日本国民の感情の根底には「現状を受け入れる潔さ」とも言うべき「諦観」のDNA(遺伝子)があるのだ | 日本のお姉さん

日本国民の感情の根底には「現状を受け入れる潔さ」とも言うべき「諦観」のDNA(遺伝子)があるのだ

決めるのは米国
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阿比留 瑠比

原爆投下、謝罪や賠償求める必要なし 決めるのは米国

米国のオバマ大統領が被爆地、広島を訪問するとの発表を受けて、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の言葉をいくつか読み 返した。そこには、昭和天皇が「残虐なる爆弾」と呼ばれた原爆投下に対 する強い憤りが示されている。

「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定 が、(中略)ナチス指導者たちの指令に近似した唯一のもの」


パール氏の存在は、米国にとってはさぞや煙たかったことだろう。また、昭和21年5月の東京裁判公判では、米国人で被告弁護人であるブレイクニー弁護士が、次のように訴えた。


「原爆投下について、これまで米国はいろいろと弁明しているが、(中略)幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や婦人を、あるいは一般の平和的生活を営む市民を、幾万人幾十万人も殺してい いというのだろうか」

20年前の平成8年にインドネシアで現地の慰安婦問題について取材した際、英字紙「インドネシア・タイムズ」のジャマル・アリ会長(当時83歳)が語ったこんな言葉を思い出す。

「われわれには、韓国とも中国とも違う歴史とプライドがある。『お金をくれ』などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない」

安倍晋三首相は10日夜、オバマ氏の広島訪問決定について記者団にこう意義を述べた。

「唯一の戦争被爆国の首相である私とともに、世界で唯一核兵器を使用した国の指導者が共に犠牲者に対して哀悼の誠をささげる。このことが正に被爆の犠牲となった方々、そして今も苦しむ人々の思いに応えるものだと私は信じている」

安倍首相は昨年4月の米議会演説では、第2次大戦メモリアルを訪ねた際の思いをこう語っている。

「私は米国の若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげました」

そこにことさら「謝罪」の言葉はなかったが、米議会は大きな拍手で歓迎した。日米同盟関係の成熟の一つの表れだと感じた。(論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2016.5.12

原爆投下はトルーマンの「ダメ押し」
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杉浦 正章

米国内には当初から批判が存在した

時事通信にはその前身であった国策通信社の同盟通信時代から伝わる秘話がある。

原爆投下以前から事実上日本が降伏へと動いていた事実と背景が伝わっているのだ。

米国元軍人などの間では広島・長崎への原爆が多くの米軍兵士の命を救ったという意見が根強くあるが、投下した大統領・トルーマンの事後宣伝がいまだに利いているようにみえる。

これが大統領・オバマが広島で「謝罪するかどうか」の論議につながっている。

さらには原爆投下が必用であったかどうかの議論にも今後つながって行くだろう。

筆者は果たして原爆投下が必用であったかについては強い疑問を抱く一人である。

投下しようがしまいが日本は息も絶え絶えの断末魔であり、降伏寸前であった。

トルーマンはとどめを刺す「ダメ押し」のように原爆投下をしたとしか思えない。

まず事実関係を述べれば、「全日本軍の無条件降伏」を求めたポツダム宣言が発せられたのは1945年(昭和20年)7月26日だ。

アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名で宣言された。

中国の現共産党政権は全くかかわっていない。

日本政府が受諾するかどうかは明白でないまま、広島への原爆は8月6日、長崎へは同9日に投下された。

その結果、8月10日には、政府による「ポツダム宣言受諾」を同盟通信の対外放送で発信。

このニュースは、ロイターやAPなどの海外通信社を通じて世界中に流され、戦勝国の国民は戦争終結の喜びに沸いたが、日本国民が知るのはその5日後の玉音放送による。

しかし、既に降伏への動きは45年2月のヤルタ会談の時期から始まっていた。

その翌月には外相・重光葵が東京駐在のスウェーデン公使と会って、本国政府に和平の仲介を求めている。ポツダム宣言まで日本は6か月にもわたって、和平について打診していたのだ。

また無駄であったが、日本は原爆投下の2週間前に、ソ連に対して和平の方針を明らかにしていた。し

めたとばかりにスターリンは北方領土占拠に出た。トルーマンも日本の外交電文を傍受して、和平への動きを承知していたと言うのが歴史の常識だ。

ポツダム宣言発表翌日の7月27日未明、政府は、直ちに閣議を開き、対応を協議した。

その結果、拒否は危険でありなお様子を見ることにしようということになった。

しかし時間稼ぎと軍部への配慮もあって、首相・鈴木貫太郎は「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う。

政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、断固戰爭完遂にまい進する」とコメントした。

当時同盟通信国際局長で後の時事通信社長・長谷川才次は、鈴木が黙殺という言葉と同時に、記者団から「宣言を受諾するのか」と聞かれて「ノーコメントだ」とも言ったと述べている。

この「黙殺」発言は長谷川らにより「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳され送信された。この翻訳は正しかったが、これを見たロイターとAP通信は「reject(拒否)」と短絡して報道してしまった。

