GHQ占領憲法の問題点
GHQ占領憲法の問題点(上)
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平井 修一
間もなく5月3日の国辱記念日だが、そもそも憲法/英:constitutionとは 何か。諸説あるが、ブリタニカ国際大百科事典はこう説明している。
<憲法の語には、「法ないし掟の意味」と、「国の根本秩序に関する法規 範」の意味との2義がある。
聖徳太子の「十七条憲法」は前者の例である。(平井:国体とか国柄の明 示だろう。constitutionの和訳は、構成、組織、構造、体質、体格、気 質、性質、憲法、政体、国体である。ウォルター・バジョットのThe English Constitution(1867年)は日本語では『英国の国家構造』と翻訳 されている)
後者の意味での憲法は、近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法 典 (憲法典) として制定することが一般的となった>
島袋悠飛氏の論考「安保法制で日本を守れるのか?」(世界日報4/11)は とても勉強になった。
氏のプロフィール:平成5年(1993年)11月5日生まれ。沖縄県出身東京都 在住。日本大学通信教育部法学部政治経済学科在学中。帝京大学で宇宙工 学を学ぶも、鬱病悪化に伴い退学。
竹田恒泰氏の紹介で、国際法学者の青木節子氏と出会い、宇宙法の研究者 を志す。現在、学士論文で「日本の安全保障政策と宇宙開発」を研究中。
<2014年に安倍政権は歴代内閣が「踏襲」してきた憲法第9条の解釈を変 更し、その憲法解釈をベースにした平和安全法制(以下、安保法制)が昨 年成立し、今年3月下旬に晴れて施行された。多くの保守派は、「これ で、日本は守られる」と「万歳」した。しかし、私は複雑であった。
当初、私も安保法制には手放しで賛成していた。しかし、防衛大学校に大 学のサークルの関係で研修に行った際、個人的に安保法制について防大生 に感想を聞いたところ、「正直、中身は理解しにくい」との返事が返って きた。
それではっとした。「そうか。安保法制の議論や条文の中身は、現場を意 識していないのか」と。そして、今年2月に霞ヶ関で行われた防衛省主催 の安保法制に関するシンポジウムを聴講してみた。
参加者には「防衛官僚肝いり」の資料が配られたが、いくら概説書といえ どさっぱり理解できなかった。シンポジウムの基調講演をしている防衛官 僚の講話を聞いても、必要性は理解できるが、自衛隊に何ができるのか さっぱり理解できなかった。
私のような普通の大学生が理解できないのだから、防大生が理解できない のも無理はない。
現在、卒業論文で「日本の安全保障政策と宇宙開発」について研究してい る。将来、国際宇宙法の研究者になるべく、大学院入試を意識した卒業論 文であるが、その中では「集団的自衛権の行使になりうる自衛隊の衛星利 用」について論じたいと考えている。
そこで、現在は戦後安全保障史や憲法学、安全保障学などの基礎的内容を 勉強中だ。そこで、「基礎的な考え方を整えよう」と思い、ある一冊の本 を読んだ。憲法学者の倉山満氏の「軍国主義が日本を救う」である。「な んと過激な……」と思った人もいるだろうが、最初にこの本に出会ったとき は、私もそう思った。
しかし、内容は極めてリアリズムで客観的に我が国の憲法体制と安全保障 体制の欠陥を指摘し、どうすべきかを提言したものであった。本書で学ん だことをベースにして、私の意見を本稿で述べたいと思う。
安保法制を施行するうえで、法的根拠となっているのが日本国憲法第9条 の新たな憲法解釈である。これにより、「初めて日本は集団的自衛権を行 使できるようになった」と安倍晋三総理は主張し、マスコミもそれに追随 しているが、本当にそうだろうか。
結論から言うと、我が国は戦前も戦後も変わりなく集団的自衛権を行使し ている。とくに、戦後は70年以上ずっと行使している。それは、米軍に基 地を提供するという形で提供しているのだ。国際法上、基地の提供も自衛 権の行使に含まれるのである。
また、日米安全保障条約では、我が国は有事の際に在日米軍の基地を防衛 することになっている。これも集団的自衛権だ。
要するに、日米安全保障条約は集団的自衛権の行使を前提にして成立して いるのであり、今回の安保法制で“初めて解禁になった”のではないのだ。 また、湾岸戦争では日本は多国籍軍に戦費を多額に拠出したが、これも集 団的自衛権の行使である。
「初めて集団的自衛権が解禁された」というのは嘘であり、また我が国の 戦後史から逃げているだけに過ぎないのである。
さらに言うならば、政府の憲法解釈も、もともとは集団的自衛権の行使を 合憲としていた。鳩山一郎内閣時代の杉原荒太防衛庁長官は、昭和30年7 月26日の参議院外務委員会で、「日本としては集団防衛、集団自衛という ことは、やはり日本を守っていくために必要である」と答弁している。
岸内閣時代の藤山愛一郎外務大臣は、「日本の基地におります米軍を攻撃 することは(中略)当然自衛権の発動がありますし、またアメリカが攻撃 されれば、それに対してアメリカとしても自衛権を発動しなければならぬ 状態にあろうと思います。したがってお互いに共同動作をとるということ は、当然の帰結」「共同動作をとって参りますことは、集団的な自衛権を 行使することになろう」と答弁しているのである。
もし、「集団的自衛権は保有すれども行使せず」という憲法解釈を変更し たいならば、「変更」ではなく「戻す」が正解だったであろう。安倍総理 の口で「岸内閣での政府解釈に戻します」とただ一言いえばよかったので ある。しかも、ご自身の祖父の内閣というある種の「運命」もあるのだから。
