始めから2発投下するつもりだったのだよ。比較する為にね。
広島、長崎の原爆について、なぜ2発目が投下されたのでしょうか。広島に投下され...
alpha_ripslymeさん
2011/8/911:26:15
広島、長崎の原爆について、なぜ2発目が投下されたのでしょうか。広島に投下され、次に長崎に投下される間に日本に降伏する時間はあったのでしょうか。 ご回答よろしくお願いします。
ベストアンサーに選ばれた回答
kakuda0620さん
2011/8/1017:15:28
長崎に何十年も住んでる私は、小学校の時から学生時代はずっと、原爆に関する教育を受けてきました。小学生にとっては怖い写真や資料を見せられ、8/9は登校日だったし、夏休み前には原爆に関する副読本を買わされ、原爆の歌を歌わされ(小学校を卒業して30年以上たちますが、副読本のタイトルや歌の歌詞は覚えてます。)
ところで、ご質問の事でが、私も大人になってから「2発目の原爆は落とす必要があったのだろうか」と思うようになりました。種類が違う原爆を造ったので使ってみたかったのだろう。と今は思ってますが、敗戦時の軍事力の差は明らかだったのだから(お互い知らなかったわけないし)広島の惨状の報告を受ければ、日本軍の幹部もあきらめただろうし、アメリカ軍(連合国軍)も2発目は、落とす必要はなかったと思います。2発目の原爆投下の必要性の有無が議論される現在、小さい頃から長崎で原爆教育を受けてきた(受けさせられてきた)私はあの教育は必要だったのか、必要なら、全国でやらなくて良かったのかと思っています。
ベストアンサー以外の回答
oidealooさん
編集あり2011/8/918:54:15
実験の為です。アメリカが開発し実験に成功していたのはプルトニウム型。つまり2発目の原爆だが、問題は1発目の広島に投下されたウラン型の原爆。
アメリカはウラン型の原爆を1度も実験することなく広島に投下した。
何故か?実はウラン型の原爆はナチスが開発していた原爆だ。
つまり広島に投下された原爆はナチスから摂取したドイツ製の原爆であり、長崎に投下した原爆がアメリカ製なのである。
始めから2発投下するつもりだったのだよ。比較する為にね。
ヒトラーでさえ使用を躊躇した原爆を簡単に使ってしまうのだよ。アメリカという国は。
cahtte_noirさん
2011/8/914:46:59
実験のための投下です
ヒロシマ型とナガサキ型は
原爆の種類が違います
日本の降伏なんて問題にされません
miura0125さん
2011/8/914:46:37
長崎に原爆が落とされた時間は広島に新型爆弾を落とされて多数の犠牲が出たとの報告を受けて東京で昭和天皇と旧日本軍の参謀たちが御前会議をしている時でした。その時に梅津陸軍大将が原子爆弾と認めず2回目の新型爆弾投下はないと根拠のない発言をしています。戦時中に京都大学を中心に原爆製造の研究をさせていましたので広島に落ちた爆弾が原爆と認定することは可能でしたが昭和天皇に隠していたのです。また、陸軍の諜報部隊がテニアン基地から特別任務のB29が日本に向かって飛んできていることを参謀本部に報告していますが広島には何も伝えられず多くの犠牲者が出たわけですが長崎についても同じく5時間前に日本のどこかに新型爆弾が落とされる可能性があることを報告していますが九州の紫電改戦闘機隊に出撃命令は出されず隊員たちは命令が出ていたら体当たりしてでも長崎投下を防ぐことに命を架けたと言っています。陸軍は竹槍で本土決戦を宣伝していたくらいですから国民が玉砕することをやめる気は無かったようですが既に降伏は遅すぎです。中国大陸の日本兵や民間人がソビエトの攻撃を受けて犠牲者も出てシベリア抑留にもされているのですから。
yngcs208さん
2011/8/913:19:49
どんな脅しでも、1回だけならなんかの偶然や事故と勘違いされることがあります。
だから脅しを有効とするために、もう1発食らわす必要があった。
それだけのことです。
もちろん「脅し」とはポツダム宣言で、受託しなかったしなかった場合は「迅速且つ完全なる壊滅」が行われるとしたことです。
だから二度の原発投下について、アメリカは大々的に「あれは自分たちがやった」と宣伝しています。
もちろん「二度目」があったことで日本は「あいつら本気だ!」と大慌てして、その数日後にポツダム宣言受託→無条件降伏となるわです。
この単純な要素に一つだけ付け加えるとすれば、ソ連の存在ですね。
日本に北から襲いかかろうと準備をしていたソ連に、核兵器の開発が成功して自分たちの攻撃力が強いことを見せつけたかったのもあるかも知れません。
これも対日本の時と同じで、一回だけだと「試しに一つ作っただけで量産してないから大したことない」「単なる事故や偶然」と判断されるので、二回やる必要が出てきます。二回やることでソ連も「アメリカは核兵器開発に成功」と判断しまたした。その結果、対日参戦して日本が降伏し停戦発効(8月15日)後も一方的に日本を攻撃して北方領土を占領しましたが、アメリカの反撃を恐れて北海道侵攻を中止したのではないかと思います。
kh2fm_soh16さん
2011/8/911:59:47
降伏して2発目を防ぐことは出来たと思います。
しかし、戦争をしていた日本がすぐに降伏をするのも考えにくいし原爆を広島に落とされて、被害が今のようにすぐわかるわけではないので対応が遅れたのではないでしょうか。
しかも2発目は最初は福岡に投下される予定でしたが天気がよくなく雲で投下する工場がみえなかったので急遽長崎になりました。
はやく判断し対応していれば歴史は変わっていたかもしれません。
現代の日本も的確かつ迅速な判断力をもってほしいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1268480287
