【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】 | 日本のお姉さん

【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】

頭から信じないで、注意しながら読んでくださいね。
真実が入っている文章ですが、作者の気持ちも入っているような気がするのです。↓
本当のことは、本当のこと。
それをどう伝えるかで、受け手の気持ちが変わります。
ロシアとの戦争は、するしかなかった戦争だとわたしは思います。
でも、資金を出してくれたのは、ユダヤ人。
では、戦争をしなかったら、どうなっていたのか?
日本も、ロシアの植民地になっていたかもしれないではないか。
日本だけが、当時、有色人種の中で植民地になっていない国だった。(タイは別)
日本はアメリカの背後にいる頭のいい連中に骨までしゃぶられているのだと思います。
アメリカの植民地になっていると言ってもいいのかもしれません。
植民地は、普通、宗主国に大事にされていて、植民地が他国に攻撃されると宗主国は必死で守るはずなのですが、日本は、そう大事にもされておらず、竹島を韓国に奪われてもアメリカは動かないし、尖閣諸島をチュウゴクが狙っているのに、アメリカは知らんぷり。最近、アメリカの偉いさんが、尖閣諸島も日米安保条約で守られている日本の領土のひとつだというような発言をしてくれたのが、不思議なくらい。

不思議と言えば、アメリカが出せと言った金を渋ると、重要な会議の前日に重要人物が自殺するという不思議。

日本の首相がアメリカ国債を売りたいぐらいだと一言くちばしったら、政界を負われるようなゴシップが出てくる不思議。

日本を愛する日本人は、つぎつぎと謎の死をとげて消えていくし、言うことをきかない政党のトップが日本の代表になると、関西大震災や東北大震災が起こると言う不思議。

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【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】

日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人らから借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。しかし、実際には、同じユダヤ人がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたと言われます。そして、やがて太平洋戦争で米国に敗戦した日本ですが、太平洋戦争開戦時も日本は米国の借金を負っていました。
更新日: 2016年03月17日
palezioさん

今、なんで日本は今、借金を抱えているの?
近代日本史の中で不自然に美化される日露戦争の「勝利」。

しかし実際はちょっと違います。外国から借金して、かろうじて日本海海戦という戦闘に、運良く勝利したに過ぎません。

このときから外国資本への隷属、太平洋戦争、原発導入、尖閣竹島などの領土問題までの流れは始まっていたのです。

その後、我が国の負債はなくなっているでしょうか?借金を返済して、経済発展を遂げたでしょうか?
現実には日本の財政は借り主を日本国民に替えて、今でも莫大な負債の部が存在しています。

日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる
梁田貴之@YANADATakayuki
たかだか100年ちょっとだから、ちゃんと因果関係おさえておかないと、また「アベノミクス」だの「オリンピック」に目くらましされ、「中国船が領域を侵した」とNHKがプロパカンダのお先棒担ぐたびに、サルみたいに興奮して騙されることになる。 matome.naver.jp/odai/213621457…
2013.09.17 14:32

日露戦争の莫大な負債
実は日本人は、借金の奴隷だった。
出典www7.ocn.ne.jp

借金につかまった日本
日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人から借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。

しかし、実際には同じユダヤ人銀行家がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたとも言われます。
太平洋戦争開戦時もまだ、日本は米国のユダヤ系資本に莫大な借金を負っていました。


終戦後、米国は同盟国に戦争賠償金を課さないことを呼びかける一方で、結局、しっかり昭和の終わりまでかけて金利を加えて日本から借金を回収したのです。

親世代の借金で、突入し、負けた、かっこ悪い太平洋戦争
結局、親の世代が莫大な借金をしたことが太平洋戦争の原因でした。
負債さえなければ、戦争をする必要さえありませんでした。その借金の貸主は米国でした。
負債を踏み倒せば、国家転覆する、それが日本が第二次世界大戦に参戦した理由だったのです。
出典note.chiebukuro.yahoo.co.jp

