妻にとっては全然いい話ではないのでは?
われわれ夫婦は毎日が結婚記念日
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加瀬 英明
このところ、どこへ行っても、中年も若者も、座っていても、立っていて も、歩いていても、いつも腰を屈めている。
男も女も、スマホを握っている。恐ろしいことに、日本列島が160万年前 に戻ってしまったのだ。
今から160万年前に、猿人がはじめて直立して、人類であるピテカントロ プス・エレクトゥスが誕生した。
人間を猿から分ける、もっとも大きな特徴といえば、屈んでいるか、直立 していることだ。
スマホを凝視している男女は、猿に戻ったにちがいない。
指先を脇目も振らずに動かしているのは、蚤をとっているにちがいない。
私は街に公衆電話がなくなってから、携帯をこちらから掛ける時だけ、 使っている。
私は美空ひばりや、コロンビア・ローズをききながら育った世代だが、こ れまで人生を1日か、1ヶ月を単位にして生きてきた。
ところが、私は時代に大きく遅れて、取り残されてしまったようだ。スマ ホを手にしている男女は、数分ごとに関心がつぎつぎと移ってゆくから、 一分(いっぷん)単位で生きている。
注意持続力が、数分しかもたない人間の時代が、はじめて到来したのだ。
だから、何ごとであれ、あらゆるものを粗末にする。人と人とのあいだの 絆も、生まれない。
言葉も、そうだ。そのよい例の1つが、「認知症」だ。「呆け」とか「痴 呆症」というと、差別語になるからといって、「認知症」にしたという。
だが、民法では婚姻外の男女に生まれた子を実子として認めて、親子関係 とすることを、認知という。非嫡出子を実子として認めるのは、厳粛な行 為だ。痴呆症、いや認知症と一緒にしてほしくない。
しばらく前に、警察庁が「婦人警官」「婦警(ふけい)」の婦が女性を蔑視 しているといって、「女性警察官」「女警(じょけい)」と言い替えた。
女性が帚(ほうき)を持っているから、蔑んでいるというのだ。私は幼い時 から、母が箒を手にして、心をこめて掃除しているのを見て、帚が母の心 の延長なのだと思ってきた。
ついこのあいだまでは、毎朝、家を出ると、路面に清々(すがすが)しい箒 目(ほうきめ)があった。路地は舗装されていなかった。路地に面した家の 主婦たちが、掃いたのだった。「掃(はく)」という字は、手と帚が組み合 わさっている。
電気掃除機が心の延長になるだろうか。テレビのコマーシャルに自動掃除 機が登場するが、手間よりも、心を省いているのだろう。
一事が万事だ。コンクリートが細やかな心の働きを、封じ込めてしまった。
家電製品はすべて心を省く。心が余計な時代になった。
「婦」が女性を差別しているといって、男女の違いをなくしてよいのか。 「男ごころ」「女ごころ」という言葉も、死語となった。
演歌の題やことばに、「女の港」「男の港」「女坂」「男坂」があった。 ちょっとした女らしい仕草に、胸を躍らせたものだった。もう女の港も、 男の港も消えてしまった。
“ことば狩り”によって、やれ「セクハラ」だ「パワハラ」だ「右寄り」だ といって、先祖から受け継いできた文化が否定されて、本音を語ることが できない、息苦しい社会をつくってしまっている。
日本では飽食のあまり、頭に血がのぼらなくなったために、うわべばかり に関心を奪われて、肝心な中身がおざなりにされている。
経済閣僚の金銭授受疑惑が、国政を揺るがすような大問題ではないのに、 野党が鬼の首を取ったように、国会で大きく取り上げられた。貴重な労力 と、時間の浪費だった。
京都選出の与党議員が妻の出産日に、不倫を働いたといって、全国的な話 題となった。
議員の辞職会見には、どうでもよいことなのに、新聞、テレビの記者が詰 めかけて、テレビ中継までされた。
私があの議員だったとしたら、まず会場を見回してから、開口一番、「み なさんはもちろん、『新約聖書』を御存知でしよう。イエスが不倫を働い たといって、石打ちの刑となる女のところを通りあわせて、『あなたがた のなかで、罪のない者から、石をとって投げなさい』といわれました。み なさんのなかで、罪のない方から質問して下さい」と、いっただろう。