alpha_ripslymeさん
2011/8/911:26:15
広島、長崎の原爆について、なぜ2発目が投下されたのでしょうか。広島に投下され、次に長崎に投下される間に日本に降伏する時間はあったのでしょうか。 ご回答よろしくお願いします。
ベストアンサーに選ばれた回答
kakuda0620さん
2011/8/1017:15:28
長崎に何十年も住んでる私は、小学校の時から学生時代はずっと、原爆に関する教育を受けてきました。小学生にとっては怖い写真や資料を見せられ、8/9は登校日だったし、夏休み前には原爆に関する副読本を買わされ、原爆の歌を歌わされ(小学校を卒業して30年以上たちますが、副読本のタイトルや歌の歌詞は覚えてます。)
ところで、ご質問の事でが、私も大人になってから「2発目の原爆は落とす必要があったのだろうか」と思うようになりました。種類が違う原爆を造ったので使ってみたかったのだろう。と今は思ってますが、敗戦時の軍事力の差は明らかだったのだから(お互い知らなかったわけないし)広島の惨状の報告を受ければ、日本軍の幹部もあきらめただろうし、アメリカ軍(連合国軍)も2発目は、落とす必要はなかったと思います。2発目の原爆投下の必要性の有無が議論される現在、小さい頃から長崎で原爆教育を受けてきた(受けさせられてきた)私はあの教育は必要だったのか、必要なら、全国でやらなくて良かったのかと思っています。
ベストアンサー以外の回答
oidealooさん
編集あり2011/8/918:54:15
実験の為です。アメリカが開発し実験に成功していたのはプルトニウム型。つまり2発目の原爆だが、問題は1発目の広島に投下されたウラン型の原爆。
アメリカはウラン型の原爆を1度も実験することなく広島に投下した。
何故か?実はウラン型の原爆はナチスが開発していた原爆だ。
つまり広島に投下された原爆はナチスから摂取したドイツ製の原爆であり、長崎に投下した原爆がアメリカ製なのである。
始めから2発投下するつもりだったのだよ。比較する為にね。
ヒトラーでさえ使用を躊躇した原爆を簡単に使ってしまうのだよ。アメリカという国は。
cahtte_noirさん
2011/8/914:46:59
実験のための投下です
ヒロシマ型とナガサキ型は
原爆の種類が違います
日本の降伏なんて問題にされません
miura0125さん
2011/8/914:46:37
長崎に原爆が落とされた時間は広島に新型爆弾を落とされて多数の犠牲が出たとの報告を受けて東京で昭和天皇と旧日本軍の参謀たちが御前会議をしている時でした。その時に梅津陸軍大将が原子爆弾と認めず2回目の新型爆弾投下はないと根拠のない発言をしています。戦時中に京都大学を中心に原爆製造の研究をさせていましたので広島に落ちた爆弾が原爆と認定することは可能でしたが昭和天皇に隠していたのです。また、陸軍の諜報部隊がテニアン基地から特別任務のB29が日本に向かって飛んできていることを参謀本部に報告していますが広島には何も伝えられず多くの犠牲者が出たわけですが長崎についても同じく5時間前に日本のどこかに新型爆弾が落とされる可能性があることを報告していますが九州の紫電改戦闘機隊に出撃命令は出されず隊員たちは命令が出ていたら体当たりしてでも長崎投下を防ぐことに命を架けたと言っています。陸軍は竹槍で本土決戦を宣伝していたくらいですから国民が玉砕することをやめる気は無かったようですが既に降伏は遅すぎです。中国大陸の日本兵や民間人がソビエトの攻撃を受けて犠牲者も出てシベリア抑留にもされているのですから。
yngcs208さん
2011/8/913:19:49
どんな脅しでも、1回だけならなんかの偶然や事故と勘違いされることがあります。
だから脅しを有効とするために、もう1発食らわす必要があった。
それだけのことです。
もちろん「脅し」とはポツダム宣言で、受託しなかったしなかった場合は「迅速且つ完全なる壊滅」が行われるとしたことです。
だから二度の原発投下について、アメリカは大々的に「あれは自分たちがやった」と宣伝しています。
もちろん「二度目」があったことで日本は「あいつら本気だ!」と大慌てして、その数日後にポツダム宣言受託→無条件降伏となるわです。
この単純な要素に一つだけ付け加えるとすれば、ソ連の存在ですね。
日本に北から襲いかかろうと準備をしていたソ連に、核兵器の開発が成功して自分たちの攻撃力が強いことを見せつけたかったのもあるかも知れません。
これも対日本の時と同じで、一回だけだと「試しに一つ作っただけで量産してないから大したことない」「単なる事故や偶然」と判断されるので、二回やる必要が出てきます。二回やることでソ連も「アメリカは核兵器開発に成功」と判断しまたした。その結果、対日参戦して日本が降伏し停戦発効(8月15日)後も一方的に日本を攻撃して北方領土を占領しましたが、アメリカの反撃を恐れて北海道侵攻を中止したのではないかと思います。
kh2fm_soh16さん
2011/8/911:59:47
降伏して2発目を防ぐことは出来たと思います。
しかし、戦争をしていた日本がすぐに降伏をするのも考えにくいし原爆を広島に落とされて、被害が今のようにすぐわかるわけではないので対応が遅れたのではないでしょうか。
しかも2発目は最初は福岡に投下される予定でしたが天気がよくなく雲で投下する工場がみえなかったので急遽長崎になりました。
はやく判断し対応していれば歴史は変わっていたかもしれません。
現代の日本も的確かつ迅速な判断力をもってほしいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1268480287