ナチスと協力した日本

日本がなぜナチスに与し同盟国側で第二次世界大戦を戦ったのか、日本がなぜ軍国主義に向かっていったのか考えてみましょう。
すると、前の世代の負債をごまかすために対外的関心に向けさせられていたことに気が付きます。
結局、その借金は戦後もさらに孫の世代までかけて回収されることになりました。

日露戦争の負債を完済したのはいつなのか?
日露戦争遂行のためのポンド建て日本国債は、借換債を発行しながら1986年(昭和61年)にようやく完済した
最終的に返済を完了したのは82年経ってからでした。82年前の人の借金をせっせと返済していたと、団塊世代の何割が意識していたでしょう。
出典www.10yen.info

昭和61年って結構最近!?
日本が日露戦争の負債を返しきった昭和61年には、こんなできごとがありました。
・東京サミット
・三原山が209年ぶりに噴火

これを最近のことだと感じる方も多いはず。
実に82年間、戦前から戦後まで日本は米国人に負債を返しつづけたのでした。
日本が戦後復興したのは米国のおかげだと一部の日本人は言います。また、親米の日本人は少なくありません。

国債の返済は、国民の税金から行われる
自動車王ヘンリー・フォードは以下のように述べています。

国債とは元金に応じた利息支払いの義務を含む政府の約束手形の発行である。
もし5分利付とすれば、国家は20年後に利子の形で借りた金額と同額の金利を支弁しなければならないし、40年後には利子だけで元金の2倍、60年後にはその3倍を支払い、しかも元金は依然として元のままと言う事になる。
この支払は納税者の最後の一文まで巻き上げるが、それは債権者である外国の金持ちに支払う為で、自国の用に供するために無利子の金を集めているのではない。

国債も国内債に限られている場合は国の貧者の金が国内の富豪に流れているだけだが、外国債の場合は自国の金が外国に流れているのである。
そして国家はその利子を払う為に又外国債を発行する羽目に落ち入るのである。
『国際ユダヤ人』 ヘンリー・フォード著

日本の戦後復興は誰のもの?
出典userdisk.webry.biglobe.ne.jp

日本の戦後は誰のため?
日本に借金を完済させるために米国が強く政策誘導したのは当然のことでした。
他国が日本にカネを落とすことは、米国の資金回収のために必要だったことなのです。


米国は1986年まで日本の経済成長を誘導し、またその後も有効利用できるよう計画したのです。

日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ
出典ポツダム宣言11条より

「日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。」ポツダム宣言は、このように明言しています。
戦後日本は、損害賠償の取り立てを可能にするために「経済を維持する」ことを許された存在でした。

意外に恐ろしいポツダム宣言の内容:欧米は何を日本人に要求したのか?
http://matome.naver.jp/odai/2136232117008395701
1945年7月26日 ポツダム(potsdam,germany)で署名されたポツダム宣言は、日本の歴史の教科書ではなぜか原文が記載されず、単に「無条件降伏」とだ...
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20130315/25/2088145/14/400x254xaa117428359de09c05d9ecfc.jpg/300/600

日本人は戦後賠償よりも負債返済を優先「させられた」
アメリカ合衆国は、戦争賠償金を大きくしないよう各国に要求しました。
「第一次世界大戦でのドイツへの多額の賠償金請求に対する反省」などと言われますが、その一方で、日本から戦前の借金を取り立てを続けていました。
日本からの回収率を上げるために、他国への賠償をしないよう圧力をかけていたのです。



結果的に現在の日本人は、隣国から領土問題をもちかけられ、さらなる戦後賠償を要求され、実際に政府開発援助や円借款という名の事実上の賠償金支払いを継続しています。
そして、自分たちは、さらに大きな負債を抱えることが正義だと錯覚しています。

残念すぎる日露戦争の戦費調達
この戦争は自衛の為やむを得ず始めたものであり日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存である。
出典高橋是清