そのようにすれば、安保法制反対派や反戦平和主義者からの攻撃も最小限 だっただろうし、迎合するマスコミも反論できず、世論もついてきたはず である。
また、安保法制反対派が「憲法違反だ」と声高に叫び、かつて改憲派だっ た小林節慶應義塾大学名誉教授も、なぜか左派に転向して「違憲立法だ」 としているが、そもそも我が国のアメリカから押し付けられた日本国憲法 自体が「憲法違反」であり、とくに「憲法第9条自体が違憲」であること を知らないのだろうか。
これには説明がいる。まず、憲法(平井:国体の明示)と憲法典(平井: 憲法に沿った法律)を分けて考える必要がある。
憲法とは、憲法学の専門用語でいうところの実質的意味の憲法であるが、 「国家の不文の慣習法」のことである。つまり、我が国の伝統的な統治の 仕方や皇室のあり方など、歴史や国体そのもののことをいう。
そして、憲法典とは、なぜか「悪魔の憲法」とされている大日本帝国憲法 や、日本国憲法(こちらのほうが悪魔だが)のことである。つまり、不文 の慣習法を明文化、法典化したものを憲法典という。
我が国は、古来より自衛権を行使してきたといえる。あの元寇なども、元 という侵略者に対して自衛権を行使したといえるだろう。古来より行使 し、保有してきた自衛権は日本の国権として発動したのだから、実質的意 味の憲法つまり「憲法」(平井:国体の明示)となっており、現代におい ても違憲ではないのだ。
憲法典で自衛権を禁じるというのは、それ自体が「憲法違反」であり、 よって憲法9条は憲法違反なのである。
私は、これは無効と判断して、集団的自衛権は限定ではなく「全面行使容 認」という立場でよいと考える。保守派の改憲派も、左派の護憲派もただ 罵りあっているだけで、茶番劇である。不文の憲法に立脚した「真の憲法 典改正論議」をしたいものである。
話題を変えよう。保守派の多くは「自衛隊が軍隊である」と誇らしげに唱 え、左派も「軍隊」だとして廃止論を唱えている。かつて、民主党政権で は「暴力装置」と吐き捨てた愚かな官房長官もいたが。しかし、その自衛 隊だが、果たして軍隊といえるのだろうか。
ここで私が論じたいのは、現在の「自衛隊は軍隊ではなく実力組織」とい う頓珍漢な政府解釈ではない。軍隊としての「要素」があるかどうかだ。 軍隊の要素を列挙していこう。
1)国家の防衛が任務
2)物質的自己完結能力
3)組織的自己完結能力
4)統制される存在
5)人を殺害することを前提としている
1)は自衛権の行使を任務としていることだ。しかし勘違いしてはいけな いのは、国民を直接的に守る国民保護ではないということである。よく、 沖縄戦を引き合いにして「軍隊は国民を守らない」と批判するが、私は 「そもそも主たる任務ではないので、そうですが何か?」と返答したい。
そもそも、国民保護を任務としているのは、警察や消防である。いまの我 が国であれば、海上保安庁もそのうちに入る。
そもそも沖縄戦で住民が大量に死亡したのは、大日本帝国憲法に戒厳令の 規定があるのにも関わらず、それを軍が布告せず、それにより従順で日本 軍を信頼していた県民が、わざわざ日本軍についていった結果である。ま さに、戦場に民間人なのに自ら赴いて自殺したようなものだ。
国際法では、軍人の側に民間人がいたとしても、それを殺害しても国際法 違反にはならない。なぜなら、便衣兵(平井:ゲリラ。支那国民党軍は制 服の下に普段着を着ていた事例がある。必要なら制服を脱いでゲリラにな る)を攻撃するためにある規定だからだ。
敵の米軍からみれば軍人なのか民間人なのか判別できず、むしろゲリラと 判断するのである。だから、軍隊は直接国民を守ってはいけないのだ。
2)は、必要な物資をすべて軍で用意し、補給体制も整っており、現地の 国民に頼ることはいないということだ。しかし、これは自衛隊は満たして いるようで満たしていない。
東日本大震災でのことだが、自衛隊のレーション(野戦食)に赤飯があっ たそうだが、隊員は「こんな悲惨なときに食べてはならない」とし、拒否 したという。
美談のように語られているが、「軍人」ならばあるまじき行動だ。与えら れたレーションを必要な分だけしっかり消費し、体力を保って任務を遂行 してもらわないと、かえって国民にとって迷惑だ。この時点で、物質的自 己完結能力は一部かけていると言える。
3)は、政府機能を回復する能力だ。裏を返せば、クーデターをもできる 能力を持っているかどうかということだ。大災害や有事の際、政府要人ま でが安否不明、もしくは死亡していて政府機能が麻痺している場合、軍隊 が軍政を敷いて臨時政府を打ち立て秩序を保つなど国家としての役割を果 たすことである。
これを悪用したのが、蒋介石の中国国民党である。だからこそ、政軍関係 が重要で、その政軍関係に常に腐心しなければならない。
4)は、英国でいうシビリアン・シュプレマシーである。よく耳にするシ ビリアン・コントロールとは全く別物である。シビリアン・コントロール は、悪くいえば政府・政治家にいちいち軍が行動するために確認をする制 度である。
シビリアン・シュプレマシーは、政府と政治家と軍隊の役割を分担し、政 府は宣戦布告するかどうかを判断し、政治家が予算など必要事項を集めて 決め、軍隊が実力行使をするという関係だ。
つまり、軍隊は政府が一度国権を発動すれば、国際法上違法でない行為以 外は、すべて行っていいのである。
5)は、いうまでもないので説明はしない。
果たして、我が国の自衛隊はこれら全てを満たしているだろうか、甚だ疑 問である。それに、軍法会議や軍刑法もないのだから軍隊とはいえない。 悪く言うならば、中国の武装警察、アイスランドの警察軍のようなもの で、警察予備隊時代から何も変わっていない。結局、司法警察権のない警 察といえるだろう。
