ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」 | 日本のお姉さん

ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」

古本屋で見つけた
ル-ズベルト秘録(下) という本を読んでいるが
ルーズベルトは、毛沢東の部隊と一緒に同行した自分の部下の
報告を逐一受けていて、最初からチュウゴク寄りだったそうだ。
日本がチュウゴクを管理することは、アメリカの損だから
断固として阻止しなければならないとはっきり言いきっていた。
ルーズベルトは、日本への輸出を止めれば、日本はお終いだと
早くから言っていたそうだ。

「植民地政策は終わりだな」とも言っていたそう。
「日本は、ヨーロッパから帝国主義を学んで、植民地を作ろうとしているが
これは、悪である。だから、ヨーロッパも植民地を持つことは
悪ということになる」と、いうようなことを部下に語っていたらしい。

早くから、日本を目の仇にして、チュウゴクを「善」とし、
日本を滅ぼすべき「悪」として疑わなかったらしい。
田中メモリアルというおそらくロシアが作成した偽文書も、
「日本政府は否定しているが、おそらく本物」とも言っていた。
結構、証拠も無しに、チュウゴクにべったりだったよう。

タイム紙やライフは、表紙になんども当時のチュウゴクの代表であった
国民党の蒋介石と妻の写真を載せて、アメリカ人がチュウゴクを
友と感じるよう、工作がされた。一番効果があったのは、日本が攻撃したとする
上海の駅で赤ん坊が泣いている写真だった。
実際は、赤ん坊は、わざわざ配置された「やらせ」の写真だったのだが
それで、アメリカ国民は一気に日本を敵と認識したそうだ。

チュウゴクの宣教師を父に持つメディア界のトップが主に、チュウゴク寄りの
記事を書いていたらしい。宣教師は、チュウゴク人を愛して福音を伝えるから
その家族は当然、チュウゴク贔屓になる。
そういう人々を多数抱えていたチュウゴクと、妻と共にクリスチャンだという
蒋介石は、アメリカから常に多額の援助金をもらっていたそうだ。

つまり、アメリカは宣戦布告無しに早くから日本と戦争を行なってきたということだ。

最初から日本と戦争をする気が満々のアメリカと戦争にならずに済むには、
たぶん、日本も日本を愛する多数の宣教師を抱えていて、彼らが
アメリカの大統領に直に合って気持ちを変える必要があったが
残念ながらそんなことは起こらなかった。

ちなみに大統領の情報源であった直属の部下はあまりにも共産党を賛美するので、
クビになったそうだ。

日本が敗戦したときに、GHQで通訳をしていた日本語ができるアメリカ人に
日本がアメリカと戦争にならずに済む方法はあったのか聞いてみたところ
即答で「ないですね」と言われた。アメリカが日本と戦争をするのは、
決まっていたことだという認識だった。

アメリカの大統領が、どこかの国を憎んでどこかの国を溺愛すれば
真実などどうでもよく、いろんな工作によって
ついには戦争に至るのだということがよく解かった。

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ル-ズベルト秘録(下)
産業経済新聞社
1,748円(税込)1,619円(税抜)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
ハル・ノートの原案はソ連のスパイによって作られたものだった。極限に近づく太平洋のうねり-平和の代償は何だったのか?ルーズベルトが許可した「日本爆撃計画」の全容。産経新聞好評連載の単行本化。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第3部 日本脅威論-(承前)(悪の病原菌-国際社会から“隔離”しよう/上海リポート-目の前で戦争を見物できる/南京陥落-パネー号事件に隠れて関心薄く ほか)/第4部 奴らを追い詰めろ(日本空爆計画-中国機を装って五百機飛ばせ/素晴らしいアイデア-木と紙の家屋を焼き払おう/空飛ぶ虎-屈強な男たちが待機した ほか)/第5部 恩讐の真珠湾へ(マッカーサー復帰-フィリピンを前方部隊の拠点に/二つの提案-「会話を続けて時間を稼げ」/暫定案放棄-大統領は朝食をあきらめ、決断した ほか)


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ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」
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伊勢 雅臣
~ 日米戦争、冷戦、そして共産中国

共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ 連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。

■1.「狂人(ルーズベルト)の欲望」

米国の第31代大統領ハーバート・フーバーは、退任後の昭和21(1946)年 5月、日本を占領中のマッカーサー総司令官を訪れて対談した。そこで次 のようなやり取りがあった、とフーバーは記録している。

「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲 望であった」と私(フーバー)がいうとマッカーサーは同意した。 [1,p7]・・・

私(フーバー)は更に続けて次のように言った。「1941年7月の(日本へ の)経済制裁は、・・・例え自殺行為であると分っていても、日本に戦争 を余儀なくさせるものであった。なぜなら、この経済制裁は、殺人と破壊 を除く、あらゆる戦争の悲惨さを(日本に)強制するものであり、誇りの ある国ならとても忍耐できるものではないからだ」。この私の発言にも マッカーサーは同意した。[1,p7] ・・・