それでも、最初の記者が勇気を振り絞って、質問したら、会場が爆笑に包 まれたにちがいない。
私は暇なので、社会勉強だと思って、あの記者会見を終わりまで見たが、 中年の女性記者が「奥様との結婚記念日を、憶えていますか?」と、質問 した。
結婚記念日とか、誕生日を祝うのは、アメリカとか、西洋のもので、そん なことを口にするようになったのは、昭和20年8月以後のことだ。戦争に 負けるものではない。
私だったら、薹(とう)が立った婦人記者の質問に、「私たち夫婦にとって は、毎日が結婚記念日ですから、そんな日を憶えている必要はありませ ん」と、かませてやる。
かなり以前のことになるが、愚妻が「お誕生日に、何か買って下さい」と せがんだので、「バカいうな。俺にとっては、毎日がお前の誕生日だ」と いって、黙らせたことがあった。
不倫問題は議員とその妻の2人だけの問題であって、1億2千万人がかか わる必要はまったくなかった。それよりも、日本が直面している緊要な問 題が、いくらでもあるはずだ。
物が満ち溢れて、人々が使い捨てるのに追いまわされて、昔も、未来もな く、刹那(せつな)だけに生きている。
人間は直立することによって、広い視野を持つようになったが、屈んでば かりいるから、全員が狭窄症になっている。
~~~~~~~~~~~
言いたいことは分かるが、じゃあ、毎日妻に結婚記念日や誕生日のように特別に優しくしているのだろうか?
していないから、誕生日だから何かちょうだいと言われるのではないか?
誕生日でもなくても、カバンや時計、お財布やくつやドレスや何かを買ってあげているのだろうか?
妻にしたら、特別な日にも何にも買ってくれない夫に見えているだけではないのか。
毎日が結婚鬼面日や誕生日なら毎日優しくしているのか?
「バカ言うな」と妻に言って黙らせたと書く様子からして、毎日妻に「バカバカ」と言っていそう。
おばちゃんであるわたしの目でこの文章を読むと、加藤さんの妻はなんだか、大事にされて無い感じでかわいそうだ。
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加瀬 英明
このところ、どこへ行っても、中年も若者も、座っていても、立っていて も、歩いていても、いつも腰を屈めている。
男も女も、スマホを握っている。恐ろしいことに、日本列島が160万年前 に戻ってしまったのだ。
今から160万年前に、猿人がはじめて直立して、人類であるピテカントロ プス・エレクトゥスが誕生した。
人間を猿から分ける、もっとも大きな特徴といえば、屈んでいるか、直立 していることだ。
スマホを凝視している男女は、猿に戻ったにちがいない。
指先を脇目も振らずに動かしているのは、蚤をとっているにちがいない。
私は街に公衆電話がなくなってから、携帯をこちらから掛ける時だけ、 使っている。
私は美空ひばりや、コロンビア・ローズをききながら育った世代だが、こ れまで人生を1日か、1ヶ月を単位にして生きてきた。
ところが、私は時代に大きく遅れて、取り残されてしまったようだ。スマ ホを手にしている男女は、数分ごとに関心がつぎつぎと移ってゆくから、 一分(いっぷん)単位で生きている。
注意持続力が、数分しかもたない人間の時代が、はじめて到来したのだ。
だから、何ごとであれ、あらゆるものを粗末にする。人と人とのあいだの 絆も、生まれない。
言葉も、そうだ。そのよい例の1つが、「認知症」だ。「呆け」とか「痴 呆症」というと、差別語になるからといって、「認知症」にしたという。
だが、民法では婚姻外の男女に生まれた子を実子として認めて、親子関係 とすることを、認知という。非嫡出子を実子として認めるのは、厳粛な行 為だ。痴呆症、いや認知症と一緒にしてほしくない。
しばらく前に、警察庁が「婦人警官」「婦警(ふけい)」の婦が女性を蔑視 しているといって、「女性警察官」「女警(じょけい)」と言い替えた。
女性が帚(ほうき)を持っているから、蔑んでいるというのだ。私は幼い時 から、母が箒を手にして、心をこめて掃除しているのを見て、帚が母の心 の延長なのだと思ってきた。