これら諸問題を含めて、我が国の防衛政策・防衛体制には致命的欠陥があ る。これを解決するには憲法改正しかないのだが、これもまた厄介だ。我 が国には現在のところ「日本国憲法の焼き直し案」以外、まともな改憲案 が存在しないのである。
自民党案も、産経新聞案も、日本青年会議所案も、読売新聞案も。主語に 「天皇」がないのだから、我が国の憲法典としてふさわしくない。
二・二六事件(昭和11年、1936年)を思い出してほしい。あれは、右翼の 軍人がクーデターを計画し、軍隊を勝手に動かして天皇親政国家を建てよ うとした。しかし、天皇は統帥権を行使し鎮圧した。つまり、天皇大権の 行使である。
だが、現在提示されている改憲試案のどれをみても、軍隊の最高指揮権は 内閣総理大臣と明記されており、「天皇の軍隊」ではなく「内閣総理大臣 の軍隊」となっている。
これでは、コミンテルンのような内閣総理大臣が誕生した場合(片山内閣 も実際誕生した)、勝手に軍隊を動かして天皇を殺害して、革命軍として 利用することも法的には可能になってしまう。現在の自衛隊法でも、その ようになっている。
軍隊というのは、統帥権は天皇が持っており、実際に行使するのが内閣と いう存在である。英国は、この「憲政の常道」を守っている。
また、国家緊急権の議論が話題となっているが、これもまた浅い議論であ る。国家緊急権の発動は、内閣総理大臣の権限とか内閣の閣議決定により 発動などと諸改憲案には明記されているが、関東大震災のような首都直下 型地震の場合、政府要人の安否が不明の場合は発動できないではないか。
大日本帝国憲法では、非常大権を天皇が持っているし、勅令も発すること もできる。もし、このような状況を想像することができない方は、映画 「ホワイトハウス・ダウン」を観てほしい。
これまで述べてきたように、保守派は全く現実を直視し、歴史を直視した 議論をしていない。左派は、もはや論外だ。
私は、日本国憲法第96条(憲法の改正手続)と国民投票法に則って、大日 本帝国憲法を現代に合わせて改正したような憲法典を制定すべきだと考える。
しかし、それは安倍政権にはできないだろう。まずは、防衛費の増額と敵 基地攻撃能力の保有、芦田修正に立脚した憲法解釈または、鳩山一郎内閣 時代の憲法解釈に戻ることから始めてはどうか>(以上)
氏は22歳、いやはや大変な勉強家だ。映画「ホワイトハウス・ダウン」は テロリストに米国議会議事堂が爆破され、それを率いたのがなんとベテラ ンのシークレットサービスで、ホワイトハウスも占拠されるというストー リー。
「若殿に 兜取られて 負け戦」
二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され、軍法会議で死刑になっ た北一輝の辞世の句だという。若殿、天皇陛下の決断でクーデターは抑え 込まれた。「カスミガセキ・ダウン」、続いて「センカク・ダウン」「オ キナワ・ダウン」の時に天皇陛下は非常大権を発動できるのだろうか。 (2016/4/17)
GHQ占領憲法の問題点(下)
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平井 修一
前東京都議会議員・土屋たかゆき氏の論考「日本国憲法無効、『憲法』を 奪還せよ」(世界日報4/11)から。
<*マッカーサーノートの提示
昭和20年に停戦協定が締結され、わが国は連合軍の支配下となったが、昭 和21年2月3日、マッカーサーはホイットニー民政局長に“マッカーサー ノート”を提示した。その中に「憲法を改正」「憲
法を新しく作ること」 が示されていた。
改正に関して、アメリカ政府から日本の統治体制の変革がマッカーサーに 出されていた。それに基づいて「命令」が日本政府に出された。ところ が、政府案は結果として拒絶された。この経過つい
ては今回は触れずに、 手続きの瑕疵(問題点)を指摘する。
*憲法改正の発議
現在の憲法は「帝国憲法の改正憲法」となっている。更に改正の「発議」 は、憲法に定めのある「天皇」がしたと形式的にはなっている。しかし、 実際は、法律の専門家もいない連合国軍最高司令
官総司令部(GHQ)民政 局のわずかな人数で作られたのだ。
それを「日本の自主的な帝国憲法の改正憲法」と言う虚構の上で交付され たものであることは、その後、公開された資料からも明らかな事実である。
サンフランシスコ講和条約第1条では、昭和27年4月28日まではわが国と連 合軍は交戦状態にあった。8月15日は「停戦」しただけなのだ。
ところが、占領下「日本は無条件降伏した」と事実に反することが流布さ れた。これは、その後の占領軍の違法行為を正当化する巧みな誘導だった。
*どこが問題なのか
・ハーグの陸戦法規第43条にも、「占領地の現行法を尊重し」とある。
・比較憲法の観点からも、フランスの1946年憲法第94条に、「占領下の法 改正は無効」と書かれている。別にフランスのように憲法に書かれていな くても、国際法に定義がある以上無効だ。
その国際法を無視して、銃剣による恫喝と厳重な言論統制のもとで、憲法 が違法な手続きで改正された。更に皇室典範も改正されたが、これも「異 常な事態での皇室典範改正」は憲法で禁じられて
いたのに強行された。
・そもそも帝国憲法では、天皇が「改正を発議する」とある。日本共産党 の野坂参三衆院議員は、昭和21年6月28日、国会での憲法改正審議で、憲 法改正には「その手続きがない」と追及している。更