自衛のためやむを得ずという言い回しは、明治時代には既に使われています。日本は明治時代から基本的に「自衛」であることを主張しながら対外紛争を行っており、これは日清、日露戦争はもとより太平洋戦争でも同じなのです。そして、現代において自衛隊があります。では本当に、日露戦争はやむを得ず、80年後の子孫まで借金を負わせなければならないような戦争だったのでしょうか?
出典www.wikipedia.org
高橋是清
日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際、日銀副総裁であった高橋是清は戦費調達の為に戦時外債の公募で同盟国の英国に向かいました。
投資家は兵力差による日本敗北を予想しており、日本政府の支払い能力は信用されていなかったため、国債金利は高く設定せざるを得ない状況でした。

支払い能力は関税収入である。
出典高橋是清

関税収入を担保として借り入れを行いました。
支払いが滞れば関税を差し押さえられるという条件だったのです。
当時の楽観的な「見積もり」でさえ、返済には60年の歳月を必要としていました。
そして、太平洋戦争という膨大な犠牲を生み出し、実に返済には82年の歳月を必要としたのです。
出典chie.c.yimg.jp

ロシアへの戦争を日本にけしかける
ロシアへの戦争を日本にけしかける英国とアメリカの様子を描いた当時の諷刺画。
世界は既に構図をこう見ていました。
国民は、その状況を認識していたでしょうか?

日露戦争を美談に仕立てたい日本人が多いのは分かりますが、それが後の世代に膨大な負債と太平洋戦争という膨大な損失を残したことも、紛れもない事実です。

日露戦争当時の日本経済は、名目GNP約30億円、国の一般会計予算約3億円、日銀券発行残高約3億円、全国預金残高7億6千万円というサイズでしかなかった。
日本は当時のGNPの2.5倍、国家予算の60年分の負債を積み上げて日露戦争に挑んだ。
出典日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち 板谷 敏彦


当時の日本は、国民総生産の規模を見ても、貿易規模を見ても大国とは言えない状況でした。
戦時国債の規模は国内総生産の2.5倍もの金額を想定していたのです。
ここで注意して頂きたいのは、税収の2.5倍ではないということです。国民総生産の2.5倍。
戦後の政府予算は長く3割以上が国債利払費に当てられ、増税により国民の租税負担は倍増したのです。

もともと、日露戦争は英国のための戦争でもあった
そもそも日露戦争の開戦経緯をたどれば、アヘン・アロー戦争、義和団事件、日英同盟という流れになっている。
日本は列強による中国の植民地侵略に加担する形で日露戦争に流れて行った。

南下政策を進めたロシアと、極東への植民支配拡大を目論んだ英国の利害は衝突していました。
日露戦争は、単純に「日本のための戦争」ではなかったのです。
世界中で同時に紛争を抱えることができない英国は、日本に軍事的な同盟をもちかけました。
出典compact.digi2.jp

日露戦争で、日本は膨大な借金を負わされ、戦争にけしかけられ、最終的に賠償金さえ得ませんでした。
日本人の戦費調達先はユダヤ人の金融家だった
シフは2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。
ジェイコブ・シフ
出典
ja.wikipedia.org

ジェイコブ・シフ
ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff、1847年1月10日 - 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカの銀行家です。
高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入しました。後に、勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られています。

日露戦争の第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要でした。これを日本は獲得できずにいました。ある銀行家の晩餐会で高橋は、隣席したシフから「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問をうけ、高橋が応答すると、翌朝500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられました。
岩上安身@iwakamiyasumi
連投25 RT @IWJ_ch1 25.岩上「ちょっと、イスラエルの話に戻らせてください。日露戦争の際、日本はジェイコブ・シフを通じて借金をして戦ったわけですね」。板垣氏「日本はロシア兵の捕虜を管理する際、ユダヤ系は分けていました。当時は、ユダヤのことも考えていたんですね」
2014.08.01 19:52

ついに巨大な借金を背負ったニッポン

1904年5月、日本は戦時国債を発行することに「成功」した
以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現しました。
日本にとっては単純な戦時国債調達は、相手にとってはもっと大きな意味を持っていたのです。
強国ロシア
出典
livedoor.blogimg.jp

