やたら「謝罪」にこだわるマスコミは半島系に汚染されています。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)5月18日(水曜日)
通算第4905号 <前日発行>
読者の声 どくしゃのこえ Readers‘ Opinions 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)オバマ大統領の広島訪問が話題になっていますが、やたら「謝罪」にこだわるマスコミは半島系に汚染されています。
そんな雑音はともかく、アメリカ人の本音を記した本があります。
「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」チャールズ・W. スウィーニー(著) 原
書房 2000年
著者はアメリカ陸軍の登録機すべてを操縦したという操縦のエキスパート、1995年にスミソニアン博物館で企画された原爆展があまりに被害者寄りだとする退役軍人の声を反映した内容ですが、戦時中のアメリカ陸軍の雰囲気や戦略爆撃機B-29の開発にまつわる話、原爆の開発が時間との戦いだった様子が描かれます。
騎兵隊上がりが上層部を占める陸軍で航空部隊は傍流、飛行士の昇進は非常に遅いところなど米軍も保守的だった。著者は米軍機のテスト・パイロットになるのですが、試験機には英国仕様の機体もあったという。
法律上、新品の機体は輸出できないため、試験飛行をした機体を中古としてカナダに売却、カナダから英国に輸出という体裁をとる迂回輸出です。
B-29の開発ではティベッツ中佐(エノラ・ゲイの機長ティベッツ大佐)があらゆる干渉を撥ねつける様子が描かれます。テスト・パイロットが足りなくなると民間の女性飛行士を連れてくる。B-29の操縦性に不満をもつ飛行士たちには女性飛行士だけでB-29を飛ばせることを見せつけ黙らせる。
戦時下とはいえB-29を操縦できる女性飛行士がいたというアメリカの底力は侮れません。アメリカらしいと思ったのがネバダ州とユタ州にまたがる街の話、州の境界線上にあるレストランの半分は禁酒なのにもう半分では賭博もOK。
こんな多様性もアメリカの強みなのでしょう。
原爆投下が現実目標となるや、ネバダ州の基地で模擬爆弾を積むための改装、爆弾の信管のテストが繰り返されます。信管が早く反応し過ぎるとB-29の機体もろとも吹き飛ばされてしまうという命がけの試験です。
欧州戦線でのアイゼンハワーとルメイの確執、1944年末にドイツ敗北間近と米軍主力を太平洋方面に移動させたところ、バルジの戦いでドイツの反攻にあい、新兵ばかりの米軍は大打撃をくらったのはアイゼンハワーの判断ミスだとする。
太平洋戦線では航空軍は本来なら地域総司令官のマッカーサーの指揮下に入るはずなのに、なぜか総司令部はワシントンに置かれたという。
マッカーサーに指揮させるわけにはいかないという陸軍上層部の判断ですが、マッカーサーは陸軍部内でよほど嫌われていたのでしょう。
テニアンから日本本土空爆へ向うB-29、最大離陸重量を超過する爆弾を積み離陸に失敗、墜落する機体も多かったという。
原爆投下は三機一組、原爆投下機+データ収集観測機+写真・映像撮影機です。原爆実験は地上に固定されたもので、空中投下による原爆は広島がぶっつけ本番。広島での原爆投下が成功したエノラ・ゲイ、テニアンに帰還したらお祭り騒ぎ。搭乗員が後に精神に異常を来したとか、後悔の言葉を綴ったというのはエノラ・ゲイ搭乗員や搭乗員でもない人間のホラ話を新聞が裏も取らず書き散らかした嘘だという。
二度目の原爆投下は小倉が第一目標、ところが前日の八幡爆撃による火災の煙で視界不良、長崎へ予定を変更。二度目のミッションでは撮影機に割り込んだ機長が当初の予定を守らず会合地点で落ち合えず、空中待機のため燃料を消費しすぎて原爆投下後は沖縄へと向かうが危うく燃料切れで墜落もあり得たというほどギリギリの状況だった。
全体を通して読むとアメリカも戦争に勝利するため必死だった。
さらに膨大な予算をつぎ込んだマンハッタン計画が成功した以上、科学者・軍人・政治家の頭に実戦で試してみたいという思いが強かったことがわかります。日本軍の官僚主義とアメリカ軍の実力主義の比較として読んでも面白い。
大恐慌以降のデモや失業問題で分裂するアメリカの社会を真珠湾攻撃を機に反日でまとめ上げたルーズベルト、ある意味では偉大な大統領だったといえるのでしょう。