にこの主張は、当 時、憲法学会の雄である「宮澤(俊義)も美濃部(達吉)も」同調してい ていると付け加えている。
ついでに、この日、野坂参三は「防衛戦争は正しい戦争だ」と言い、8月 24日の本会議では「自衛権の放棄は民族の独立を危うくする」から憲法改 正には反対だと主張している。この主張は、全く正
しい。
・そもそも「憲法の基本理念」を逸脱した改正は違憲であるとするのが、 今日の学会の常識だ。昭和21年当時も同じだ。
だから、宮澤、美濃部両博士も憲法学者として、当初、反対したのだ。だ が、後になって、主張を一転させる。「8月15日に革命が起きた」つま り、「8月革命説」である。革命だから、超法規的なこ
とも許され、革命 によって改正憲法ではなく「新しい憲法が出来た」と言うのだ。荒唐無稽 ではないか。
このご都合主義の理屈だと、どんな素晴らしい理念のある憲法でも、その 改正段階で「革命が起きた」と説明すれば、改憲規定を超えられることに なる。つまり「立憲主義」が崩壊する。極めて安
直な考え方であり、少な くとも学者の考えることではない。
*では憲法をどうするか
今の憲法には改憲規定がある。
しかし、違法な手続きの下で出来た憲法に法的有効性はない。従って、石 原慎太郎元東京都知事の主張するように、「憲法無効宣言をして排除し、 その後に(帝国憲法の)改憲」をすれがいい。
つまり、違法性を排除した 上での自主的な帝国憲法の改正だ。このことこそ法律の精神に合致している。
*国を守る条項
その改憲の中核となるのは、国家の安全保障だ。安保法制は出来たが、実 は自衛隊は「正当防衛行動」しか取れない。敵の基地を先制攻撃すること は許さていないし、迎撃戦も「急迫不正の侵害が
ある」と認められた時の みだ。
となると、尖閣が一旦、中国政府に占領されるとその「奪還」作戦は極め て困難と言える。交戦権がないのだ。交戦権がない軍隊は世界に例がな い。多くの国で、国を守ることは国民の崇高な義務
であり権利であると言 われている。実際、わが国でも、参議院憲法審議会ホームページでは「国 を守る権利」とある。
およそ、国が国として成り立つ基本要件の「防衛」が、醜悪な憲法で否定 されたのは、占領軍の日本弱体化思想にある。
本来、昭和27年の講和条約発効の時に「憲法奪還」をすればよかった。そ れを「再軍備」さえ断り、わが国は経済を優先した。これを境に、武士の 国家は商人の国家に変貌した。
憲法はその国の基本法として、あらゆる国民の生活を定立する。そればか りか、精神構造の柱ともなる。その柱が「アメリカ占領軍」であり、ヤル タポツダム体制なのだ。
憲法を奪還せずして、戦後は終わらない。自主憲法制定などの議論はある が「違法」な憲法の改正をしてどうなる。この奪還なくして、石原氏の言 うようにアメリカからの独立はない。ヤルタポ
ツダム体制を乗り越え、憲 法を奪還しよう>(以上)
何度も書くが改憲や加憲ではなく「棄憲」すべし。暫定憲法に代えて施行 し、3年後に民意に問えばいい。一旦、帝国憲法に戻す、これを改正した のが暫定憲法だという工夫も可能かもしれない。
先人は知恵絞り、年月をかけて帝国憲法を創ったことを我々は知らなくて はならない。「最新日本史」から。
<明治14年(1881)、国会開設を10年後と決定した政府は、憲法制定作業 を開始し、翌年、伊藤博文が各国の憲法調査のためにヨーロッパへ向かった。
伊藤は約1年半の間に(大学教授などから)憲法の教えを受けた。その結 果、プロイセン憲法が日本の国情に照らして参考になるとの結論を得て帰 国した。
明治20年(1887)、伊藤は井上毅の憲法案をもとに、伊東巳代治と金子賢 太郎も加えて検討を進め、翌年4月に草案を完成させた。この草案審議の ため、明治21年(1888)、天皇の最高諮問機関とし
て新たに枢密院が設け られ、伊藤は首相を辞してその初代議長に就任した。
枢密院では、天皇の臨席のもと、慎重に審議が尽くされ、明治22年 (1889)2月11日の紀元節を期して、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布 された。ここに、アジアで最初の近代的立憲国家が成
立したのである>
作業開始から発布まで8年間をかけた。GHQは素人をかき集めて1週間足ら ずで、あちこちの憲法をパクって今の占領憲法を“粗製乱造”した。許され ざる大罪だ。
その際の指針が以下である。サイト「芋太郎の広場」から。
<マッカーサー・ノート (マッカーサー三原則)
昭和21年2月3日
天皇は国家元首の地位にある。
皇位は世襲される。
天皇の職務と権限は、憲法に基づいて行使され、憲法の定めるところによ り、国民の基本的意思に対して責任を負う。
国家の主権としての戦争は廃止される。
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する 手段としての戦争も放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼 する。
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日 本軍に交戦権が与えられることもない。
日本の封建制度は廃止される。
華族の権利は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。
華族の特権は、今後、国または地方のいかなる政治的権力も包含するもの ではない。
予算は英国の制度を手本とする>(以上)
不法な占領憲法を次代に引き継がせるのか。それは大和男児の選択肢では ない。我々は声を上げ続けなければならない、「棄憲を!」と。(2016/4 /17)