ついこのあいだまでは、毎朝、家を出ると、路面に清々(すがすが)しい箒 目(ほうきめ)があった。路地は舗装されていなかった。路地に面した家の 主婦たちが、掃いたのだった。「掃(はく)」という字は、手と帚が組み合 わさっている。
電気掃除機が心の延長になるだろうか。テレビのコマーシャルに自動掃除 機が登場するが、手間よりも、心を省いているのだろう。
一事が万事だ。コンクリートが細やかな心の働きを、封じ込めてしまった。
家電製品はすべて心を省く。心が余計な時代になった。
「婦」が女性を差別しているといって、男女の違いをなくしてよいのか。 「男ごころ」「女ごころ」という言葉も、死語となった。
演歌の題やことばに、「女の港」「男の港」「女坂」「男坂」があった。 ちょっとした女らしい仕草に、胸を躍らせたものだった。もう女の港も、 男の港も消えてしまった。
“ことば狩り”によって、やれ「セクハラ」だ「パワハラ」だ「右寄り」だ といって、先祖から受け継いできた文化が否定されて、本音を語ることが できない、息苦しい社会をつくってしまっている。
日本では飽食のあまり、頭に血がのぼらなくなったために、うわべばかり に関心を奪われて、肝心な中身がおざなりにされている。
経済閣僚の金銭授受疑惑が、国政を揺るがすような大問題ではないのに、 野党が鬼の首を取ったように、国会で大きく取り上げられた。貴重な労力 と、時間の浪費だった。
京都選出の与党議員が妻の出産日に、不倫を働いたといって、全国的な話 題となった。
議員の辞職会見には、どうでもよいことなのに、新聞、テレビの記者が詰 めかけて、テレビ中継までされた。
私があの議員だったとしたら、まず会場を見回してから、開口一番、「み なさんはもちろん、『新約聖書』を御存知でしよう。イエスが不倫を働い たといって、石打ちの刑となる女のところを通りあわせて、『あなたがた のなかで、罪のない者から、石をとって投げなさい』といわれました。み なさんのなかで、罪のない方から質問して下さい」と、いっただろう。
それでも、最初の記者が勇気を振り絞って、質問したら、会場が爆笑に包 まれたにちがいない。
私は暇なので、社会勉強だと思って、あの記者会見を終わりまで見たが、 中年の女性記者が「奥様との結婚記念日を、憶えていますか?」と、質問 した。
結婚記念日とか、誕生日を祝うのは、アメリカとか、西洋のもので、そん なことを口にするようになったのは、昭和20年8月以後のことだ。戦争に 負けるものではない。
私だったら、薹(とう)が立った婦人記者の質問に、「私たち夫婦にとって は、毎日が結婚記念日ですから、そんな日を憶えている必要はありませ ん」と、かませてやる。
かなり以前のことになるが、愚妻が「お誕生日に、何か買って下さい」と せがんだので、「バカいうな。俺にとっては、毎日がお前の誕生日だ」と いって、黙らせたことがあった。
不倫問題は議員とその妻の2人だけの問題であって、1億2千万人がかか わる必要はまったくなかった。それよりも、日本が直面している緊要な問 題が、いくらでもあるはずだ。
物が満ち溢れて、人々が使い捨てるのに追いまわされて、昔も、未来もな く、刹那(せつな)だけに生きている。
人間は直立することによって、広い視野を持つようになったが、屈んでば かりいるから、全員が狭窄症になっている。
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言いたいことは分かるが、じゃあ、毎日妻に結婚記念日や誕生日のように特別に優しくしているのだろうか?
していないから、誕生日だから何かちょうだいと言われるのではないか?
誕生日でもなくても、カバンや時計、お財布やくつやドレスや何かを買ってあげているのだろうか?
妻にしたら、特別な日にも何にも買ってくれない夫に見えているだけではないのか。
毎日が結婚鬼面日や誕生日なら毎日優しくしているのか?
「バカ言うな」と妻に言って黙らせたと書く様子からして、毎日妻に「バカバカ」と言っていそう。
おばちゃんであるわたしの目でこの文章を読むと、加藤さんの妻はなんだか、大事にされて無い感じでかわいそうだ。