ、いい大人になって、彼女のしていることが醜悪だと気づかないのか、なぜ不快感がわかないのか、ずっと謎だった。

私がどんな目にあわされても、夫はぶれることなく母親の味方をしていた。

 

マザコン、洗脳、機能不全家族、、、いろいろな本を読んだり、話を聞いたりして、答えを導きだそうとしても、どれも当てはまっているような気はするが、何かぴったりとこない。

 

やっと、見つけた。

 

夫にとって、彼の母親は、シンドラーなのだ。

 

溺れているときに浮き輪を投げてくれた人が強欲だろうが、意地悪だろうが、そんなことはどうでもいいのだ。

 

生殺与奪の権利を掌握し、自分を生かしてくれた人シンドラー、彼に助けてもらったユダヤ人の皆さんにとって、シンドラーは一生の恩人であり、彼の生活態度やほかの人に対する不品行を議論する必要などあるだろうか。

今も夫とその兄弟たちの義母信仰は変わらない。

そのことを好意的に受け止める気はないが『義母は彼らにとってシンドラーなんだな』、というマントラを心の中で呟けば、少なくとも、以前のように心が煩わされることはないと思う。

 

この推測が正解かどうかは問題ではなく、私の中で衝撃的にしっくりハマったということが重要なのだと思う。

 

コテンラジオ様には、感謝しかない。

 

これからも愛聴させて下さい。