強国ロシア
日本がロシアと戦争をしようとしていたとき、シフらは、ソビエトの成立を経済支援していました。ユダヤ人を迫害した帝政ロシアに対する敵意があったとも言われています。
実は30年戦争以降の全ての国際戦争でユダヤ系資本が戦費調達に使われていました。彼は、見込みのない戦争を見込みのある戦争にすることで『相場操縦』を行うことに成功したのです。
日露戦争で日本国民は末代まで続く借金だけを負った。膨大な富を得たのは、ユダヤ人銀行家だった。
洋上のロシア バルチック艦隊
出典
campingcar.blog.hobidas.com
洋上のロシア バルチック艦隊
粗悪な石炭しか積めなかったので、吐き出す黒煙の量が多い。ロシア海軍は、戦力は日本海軍の三倍あったといわれています。
バルト海からはるばる日本海まで出兵したために負けた、などと言われることもあります。これは、後に米国がパナマ運河建設を強く望んだ理由になりました。
異例のニッポン大勝利
たしかに、異例の圧倒的な勝利ではありました。しかし、そもそも日本軍は実力よりもはるかにカネを借金で用意して戦争に臨んでいたのです。
シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、帝政ロシアへの資金提供は妨害した
1917年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。経営者一族がシフの縁戚となっていたファースト・ナショナル銀行ニューヨークは、ロックフェラーのチェース・マンハッタン、J・P・モルガン・アンド・カンパニーと協調して、ソビエトに対する融資を継続していました。

ロシア帝政末期のポグロム:ユダヤ人迫害
http://matome.naver.jp/odai/2138007344688035201

ロシア帝政末期のポグロム:ユダヤ人迫害のまとめ
http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20130925%2F25%2F2088145%2F4%2F293x172x99727850619b06db6ed9221c.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=600&qlt=80&res_format=jpg&op=r

ロシア帝政末期現在のウクライナ・ポーランド地域では、民衆によって大規模なユダヤ人迫害(ポグロム)が行われた。ユダヤ人活動家にとって反ロシアは共通の目標となっていった。
ロシア革命とユダヤ人の解放
ロシア革命
出典
homepage2.nifty.com

ロシア革命
日本は当時敗戦すると言われていたため、国債金利は高く設定しないと買い手がつかない状態にありました。
ロシア革命によるソビエト成立も、実態は完全なロシア人民衆の革命ではありません。迫害されるユダヤ人の解放運動という側面もありました。
ソビエトの初代閣僚の顔ぶれには、本来わずかな人口比率を占めるに過ぎないはずのユダヤ人が多く含まれていました。
わが政府は、シフがしたことをけっして許しも忘れもしない。彼ひとりがアメリカ市場における日本の資金獲得を可能にした。海外でわれわれに敵対するもっとも危険な人物である
出典
1911年ロシア大蔵大臣ココフツォフの発言

帝政ロシアの大蔵大臣は、シフを敵として認識していました。彼は明確にロシアの体制を破壊する目的で投資活動を行っており、それは世界中で認知されていたのです。理解しようとせず、あるいは理解しても、道具として利用されることを選んだのは日本人でした。

日露戦争後、賠償金を得ることもできなかった日本

1904年から1906年にかけ合計6次の外債発行により、借り換え調達を含め総額1万3000ポンド(約13億円)の外貨公債を日本は発行した。

結果的に当時のカネで膨大な負債を積み上げた日本は、日露戦争後ロシアから戦争賠償金を得ることができませんでした。実際の所、シフはソビエトにも貸し付けており、ロシアは滅亡する運命にありました。
ユダヤ人によるソビエト連邦は成立した。シフは日本とソビエトの両方の国民から、負債を取り立てる立場になったのです。

ポーツマス条約 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%9E%E3%82%B9%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Japanese_Peace_Commission_%26_other%2C_1905.jpg/250px-Japanese_Peace_Commission_%26_other%2C_1905.jpg
日本の歴史教科書でもポーツマス条約は日露の「休戦条約」と位置づけられています。「日本海海戦に勝利した」としても日露戦争に勝利したわけではありません。この部分は非常に重要であるにもかかわらず、多くの日本人が誤解しています。百年以上も前の戦争が教科書でごまかされるのは何故でしょう?