さらにマッカーサーは言葉を続けて「ルーズベルトは1941年の9月に近衛 と和平を達成できたはずだ。そうすれば太平洋と中国の自由、そして恐ら く満州の自由を確保するというアメリカの目標をすべて獲得出来ていたに 違いない」と言った。[1,p162]


フーバーはルーズベルト大統領の前任者で、その回想録"Freedom Betrayed(『裏切られた自由』)が47年ぶりに出版された。そこでは第 二次大戦が「民主主義 対 全体主義」の戦いだったというアメリカの史観 は完全に否定されている。この回想録が完成後半世紀近くも刊行されな かったという事実が、その衝撃を表している。

同様の史観は今までにいろいろな歴史学者、軍人、政治家が発表して、弊 誌でも紹介してきたが[a,b,c]、前大統領の発言となれば重みが違う。し かもフーバーは30冊もの著書を残した著述家であり、二十数年かけて、後 に資料2千5百万点を備えるスタンフォード大学のフーバー研究所に発展 するほどの資料を収集して書いたのが、この本なのだ。

あと20年もすれば、この史観が世の定説になるのではないか。そのために も、まず日本人自身がこういう本を読んで、自虐史観から脱しなければな らない。今回は、フーバーの著書から、ルーズベルトが日本を開戦に追い 込んだ経緯を見ていこう。


■2.共産ロシアを1933年11月に承認

フーバーはルーズベルトが冒した19の過ちを列挙しているが、その2番目 に以下がある。

ルーズベルトの第2の失策が、共産ロシアを1933年11月に承認したことで ある。4人の大統領と、5人の国務長官にわたって、共和党か民主党かを 問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の目的と手法の全 体を知った上で)ずっと拒否してきた。

共産主義者は、宗教の信仰、人間の自由と民族や国家の独立をぶちこわす ようなばい菌を運び、アメリカに浸透してくることを、彼ら(四人の大統 領と五人の国務長官)は知っていたからである。彼らは、米国が共産ロシ アを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。

ルーズベルトが(スターリンと)結んだ愚かな合意、つまり共産主義者 は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然 と反故にされた。共産主義の機関車と、それに乗った共産主義の乗客が、 政府の高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、フランク リン・ルーズベルトが大統領であった12年間に亘って、国家反逆者の行 為が長く続く事になった。[1,p81]

ルーズベルト政権に多くの共産主義者が入り込み、その政策を親ソ反日に ねじ曲げていった様子がヴェノナ文書などで明らかにされている。公民権 活動や、中国支援などの看板を掲げつつ、内実はソ連のために活動してい た組織が1千もできた。これが日米開戦の悲劇の最大の要因となった。


■3.ソ連への軍事支援、航空機1万4千7百機、、、

ルーズベルト政権の親ソ路線は、ますます露骨になっていく。

アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒト ラーがロシアを1941年に攻鑿したときに、共産ロシアを支援して、アメリ カとロシアが非公然の同盟関係になったことである。・・・

ロシアを米国が支援すると言うことは、共産主義が世界に広がることで あった。ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなかった。 平和が持続するという最大のチャンスがあったのだが、ルーズベルト大統 領は、その機会を捉えることができなかった。[1,p97]


共産主義のソ連とナチスドイツの2つの全体主義国家が戦っているのだか ら、アメリカは独ソ戦を傍観していれば、とも倒れになり、アメリカも欧 州も「平和が持続するという最大のチャンスがあった」というのが、フー バーの考えである。

それなのにルーズベルトはソ連に対して凄まじい軍事支援を行う。その内 容は、航空機1万4千7百機(零戦の全生産量に匹敵)、戦車7千両、装 甲車6千3百両、トラック37万5千台、ジープ5万2千台という規模で あった。

もちろん、これだけの規模の軍事支援は、ルーズベルトだけでなく、実務 面も含めて多数のソ連工作員が政権内に蠢(うごめ)いていたからこそ、 可能になったのだろう。


■4.経済封鎖による「宣戦なき戦争」

第5の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に 対して、宣戦をしないで戦争を始めた事である。これは、数週間前の大統 領選の公約に全面的に違反するものであった。[1,p93]


1940(昭和15)年秋、ルーズベルトは、「米国は海外でのいかなる戦いに も巻き込まれない」との公約で、大統領再選を果たした[a]。そのわずか 数ヶ月後の41年冬には、日独に対して経済封鎖という「宣戦なき戦争」を 始める。

同年1月、幕末に黒船の圧力で強要した日米友好通商条約を破棄し、いつ でも日本に対する原油や鉄鋼などの輸出を止めることができるようになっ た。「経済封鎖は戦争行為である」とはパリ不戦条約批准の際にケロッグ 米国務長官の議会での発言である。