(PB生、千葉)
平成28年(2016)5月18日(水曜日)
通算第4905号 <前日発行>
読者の声 どくしゃのこえ Readers‘ Opinions 読者之声
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(読者の声1)オバマ大統領の広島訪問が話題になっていますが、やたら「謝罪」にこだわるマスコミは半島系に汚染されています。
そんな雑音はともかく、アメリカ人の本音を記した本があります。
「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」チャールズ・W. スウィーニー(著) 原
書房 2000年
著者はアメリカ陸軍の登録機すべてを操縦したという操縦のエキスパート、1995年にスミソニアン博物館で企画された原爆展があまりに被害者寄りだとする退役軍人の声を反映した内容ですが、戦時中のアメリカ陸軍の雰囲気や戦略爆撃機B-29の開発にまつわる話、原爆の開発が時間との戦いだった様子が描かれます。
騎兵隊上がりが上層部を占める陸軍で航空部隊は傍流、飛行士の昇進は非常に遅いところなど米軍も保守的だった。著者は米軍機のテスト・パイロットになるのですが、試験機には英国仕様の機体もあったという。
法律上、新品の機体は輸出できないため、試験飛行をした機体を中古としてカナダに売却、カナダから英国に輸出という体裁をとる迂回輸出です。
B-29の開発ではティベッツ中佐(エノラ・ゲイの機長ティベッツ大佐)があらゆる干渉を撥ねつける様子が描かれます。テスト・パイロットが足りなくなると民間の女性飛行士を連れてくる。B-29の操縦性に不満をもつ飛行士たちには女性飛行士だけでB-29を飛ばせることを見せつけ黙らせる。
戦時下とはいえB-29を操縦できる女性飛行士がいたというアメリカの底力は侮れません。アメリカらしいと思ったのがネバダ州とユタ州にまたがる街の話、州の境界線上にあるレストランの半分は禁酒なのにもう半分では賭博もOK。
こんな多様性もアメリカの強みなのでしょう。
原爆投下が現実目標となるや、ネバダ州の基地で模擬爆弾を積むための改装、爆弾の信管のテストが繰り返されます。信管が早く反応し過ぎるとB-29の機体もろとも吹き飛ばされてしまうという命がけの試験です。
欧州戦線でのアイゼンハワーとルメイの確執、1944年末にドイツ敗北間近と米軍主力を太平洋方面に移動させたところ、バルジの戦いでドイツの反攻にあい、新兵ばかりの米軍は大打撃をくらったのはアイゼンハワーの判断ミスだとする。
太平洋戦線では航空軍は本来なら地域総司令官のマッカーサーの指揮下に入るはずなのに、なぜか総司令部はワシントンに置かれたという。
マッカーサーに指揮させるわけにはいかないという陸軍上層部の判断ですが、マッカーサーは陸軍部内でよほど嫌われていたのでしょう。
テニアンから日本本土空爆へ向うB-29、最大離陸重量を超過する爆弾を積み離陸に失敗、墜落する機体も多かったという。
原爆投下は三機一組、原爆投下機+データ収集観測機+写真・映像撮影機です。原爆実験は地上に固定されたもので、空中投下による原爆は広島がぶっつけ本番。広島での原爆投下が成功したエノラ・ゲイ、テニアンに帰還したらお祭り騒ぎ。搭乗員が後に精神に異常を来したとか、後悔の言葉を綴ったというのはエノラ・ゲイ搭乗員や搭乗員でもない人間のホラ話を新聞が裏も取らず書き散らかした嘘だという。
二度目の原爆投下は小倉が第一目標、ところが前日の八幡爆撃による火災の煙で視界不良、長崎へ予定を変更。二度目のミッションでは撮影機に割り込んだ機長が当初の予定を守らず会合地点で落ち合えず、空中待機のため燃料を消費しすぎて原爆投下後は沖縄へと向かうが危うく燃料切れで墜落もあり得たというほどギリギリの状況だった。
全体を通して読むとアメリカも戦争に勝利するため必死だった。
さらに膨大な予算をつぎ込んだマンハッタン計画が成功した以上、科学者・軍人・政治家の頭に実戦で試してみたいという思いが強かったことがわかります。日本軍の官僚主義とアメリカ軍の実力主義の比較として読んでも面白い。
大恐慌以降のデモや失業問題で分裂するアメリカの社会を真珠湾攻撃を機に反日でまとめ上げたルーズベルト、ある意味では偉大な大統領だったといえるのでしょう。
(PB生、千葉)