日露戦争に「勝利」した日本、だが、ロシアよりはるかに多くの戦死者が発生したのは日本だった。しかし、日本は日露戦争で賠償金を得ることさえなかったのである。

ロシア人が描いた日露戦争の風刺画
出典
yamasan0623.blog.shinobi.jp

ロシア人が描いた日露戦争の風刺画
日本海海戦に勝利した日本海軍、風刺画では殴られる役回りになっています。

日露戦争の死者
戦死者 日本 88429人 ロシア 25331人
病死者 日本 27192人 ロシア 11170人

人的損失も経済的損失も日本のほうがはるかに大きかった日露戦争。たしかに日本は大国ロシアと戦争をしました。国家予算の60年分という借金をして戦った戦争は、プロパガンダの材料にする程度の価値しかなかったのです。
桂-ハリマン協定
出典
ja.wikipedia.org
桂-ハリマン協定
鉄道王ハリマンは、シフとともにポーツマス条約締結直後に訪日して、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、南満州鉄道の共同経営を申し込んでいます。彼の資金的な背景はジェイコブ・シフでした。

1905年にポーツマス条約で獲得した奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定を結びましたが、小村寿太郎外相の反対により破棄されました。
米国は、日露戦争における漁夫の利を狙っていたのです。

当時、ハワイ、キューバ、フィリピンと領土を西へ拡げていたアメリカ合衆国の照準は東アジアに向いていました。日本の非積極的な対応にアメリカの対日政策は硬化します。ハリマンの息子は、のちに駐ソ外交官として、太平洋戦争末期のソ連の対日参戦に関与、トルーマン政権で商務大臣に上り詰めます。
インディアンの大陸を実効支配するアメリカ合衆国を名乗る武装勢力の100年の歴 -
NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2139910112886892501

アメリカ合衆国は、19世紀末から現在まで、アメリカ合衆国の覇権確立や維持に都合の良い傀儡(操り人形)政権を、民主的政府か軍事政権かに関わらず作りだし、支援してき...
http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fwww.oilcrash.com%2Fimages%2Fusa_nazi.gif&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

アメリカの対外政策をこちらにまとめましたので参照して下さい。
戦争がマネーゲームになっていた
17世紀には、すでに戦争はマネーゲームになっていた。

三十年戦争
出典
ja.wikipedia.org


三十年戦争
三十年戦争は、ボヘミアにおけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争でした。
「最後の宗教戦争」、「最初の国際戦争」と言われています。
この戦争ではオーストリア・ハプスブルク家の宮廷ユダヤ人ヤコブ・ハセヴィが、資金を動かしていたことが知られています。

歴史の教科書の裏でマネーゲームが行われていた
30年戦争以後のすべての戦争の資金はユダヤ人が供給したとも言われています。戦争資金の供給源となっていたため、ドイツだけでなくヨーロッパ全域で「ユダヤ人問題」として議論されていたという一面もあるのです。日本の歴史の教科書から、「なぜユダヤ人問題が議論されていたのか」という点が完全に欠落していることは興味深いことです。

30年戦争(1618年-1648年)以降、太平洋戦争まで全ての国際戦争はユダヤ系資金によって行われた。

もともと、封建的社会で生活していたヨーロッパ人やアジア人は投資や保険の概念が欠落していました。
一方、北半球全域に分布し、国を持たず、財産の保証を持たずに生活していたユダヤ人は独自に株式や海上保険といった仕組みをどんどん成立させていました。
ところが、西欧が資本主義化すると、ユダヤ人は結果的に富を急速に成長させることになったのです。