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平井 修一
間もなく5月3日の国辱記念日だが、そもそも憲法/英:constitutionとは 何か。諸説あるが、ブリタニカ国際大百科事典はこう説明している。
<憲法の語には、「法ないし掟の意味」と、「国の根本秩序に関する法規 範」の意味との2義がある。
聖徳太子の「十七条憲法」は前者の例である。(平井:国体とか国柄の明 示だろう。constitutionの和訳は、構成、組織、構造、体質、体格、気 質、性質、憲法、政体、国体である。ウォルター・バジョットのThe English Constitution(1867年)は日本語では『英国の国家構造』と翻訳 されている)
後者の意味での憲法は、近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法 典 (憲法典) として制定することが一般的となった>
島袋悠飛氏の論考「安保法制で日本を守れるのか?」(世界日報4/11)は とても勉強になった。
氏のプロフィール:平成5年(1993年)11月5日生まれ。沖縄県出身東京都 在住。日本大学通信教育部法学部政治経済学科在学中。帝京大学で宇宙工 学を学ぶも、鬱病悪化に伴い退学。
竹田恒泰氏の紹介で、国際法学者の青木節子氏と出会い、宇宙法の研究者 を志す。現在、学士論文で「日本の安全保障政策と宇宙開発」を研究中。
<2014年に安倍政権は歴代内閣が「踏襲」してきた憲法第9条の解釈を変 更し、その憲法解釈をベースにした平和安全法制(以下、安保法制)が昨 年成立し、今年3月下旬に晴れて施行された。多くの保守派は、「これ で、日本は守られる」と「万歳」した。しかし、私は複雑であった。
当初、私も安保法制には手放しで賛成していた。しかし、防衛大学校に大 学のサークルの関係で研修に行った際、個人的に安保法制について防大生 に感想を聞いたところ、「正直、中身は理解しにくい」との返事が返って きた。
それではっとした。「そうか。安保法制の議論や条文の中身は、現場を意 識していないのか」と。そして、今年2月に霞ヶ関で行われた防衛省主催 の安保法制に関するシンポジウムを聴講してみた。
参加者には「防衛官僚肝いり」の資料が配られたが、いくら概説書といえ どさっぱり理解できなかった。シンポジウムの基調講演をしている防衛官 僚の講話を聞いても、必要性は理解できるが、自衛隊に何ができるのか さっぱり理解できなかった。
私のような普通の大学生が理解できないのだから、防大生が理解できない のも無理はない。
現在、卒業論文で「日本の安全保障政策と宇宙開発」について研究してい る。将来、国際宇宙法の研究者になるべく、大学院入試を意識した卒業論 文であるが、その中では「集団的自衛権の行使になりうる自衛隊の衛星利 用」について論じたいと考えている。
そこで、現在は戦後安全保障史や憲法学、安全保障学などの基礎的内容を 勉強中だ。そこで、「基礎的な考え方を整えよう」と思い、ある一冊の本 を読んだ。憲法学者の倉山満氏の「軍国主義が日本を救う」である。「な んと過激な……」と思った人もいるだろうが、最初にこの本に出会ったとき は、私もそう思った。
しかし、内容は極めてリアリズムで客観的に我が国の憲法体制と安全保障 体制の欠陥を指摘し、どうすべきかを提言したものであった。本書で学ん だことをベースにして、私の意見を本稿で述べたいと思う。
安保法制を施行するうえで、法的根拠となっているのが日本国憲法第9条 の新たな憲法解釈である。これにより、「初めて日本は集団的自衛権を行 使できるようになった」と安倍晋三総理は主張し、マスコミもそれに追随 しているが、本当にそうだろうか。
結論から言うと、我が国は戦前も戦後も変わりなく集団的自衛権を行使し ている。とくに、戦後は70年以上ずっと行使している。それは、米軍に基 地を提供するという形で提供しているのだ。国際法上、基地の提供も自衛 権の行使に含まれるのである。
また、日米安全保障条約では、我が国は有事の際に在日米軍の基地を防衛 することになっている。これも集団的自衛権だ。
要するに、日米安全保障条約は集団的自衛権の行使を前提にして成立して いるのであり、今回の安保法制で“初めて解禁になった”のではないのだ。 また、湾岸戦争では日本は多国籍軍に戦費を多額に拠出したが、これも集 団的自衛権の行使である。
「初めて集団的自衛権が解禁された」というのは嘘であり、また我が国の 戦後史から逃げているだけに過ぎないのである。
さらに言うならば、政府の憲法解釈も、もともとは集団的自衛権の行使を 合憲としていた。鳩山一郎内閣時代の杉原荒太防衛庁長官は、昭和30年7 月26日の参議院外務委員会で、「日本としては集団防衛、集団自衛という ことは、やはり日本を守っていくために必要である」と答弁している。
岸内閣時代の藤山愛一郎外務大臣は、「日本の基地におります米軍を攻撃 することは(中略)当然自衛権の発動がありますし、またアメリカが攻撃 されれば、それに対してアメリカとしても自衛権を発動しなければならぬ 状態にあろうと思います。したがってお互いに共同動作をとるということ は、当然の帰結」「共同動作をとって参りますことは、集団的な自衛権を 行使することになろう」と答弁しているのである。
もし、「集団的自衛権は保有すれども行使せず」という憲法解釈を変更し たいならば、「変更」ではなく「戻す」が正解だったであろう。安倍総理 の口で「岸内閣での政府解釈に戻します」とただ一言いえばよかったので ある。しかも、ご自身の祖父の内閣というある種の「運命」もあるのだから。