8番目の、ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまり、ス ターリンとの隠然たる同盟関係となったその1ヶ月後に、日本に対して全 面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ射っていな かったが本質的には戦争であった。

ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をす れば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受け ていた。[1,p099]


この7月、米国は工作機械、石油、屑鉄などを輸出許可制とした。これら の品目を米国からの輸入に頼っていた我が国の新聞は、これは経済的対日 挑戦であると論じ、駐米大使が正式抗議を申し入れた。ルーズベルトはさ らに日本の在米資産を凍結し、8月には石油の対日全面禁輸を実施した。

「参戦しない」という公約を守りながら、戦争を始めるには、日本から攻 撃をさせる必要があり、そのために日本を経済的窮地に追い込んでいった のである。


■5.近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否

第9の過ちは:

ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したこと。この 和平の提案が受け入れられることを、日本に駐在するアメリカの大使もイ ギリスの大使も積極的に働きかけたし、又祈る様な気持で見守っていた。 近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成す るものであった。

しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に考える人 は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側で もっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与 えようとしたのではないかと考えることになるだろう。[1,p102]


昭和16(1941)年9月、石油禁輸のもとで、あてどない対米交渉を続けてい くのは座して死を待つのみ、と近衛内閣は10月下旬までに平和的交渉が決 着しなければ対米開戦すると決意したが、昭和天皇は御前会議で「よもの 海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむきようく」との明治 天皇御製を読み上げられた。

この御心を受けて、近衛は日米首脳会談による打開を決意し、ルーズベル トに申し入れたが、拒否されたのである。


■6.「90日の冷却期間」提案を拒否

それでも、日本はなおも忍耐強く和平交渉の道を探ったが、ルーズベルト は第10の過ちで応える。

昭和16年の11月に、天皇陛下が3ヶ月間のスタンドスティル、すなわち冷 却期間をおこなうとの提案を、駐日の米国大使を通じてされたが、ルーズ ベルトは是を拒否した。米国の軍高官も、冷却期間の提案を受け入れるべ きであるとルーズベルト大統領に促した。

当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警 戒していたのである。90日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあ れば、日本から全ての戦意を喪失させて、太平洋で戦争する必要を無くし たに違いない。[1,p107]

日本の真珠湾攻撃は12月8日だったが、この頃にはソ連軍の冬期大反抗が 開始され、ドイツ軍をモスクワ正面から後退させていた。3ヶ月の冷却期 間があれば、ドイツ軍の敗色は日本の朝野にも明らかになり、開戦の意思 は萎(しぼ)んでいただろう。

スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、 日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたの だ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾 で負けたのだ。[1,p107]


陸軍長官スティムソンの日記には、日本にハル・ノートをつきつけたコー デル・ハル国務長官が「私はこの件(日米交渉)から手を引いた。あとは あなたとノックス海軍長官の出番だ」と語ったとある。

ハル・ノートは米国からの最後通牒として出されたものであり、それがソ 連工作員ハリー・デクスター・ホワイトによって作成された事が明らかに なっている。[b]


■7.日本に無条件降伏を要求し、原爆投下

こうして日本は対米戦争に追い込まれ、当初は西太平洋、東南アジアから 米英勢力を駆逐したが、昭和20(1945)年には敗色濃厚となり、講和の道 を探っていた。そこにポツダム宣言が出される。

ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、16番目の過ちである。・・・

これ(JOG注: ソ連の東欧への勢力拡張を許した事)に加え、指導者の 人々の忠告に反して、日本に無条件降伏の最後通牒が出されたことであ る。アメリカの経験ある多くの專門家が勧告した、天皇(みかど)を維持 することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したのである。 日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下され た。そして、最後になって、この条件が受け入れられた。1,p124]


17番目のアメリカの政治の大道からの逸脱は、トルーマンが日本人の上に 原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を下したことである。日本は繰り 返して平和を求めていたにもかかわらず。これはアメリカの全ての歴史の なかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。これはアメリカの 良心に対して、永久に重くのしかかるであろう。[1,p127]


■8.「竜の歯が、世界中の至る所にばらまかれた」

こうして、ルーズベルトは共産主義の防壁である日独を打ち破って、ソ連 に東独から北朝鮮に至る勢力圏を築かせた。さらに後任のトルーマンは中 国の共産化を許した。

「第3次世界大戦を引き起こす危険のある竜の歯が、世界中の至る所にば らまかれた」とは、第19の過ちの一節だ。ギリシャ神話には、大地に播 かれた竜の歯から武装戦士たちが生まれ出た、という逸話がある。

その予言の通り、冷戦と朝鮮戦争、ベトナム戦争の種はこうして蒔かれ た。のちの共和党レーガン政権は日独の協力を得て、冷戦に打ち勝ち、ソ 連の打倒を果たしたが、その際に利用した中国が強大化して、現在の世界 を危機に陥れている。