こうして増幅気味で、かつ微妙なニュアンスが無視されたまま方針が伝わり原爆が投下されるに到ったのだ。

しかし、トルーマンが原爆投下を決定した背景は別のところにあるという見方が濃厚だ。

投下しなくても日本の降伏は間近であったのにもかかわらず投下したのは、まず原爆開発のマンハッタン計画に当たって使用したアメリカ史上でも最高の19億ドルもの予算を、議会に事後承認させる必用があったことがあげられる。

議会に「成果」を見せる必用があったのだ。

さらに戦後のソ連の台頭をにらんで核開発の予算を獲得するためにも実戦上の「効果」が必要だった事もある。

もちろんスターリンに原爆保持のけん制をする必要もあった。深層心理には人種的偏見があったとする説もある。

このトルーマンの決断にはさすがに民主主義国家だけあって米国内部から批判が起こった。

元大統領・フーバーはその回顧録の中で「トルーマン大統領が人道に反して、日本に対して、原爆を投下するように命じたことは、アメリカの政治家の質を、疑わせるものである。

日本は繰り返し和平を求める意向を示していた。

これはアメリカの歴史において、未曾有の残虐行為だった。

アメリカ国民の良心を、永遠に責めるものである」と述べている。

また 後にアメリカの第34代大統領となった、連合軍最高司令官・ドワイト・アイゼンハワーは「日本の敗色が濃厚で、原爆の使用はまったく不必要だと信じていたし、もはや不可欠でなくなっていた兵器を使うことは、避けるべきだと考えた」と、回想している。

ホワイトハウスの報道官が10日、核廃絶に向けて「米国が特別な責任を負っている」と発言したのは、こうした時代背景の延長線上にあると解釈できる言葉と聞くべきであろう。

日米両国の記者はホワイトハウス詰めも官邸詰めもこうした史実を理解しないまま、「やれ謝罪だ」と騒いでいるが、浅薄だ。政治家は時にボディーランゲージを読む事が必用なのだ。オバマが慰霊碑に献花すること自体が謝罪なのである。

加えて核廃絶の演説で、感極まって涙を流すことも考えられる。

そうすればその涙の一滴が謝罪なのである。もちろん言葉などは必要ない。

ホワイトハウスは、オバマの広島訪問決定にあたって極めて慎重な態度を取った。

とりわけ日本国民の反応を見極めるために、ジョン・V・ルース大使、次いでケネディ大使を「原爆の日」の平和記念式典に派遣して様子を見た。

加えて最後に国務長官・ケリーに献花させた。いずれの大使からもケリーからも、日本国民からの反発が感じられないとの報告を得たのであろう。

ホワイトハウスは日本人の国民性をまだ理解していなかったのだろう。

西欧も中東も半島も世界の民族はその多くが復讐のための戦争に血道を上げてきた。世界の歴史は報復の歴史だ。

その尺度からすれば日本人も原爆の復讐を考えるのではないかと思うのは無理もない。

しかし日本は明治以来「復讐」の為の戦争はやっていない。

加えて日本国民の感情の根底には「現状を受け入れる潔さ」とも言うべき「諦観」のDNA(遺伝子)があるのだ。

これは度重なる地震や台風など大災害を経て培われたものであり、空襲も一種の大災害とうけ止める諦観である。諦観があっての上での大災害からの復興であり、戦争の荒廃からの復興であったのだ。

諦観を経たうえで前向き姿勢を取る民族なのだ。これが理解できないと「オバマを受け入れる潔さ」への解釈が困難だ。

ホワイトハウスは勉強した方がいい。
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原爆を落とされたといって、原爆で復讐するようなことは、日本人はしない。
そんな恐ろしい武器を二度と誰に対してでも使ってもらいたくないと願うのみだ。
復讐は神さまがすることだから、日本は何もしなくていいのだ。
ただ、原爆の恐ろしさだけは世界に伝える使命があると思う。
原爆を使わなくてもアメリカは地震と津波で日本人を殺せる。先の戦争の時も、日本の軍港を地震と津波で破壊していた。そういう技術はアメリカはとっくの昔に確立しているのだ。
原爆だけではなく、一般市民を大量に殺すような武器は使わないでほしいと、日本人は声を大にして世界に訴えていかねばならないのだと思う。
他人の命を奪うことが許されていいはずがない。
戦争であっても、戦争でなかったとしても。
命を与え、命を奪うのは、神さまのすることであって、勝手に人間がやってはいけないのだ。
病気や怪我の治療は別です。医療の知識や手術の技術や薬品の投与などの知恵は人間に与えられた能力と人間に与えられた薬になる物質によって得られるものだから。
罪を犯した者を裁くのは、上に立つもののするべきことで、必要なこと。
上に立つものは、神さまによって権威を与えられていると聖書に書いてあります。
社会の秩序を保ち、正義を貫き、弱い者に憐れみを施すような仕事は、やはり、才能がある者でないとできない仕事だと思います。