そのようにすれば、安保法制反対派や反戦平和主義者からの攻撃も最小限 だっただろうし、迎合するマスコミも反論できず、世論もついてきたはず である。
また、安保法制反対派が「憲法違反だ」と声高に叫び、かつて改憲派だっ た小林節慶應義塾大学名誉教授も、なぜか左派に転向して「違憲立法だ」 としているが、そもそも我が国のアメリカから押し付けられた日本国憲法 自体が「憲法違反」であり、とくに「憲法第9条自体が違憲」であること を知らないのだろうか。
これには説明がいる。まず、憲法(平井:国体の明示)と憲法典(平井: 憲法に沿った法律)を分けて考える必要がある。
憲法とは、憲法学の専門用語でいうところの実質的意味の憲法であるが、 「国家の不文の慣習法」のことである。つまり、我が国の伝統的な統治の 仕方や皇室のあり方など、歴史や国体そのもののことをいう。
そして、憲法典とは、なぜか「悪魔の憲法」とされている大日本帝国憲法 や、日本国憲法(こちらのほうが悪魔だが)のことである。つまり、不文 の慣習法を明文化、法典化したものを憲法典という。
我が国は、古来より自衛権を行使してきたといえる。あの元寇なども、元 という侵略者に対して自衛権を行使したといえるだろう。古来より行使 し、保有してきた自衛権は日本の国権として発動したのだから、実質的意 味の憲法つまり「憲法」(平井:国体の明示)となっており、現代におい ても違憲ではないのだ。
憲法典で自衛権を禁じるというのは、それ自体が「憲法違反」であり、 よって憲法9条は憲法違反なのである。
私は、これは無効と判断して、集団的自衛権は限定ではなく「全面行使容 認」という立場でよいと考える。保守派の改憲派も、左派の護憲派もただ 罵りあっているだけで、茶番劇である。不文の憲法に立脚した「真の憲法 典改正論議」をしたいものである。
話題を変えよう。保守派の多くは「自衛隊が軍隊である」と誇らしげに唱 え、左派も「軍隊」だとして廃止論を唱えている。かつて、民主党政権で は「暴力装置」と吐き捨てた愚かな官房長官もいたが。しかし、その自衛 隊だが、果たして軍隊といえるのだろうか。
ここで私が論じたいのは、現在の「自衛隊は軍隊ではなく実力組織」とい う頓珍漢な政府解釈ではない。軍隊としての「要素」があるかどうかだ。 軍隊の要素を列挙していこう。
1)国家の防衛が任務
2)物質的自己完結能力
3)組織的自己完結能力
4)統制される存在
5)人を殺害することを前提としている
1)は自衛権の行使を任務としていることだ。しかし勘違いしてはいけな いのは、国民を直接的に守る国民保護ではないということである。よく、 沖縄戦を引き合いにして「軍隊は国民を守らない」と批判するが、私は 「そもそも主たる任務ではないので、そうですが何か?」と返答したい。
そもそも、国民保護を任務としているのは、警察や消防である。いまの我 が国であれば、海上保安庁もそのうちに入る。
そもそも沖縄戦で住民が大量に死亡したのは、大日本帝国憲法に戒厳令の 規定があるのにも関わらず、それを軍が布告せず、それにより従順で日本 軍を信頼していた県民が、わざわざ日本軍についていった結果である。ま さに、戦場に民間人なのに自ら赴いて自殺したようなものだ。
国際法では、軍人の側に民間人がいたとしても、それを殺害しても国際法 違反にはならない。なぜなら、便衣兵(平井:ゲリラ。支那国民党軍は制 服の下に普段着を着ていた事例がある。必要なら制服を脱いでゲリラにな る)を攻撃するためにある規定だからだ。
敵の米軍からみれば軍人なのか民間人なのか判別できず、むしろゲリラと 判断するのである。だから、軍隊は直接国民を守ってはいけないのだ。
2)は、必要な物資をすべて軍で用意し、補給体制も整っており、現地の 国民に頼ることはいないということだ。しかし、これは自衛隊は満たして いるようで満たしていない。
東日本大震災でのことだが、自衛隊のレーション(野戦食)に赤飯があっ たそうだが、隊員は「こんな悲惨なときに食べてはならない」とし、拒否 したという。
美談のように語られているが、「軍人」ならばあるまじき行動だ。与えら れたレーションを必要な分だけしっかり消費し、体力を保って任務を遂行 してもらわないと、かえって国民にとって迷惑だ。この時点で、物質的自 己完結能力は一部かけていると言える。
3)は、政府機能を回復する能力だ。裏を返せば、クーデターをもできる 能力を持っているかどうかということだ。大災害や有事の際、政府要人ま でが安否不明、もしくは死亡していて政府機能が麻痺している場合、軍隊 が軍政を敷いて臨時政府を打ち立て秩序を保つなど国家としての役割を果 たすことである。
これを悪用したのが、蒋介石の中国国民党である。だからこそ、政軍関係 が重要で、その政軍関係に常に腐心しなければならない。
4)は、英国でいうシビリアン・シュプレマシーである。よく耳にするシ ビリアン・コントロールとは全く別物である。シビリアン・コントロール は、悪くいえば政府・政治家にいちいち軍が行動するために確認をする制 度である。
シビリアン・シュプレマシーは、政府と政治家と軍隊の役割を分担し、政 府は宣戦布告するかどうかを判断し、政治家が予算など必要事項を集めて 決め、軍隊が実力行使をするという関係だ。
つまり、軍隊は政府が一度国権を発動すれば、国際法上違法でない行為以 外は、すべて行っていいのである。
5)は、いうまでもないので説明はしない。
果たして、我が国の自衛隊はこれら全てを満たしているだろうか、甚だ疑 問である。それに、軍法会議や軍刑法もないのだから軍隊とはいえない。 悪く言うならば、中国の武装警察、アイスランドの警察軍のようなもの で、警察予備隊時代から何も変わっていない。結局、司法警察権のない警 察といえるだろう。