ナポレオン戦争に始まる諸国民の革命によって民族主義が台頭すると、1800年代にはユダヤ人問題としてヨーロッパ全域で深刻に問題視されることになりました。このことをユダヤ人が「再発見」されたとも言います。

【2000年の歴史】ユダヤ人はなぜ迫害されたのか- NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2137950327511744801

ヨーロッパで「ユダヤ人問題」といわれる問題はなぜどのように発達していったのでしょうか? 陰謀論に陥りやすいユダヤ人問題ですが、なるべくそうならないように、そ
の宗...
http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20130918%2F25%2F2088145%2F10%2F946x607x697e51bd8a1ff880f3543f8d.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

ユダヤ人迫害の歴史的経緯と文化的な側面について長い歴史と背景をまとめてみました。近代以降、世界的な資本主義の流れが進む中で、顕著に影響力を発揮してきた/これたのはなぜなのか?興味のある方はぜひご覧になってください。
ヒトラーがユダヤ人を敵視したのには理由があった - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138128310556508701

ヒトラーがユダヤ人を敵視したのには理由があったのまとめ
ヒトラーは著書の中でユダヤ人の宗教文化と投資行動の関係を指摘しています。当時のヨーロッパでは、「ユダヤ人問題」は数百年にわたるテーマでした。
太平洋戦争への影響
親の借金のために若者の命が散った
出典
en.wikipedia.org
親の借金のために若者の命が散った
財政破綻したら国が取り崩される、それを免れるために戦争を仕掛ける必要がありました。
しかし、それはそもそも米国、そして米国系ユダヤ人があらかじめ金を貸し付けたために生じたと言うこともできます。日本人は、借金の代わりに得たものがあったでしょうか?それとも都合の良い奴隷だったのでしょうか?

日露戦争の負債は、ポンド建て国債という形で残った。
ポンド建て国債の金利推移(戦前)
ポンド建て国債の金利推移(戦前)

日本が太平洋戦争に向かう中、日本のポンド建て国債の金利は高騰。金利は、返せない可能性が懸念されればされるほど高くなります。
7%で調達した日露戦争の戦時国債の借り換えは太平洋戦争の直前には、今や不可能な水準になっていました。

太平洋戦争に突入したとき、日本は膨大な負債と、その金利負担を抱えていた。
出典
salitote.jp

太平洋戦争に突入したとき、日本は膨大な負債と、その金利負担を抱えていた。
次世代まで払いきれない負債を作ったとき、すでに日本人は隷属していたのです。
個人資産は、相続放棄できるが、国家の負債は放棄できません。
多くの国では、個人の相続財産は3世代で縮小するように相続税の税率が設定されています。
短期的には資本主義的な国家であっても長期的に格差が拡大していかないように競争を維持させるほうが社会にとっては都合がよく、相続税によって社会に富を再分配させるからです。
しかし、相続放棄や相続税のメカニズムは国家間では働きません。
債務によって生じた関係は長期間持続可能なものになってしまうのです。
日本人は、資本主義の主人の側ではなく、奴隷の側に堕ちたのです。

太平洋戦争後の欧米の対日政策
「無条件降伏」、日本は、借金返済のために経済を維持することが認められた
出典
www.geocities.jp

ポツダム宣言の原文を読んでみれば、その「無条件降伏」というものがいかに恐ろしいものであるか理解できます。
「無条件降伏を受諾した」としか教科書に書かれないポツダム宣言。なぜ、その恐ろしい全文が教科書に掲載されないのでしょうか。その文章は、威嚇によって満ちていました。
戦後最初の時期には、積極的な賠償金請求が行われ、戦後補償が開始された。だが、米国は、敗戦国に賠償金を課すことはよくないとの主張を展開した。
彼らは借金返済を帳消しにすることはありませんでした、ただ、戦争当事国への賠償を減らそうと主張したのです。それは、一見、正義のようにも、優しさのようにも見えます。しかしそれは、日本の抱えていた借金の取り立てを可能にするための主張でした。
出典
yukokuaikoku.up.d.seesaa.net