日米戦争は、共産主義者に操られたルーズベルトの錯誤によって引き起こ されたものだが、その時に播かれた竜の歯はいまも世界の平和を脅かし続 けているのである。



■リンク■

a. JOG(096 ルーズベルトの愚行
対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

b. JOG(116)操られたルーズベルト
ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog116.html

c. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させようというシナ リオの原作者が見つかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog168.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズ ベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』★★★、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/458523036X/japanontheg01-22/


■前号「反原発運動の正体 ~ 千葉麗子『さよならパヨク』から」に寄せ られたおたより

■Spockさんより

原発事故に際して、民主党政府が安全基準を変えたり、幹事長が「当面は 大丈夫」という全く根拠のない発言があったり、関連製品に関わっている 者として、無責任な発言にあきれたことを覚えています。

また、原子核工学を専攻していた私としては、単純に安全・非安全という 2値的な議論を専門家も含めて行っていることに違和感があります。

もっと、客観的な意見が通るような日本になって欲しいと思います。こん な中で、歌や踊りで日本が良くなるわけがないことが何故わからない人が 多いのでしょうか。




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北にだまされ続けた二十余年の道程
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古森義久

北朝鮮の核武装目的の爆発実験と核兵器保有の公式宣言には、1990年 代からその動きを追ってきた記者として「ついに」という負の感慨を禁じ えない。思えば北朝鮮に米国など主要諸国が操られ、だまされ続けた二十 余年の道程だった。

1994年の米朝核合意では、北朝鮮は軽水炉の建設や経済援助と交換に核爆 弾の製造をやめることを誓っていたのだ。そんな「誓約」が虚偽となる複 雑な展開がその後、続いてきた。

ワシントンではいま、北朝鮮への非難とともにオバマ政権への糾弾が噴出 してきた。共和党側の大統領候補たちは「オバマ政権の無策」を責め、と くに同政権の国務長官だったヒラリー・クリントン氏が北朝鮮に対して唱 えた「戦略的忍耐」策に非難の矢を浴びせ始めた。

忍耐をすれば事態は好転するという楽観こそが、いまの事態を招いたのだ という批判である。

今回の事態は、超大国の米国の対外戦略とその米国を手玉にとる北朝鮮の 虚偽戦術の長い経緯と、無法国家の核武装という国際危機の現在の広がり という、縦と横の両次元での考察が欠かせない。その観点から、北朝鮮核 問題に90年代から取り組んできた前議会調査局朝鮮問題専門官で現在は戦 略国際問題研究所(CSIS)研究員のラリー・ニクシュ氏に、見解を問 うてみた。

「米国主導の国連などでのこれからの北朝鮮制裁の動きは、オバマ政権が 年来、中国とイランの真の役割の指摘をあえて避けてきたため、シャレー ド(みせかけ)だけに終わると思う。

中国は公式には北朝鮮の核兵器開発への反対を表明しているが、現実には 黙視してきた。イランは長年、北朝鮮の核開発に技術と財政の両面で協力 してきた。オバマ政権はその両方の事実を正面から提起しないのだ」

ニクシュ氏によると、中国は北朝鮮に石油と天然ガスを大量に供給し、金 正恩(キム・ジョンウン)政権にとって不可欠な軍や党のエリート用の外 国製ぜいたく品の確保をも支えてきた。もし中国が本気で北に核武装の放 棄を求めるならば、それらの停止を通告すればよいのだが、そうはせず、 オバマ政権も中国にそんな措置を求めようとしないというのだ。

北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルの開発でイランと緊密な協力をしてきたこ とはすでに知られている。当初は北朝鮮からの技術供与がほとんどだった が、最近ではイランからの供与も多くなった。北朝鮮の2013年2月の前回 の核実験にはイランの技術者一団が立ち会ったという情報もある。

「北朝鮮とイランのこの種の協力のため、機材や人員を輸送する航空機と 船舶はみな中国の領空や港を通っていく。中国政府はそれを知りながら何 もしない。オバマ政権も中国に阻止を求めることがない。イランとの核合 意を別個に成立させることに熱心なあまり、北朝鮮とイランとの大量破壊 兵器開発でのつながりが論議を呼ぶことを極端に嫌ってきたのだと思う」

ニクシュ氏はこう解説したうえで、北朝鮮の今回の核実験の技術面での最 大の狙いは核弾頭の小型化、軽量化による弾道ミサイルへの着装を可能に することであり、現段階でも韓国と日本を射程におさめるノドン・ミサイ ルへの核弾頭装備能力はもう確立されたという不吉な分析を強調するの だった。(ワシントン駐在客員特派員)
産経ニュース【緯度経度】2016.1.9