これら諸問題を含めて、我が国の防衛政策・防衛体制には致命的欠陥があ る。これを解決するには憲法改正しかないのだが、これもまた厄介だ。我 が国には現在のところ「日本国憲法の焼き直し案」以外、まともな改憲案 が存在しないのである。
自民党案も、産経新聞案も、日本青年会議所案も、読売新聞案も。主語に 「天皇」がないのだから、我が国の憲法典としてふさわしくない。
二・二六事件(昭和11年、1936年)を思い出してほしい。あれは、右翼の 軍人がクーデターを計画し、軍隊を勝手に動かして天皇親政国家を建てよ うとした。しかし、天皇は統帥権を行使し鎮圧した。つまり、天皇大権の 行使である。
だが、現在提示されている改憲試案のどれをみても、軍隊の最高指揮権は 内閣総理大臣と明記されており、「天皇の軍隊」ではなく「内閣総理大臣 の軍隊」となっている。
これでは、コミンテルンのような内閣総理大臣が誕生した場合(片山内閣 も実際誕生した)、勝手に軍隊を動かして天皇を殺害して、革命軍として 利用することも法的には可能になってしまう。現在の自衛隊法でも、その ようになっている。
軍隊というのは、統帥権は天皇が持っており、実際に行使するのが内閣と いう存在である。英国は、この「憲政の常道」を守っている。
また、国家緊急権の議論が話題となっているが、これもまた浅い議論であ る。国家緊急権の発動は、内閣総理大臣の権限とか内閣の閣議決定により 発動などと諸改憲案には明記されているが、関東大震災のような首都直下 型地震の場合、政府要人の安否が不明の場合は発動できないではないか。
大日本帝国憲法では、非常大権を天皇が持っているし、勅令も発すること もできる。もし、このような状況を想像することができない方は、映画 「ホワイトハウス・ダウン」を観てほしい。
これまで述べてきたように、保守派は全く現実を直視し、歴史を直視した 議論をしていない。左派は、もはや論外だ。
私は、日本国憲法第96条(憲法の改正手続)と国民投票法に則って、大日 本帝国憲法を現代に合わせて改正したような憲法典を制定すべきだと考える。
しかし、それは安倍政権にはできないだろう。まずは、防衛費の増額と敵 基地攻撃能力の保有、芦田修正に立脚した憲法解釈または、鳩山一郎内閣 時代の憲法解釈に戻ることから始めてはどうか>(以上)
氏は22歳、いやはや大変な勉強家だ。映画「ホワイトハウス・ダウン」は テロリストに米国議会議事堂が爆破され、それを率いたのがなんとベテラ ンのシークレットサービスで、ホワイトハウスも占拠されるというストー リー。
「若殿に 兜取られて 負け戦」
二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され、軍法会議で死刑になっ た北一輝の辞世の句だという。若殿、天皇陛下の決断でクーデターは抑え 込まれた。「カスミガセキ・ダウン」、続いて「センカク・ダウン」「オ キナワ・ダウン」の時に天皇陛下は非常大権を発動できるのだろうか。 (2016/4/17)
GHQ占領憲法の問題点(下)
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平井 修一
前東京都議会議員・土屋たかゆき氏の論考「日本国憲法無効、『憲法』を 奪還せよ」(世界日報4/11)から。
<*マッカーサーノートの提示
昭和20年に停戦協定が締結され、わが国は連合軍の支配下となったが、昭 和21年2月3日、マッカーサーはホイットニー民政局長に“マッカーサー ノート”を提示した。その中に「憲法を改正」「憲
法を新しく作ること」 が示されていた。
改正に関して、アメリカ政府から日本の統治体制の変革がマッカーサーに 出されていた。それに基づいて「命令」が日本政府に出された。ところ が、政府案は結果として拒絶された。この経過つい
ては今回は触れずに、 手続きの瑕疵(問題点)を指摘する。
*憲法改正の発議
現在の憲法は「帝国憲法の改正憲法」となっている。更に改正の「発議」 は、憲法に定めのある「天皇」がしたと形式的にはなっている。しかし、 実際は、法律の専門家もいない連合国軍最高司令
官総司令部(GHQ)民政 局のわずかな人数で作られたのだ。
それを「日本の自主的な帝国憲法の改正憲法」と言う虚構の上で交付され たものであることは、その後、公開された資料からも明らかな事実である。
サンフランシスコ講和条約第1条では、昭和27年4月28日まではわが国と連 合軍は交戦状態にあった。8月15日は「停戦」しただけなのだ。
ところが、占領下「日本は無条件降伏した」と事実に反することが流布さ れた。これは、その後の占領軍の違法行為を正当化する巧みな誘導だった。
*どこが問題なのか
・ハーグの陸戦法規第43条にも、「占領地の現行法を尊重し」とある。
・比較憲法の観点からも、フランスの1946年憲法第94条に、「占領下の法 改正は無効」と書かれている。別にフランスのように憲法に書かれていな くても、国際法に定義がある以上無効だ。
その国際法を無視して、銃剣による恫喝と厳重な言論統制のもとで、憲法 が違法な手続きで改正された。更に皇室典範も改正されたが、これも「異 常な事態での皇室典範改正」は憲法で禁じられて
いたのに強行された。
・そもそも帝国憲法では、天皇が「改正を発議する」とある。日本共産党 の野坂参三衆院議員は、昭和21年6月28日、国会での憲法改正審議で、憲 法改正には「その手続きがない」と追及している。更
にこの主張は、当 時、憲法学会の雄である「宮澤(俊義)も美濃部(達吉)も」同調してい ていると付け加えている。
ついでに、この日、野坂参三は「防衛戦争は正しい戦争だ」と言い、8月 24日の本会議では「自衛権の放棄は民族の独立を危うくする」から憲法改 正には反対だと主張している。この主張は、全く正
しい。
・そもそも「憲法の基本理念」を逸脱した改正は違憲であるとするのが、 今日の学会の常識だ。昭和21年当時も同じだ。
だから、宮澤、美濃部両博士も憲法学者として、当初、反対したのだ。だ が、後になって、主張を一転させる。「8月15日に革命が起きた」つま り、「8月革命説」である。革命だから、超法規的なこ
とも許され、革命 によって改正憲法ではなく「新しい憲法が出来た」と言うのだ。荒唐無稽 ではないか。
このご都合主義の理屈だと、どんな素晴らしい理念のある憲法でも、その 改正段階で「革命が起きた」と説明すれば、改憲規定を超えられることに なる。つまり「立憲主義」が崩壊する。極めて安
直な考え方であり、少な くとも学者の考えることではない。
*では憲法をどうするか
今の憲法には改憲規定がある。
しかし、違法な手続きの下で出来た憲法に法的有効性はない。従って、石 原慎太郎元東京都知事の主張するように、「憲法無効宣言をして排除し、 その後に(帝国憲法の)改憲」をすれがいい。
つまり、違法性を排除した 上での自主的な帝国憲法の改正だ。このことこそ法律の精神に合致している。
*国を守る条項
その改憲の中核となるのは、国家の安全保障だ。安保法制は出来たが、実 は自衛隊は「正当防衛行動」しか取れない。敵の基地を先制攻撃すること は許さていないし、迎撃戦も「急迫不正の侵害が
ある」と認められた時の みだ。
となると、尖閣が一旦、中国政府に占領されるとその「奪還」作戦は極め て困難と言える。交戦権がないのだ。交戦権がない軍隊は世界に例がな い。多くの国で、国を守ることは国民の崇高な義務
であり権利であると言 われている。実際、わが国でも、参議院憲法審議会ホームページでは「国 を守る権利」とある。
およそ、国が国として成り立つ基本要件の「防衛」が、醜悪な憲法で否定 されたのは、占領軍の日本弱体化思想にある。
本来、昭和27年の講和条約発効の時に「憲法奪還」をすればよかった。そ れを「再軍備」さえ断り、わが国は経済を優先した。これを境に、武士の 国家は商人の国家に変貌した。
憲法はその国の基本法として、あらゆる国民の生活を定立する。そればか りか、精神構造の柱ともなる。その柱が「アメリカ占領軍」であり、ヤル タポツダム体制なのだ。
憲法を奪還せずして、戦後は終わらない。自主憲法制定などの議論はある が「違法」な憲法の改正をしてどうなる。この奪還なくして、石原氏の言 うようにアメリカからの独立はない。ヤルタポ
ツダム体制を乗り越え、憲 法を奪還しよう>(以上)
何度も書くが改憲や加憲ではなく「棄憲」すべし。暫定憲法に代えて施行 し、3年後に民意に問えばいい。一旦、帝国憲法に戻す、これを改正した のが暫定憲法だという工夫も可能かもしれない。
先人は知恵絞り、年月をかけて帝国憲法を創ったことを我々は知らなくて はならない。「最新日本史」から。
<明治14年(1881)、国会開設を10年後と決定した政府は、憲法制定作業 を開始し、翌年、伊藤博文が各国の憲法調査のためにヨーロッパへ向かった。
伊藤は約1年半の間に(大学教授などから)憲法の教えを受けた。その結 果、プロイセン憲法が日本の国情に照らして参考になるとの結論を得て帰 国した。
明治20年(1887)、伊藤は井上毅の憲法案をもとに、伊東巳代治と金子賢 太郎も加えて検討を進め、翌年4月に草案を完成させた。この草案審議の ため、明治21年(1888)、天皇の最高諮問機関とし
て新たに枢密院が設け られ、伊藤は首相を辞してその初代議長に就任した。
枢密院では、天皇の臨席のもと、慎重に審議が尽くされ、明治22年 (1889)2月11日の紀元節を期して、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布 された。ここに、アジアで最初の近代的立憲国家が成
立したのである>
作業開始から発布まで8年間をかけた。GHQは素人をかき集めて1週間足ら ずで、あちこちの憲法をパクって今の占領憲法を“粗製乱造”した。許され ざる大罪だ。
その際の指針が以下である。サイト「芋太郎の広場」から。
<マッカーサー・ノート (マッカーサー三原則)
昭和21年2月3日
天皇は国家元首の地位にある。
皇位は世襲される。
天皇の職務と権限は、憲法に基づいて行使され、憲法の定めるところによ り、国民の基本的意思に対して責任を負う。
国家の主権としての戦争は廃止される。
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する 手段としての戦争も放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼 する。
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日 本軍に交戦権が与えられることもない。
日本の封建制度は廃止される。
華族の権利は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。
華族の特権は、今後、国または地方のいかなる政治的権力も包含するもの ではない。
予算は英国の制度を手本とする>(以上)
不法な占領憲法を次代に引き継がせるのか。それは大和男児の選択肢では ない。我々は声を上げ続けなければならない、「棄憲を!」と。(2016/4 /17)